Sun 130512 見てるだけじゃわからない 世界のニオイを嗅いできたまえ 触ってきたまえ | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 130512 見てるだけじゃわからない 世界のニオイを嗅いできたまえ 触ってきたまえ

 さてと、サッカーも無事ワールドカップ出場が決まったことだし、CMの今井君もマコトにマトモなことだけをキチンと言っているし、今日からまた安心して、ブログは旅行記に集中できるというものである。諸君は、また今日から勉強だ。
 たくさん本を読もうじゃないか。たくさん旅に出ようじゃないか。「ははーんポイント」を稼ごうじゃないか。地道に地道に、今日も5ははーん、明日も5ははーん。タマには頑張って13ははーん。気がつけば12000ははーん(一昨日の記事参照)。サトイモ軍曹がCMで連呼した「とにかく基礎。基礎基本」とは、そういうことである。
 ま、たまの娯楽は悪くない。でも、視聴率40%のサッカーが終わってしまえば、テレビはもうマンネリの特番ばっかり。そんなんじゃ「0ははーん」な日々の連続だ。11日のイラク戦は見るべきだが(今井君も見ますです)、あとはタップリ本を読んで、旅に出るべし。受験生には旅はムリだから、今はひたすら学びに学んで、来年の春には旅に出るべし。
 東南アジアもよし、ヨーロッパもアメリカもよし。治安がチョイと心配でも、中南米もよし。むしろ、奪われるものがまだ1つもないうちに、中南米に行っておきたまえ。やたらに「治安」「治安」と震え上がってないで、サンパウロにブエノスアイレス、サンチアゴにリマ、どんどん旅をしてきたまえ。
朝日新聞夕刊
(トルコが、大変だ。6月4日朝日新聞夕刊より)

 トルコのイスタンブールが、大規模デモで混乱している。若い人々のデモは、イスティクラール通りからタクシム広場へ。おお、そこはちょうど昨年の今頃、サトイモ君が連日連夜うろついていた場所だ。それどころか、まさに問題の発端になっているゲジ公園の上空を、ゴンドラみたいなのに乗って横切った。
 大規模デモに遭遇もした。銀座の目抜き通りに該当するイスティクラール通りを、数万人の市民が丸1日占拠。今井君が遭遇したデモは整然と統制がとれていたけれども、あれから1年、市民の怒りは数段高まっているようだ。
 昨年は、まだ「怒り」ではなくて「苛立ち」のレベルだった。しかし、余りにも急速な発展や、余りに強引な開発は、外から見ているだけの人々には「発展著しい」ように映っても、実際その街に行ってみると、何となく暑苦しいような、蒸し暑さが毎日続くような感じ。要するに人々のイライラがつのって、「ちょっと待ってくれ」「もっと風にあたらせてくれ」「そんなにどんどんやらないでくれ」と叫びたくなっているのが感じられる。
イスタンブール
(数万人参加の大規模デモは、昨年もあった。2012年5月、イスタンブール、イスティクラール通りで)

 だから、ホントに行ってみなくちゃダメだ。テレビの報道を見たって、人々のイライラや暑苦しさは分からない。「公園にショッピングセンターを作る」という強引な開発は、おそらく「発展著しい」「成長著しい」というイメージを継続したかったんだろうが、コップの縁まできていた苛立ちが、とうとうコップから溢れ出したのだ。同種の苛立ちは、日本の近隣諸国でも同様と思われる。
 アテネでもそうだった。サトイモ君がアテネ・シンタグマ広場での暴動を見たのは、一昨年9月。「見た」というより、まさにその現場にいたのであるが、夜9時すぎの暗い広場でマジメに国の将来を語り合う市民の顔、やがて始まった演説会、演説の順番を待って列を作る老若男女の「早く話したい」という真剣な表情、そのすべてに鳥肌が立つ思いだった。
 諸君、実際に行かなきゃ、わからない。日本のテレビなんか眺めていたって、市民の苛立ちがつのっている空気や、「発展著しい」と評判の国の彼ら彼女らが何故あんな真剣さで抗議するのか、そんなことまでは全く分からない。「あぁ、騒いでるな」「おっかねえ」「治安は、大丈夫だろうか」で、みんな終わってしまう。
アテネ
(2011年9月のアテネ、シンタグマ広場付近。夕暮れ近く、国会議事堂前に群衆が集まり始めていた)

 ヨーロッパ中部は、記録的大洪水になっている。旬を過ぎた芸人が旅番組に起用されてホイホイ軽薄なことを言って歩くのを見ていても、「何やってるんですかぁ?」というヤラセの街歩きを眺めていても、ドイツ中部パッサウの街がどうしてまた水浸しになってしまったのかは、ちっとも分からない。
パッサウ
(現在、大洪水で非常事態のパッサウ、2011年5月。左が黒いドナウ河、右が白いイン河)

 パッサウに行ったのは、一昨年の5月である。西から流れ込むドナウ河と、アルプスからインスブルックを通って流れてくるイン河の合流点であって、ドナウの黒い水と、インの白い水が墨流しのようにここで交わり、ここから遥かな黒海に向かう。街には「○○年の洪水の水は、この高さまで来ました」という表示があって、地形から見ても、ここは大洪水の頻発地点なのである。
記録
(パッサウ、大洪水の記憶)

 ザルツブルグでも水が溢れた。プラハも大洪水になって、カレル橋が閉鎖になっている。すぐ近くには有名なユダヤ人街と、カフカの家がある。モルダウ河が大きく蛇行するあたりに街があって、洪水の頻発する地域にユダヤ人街が形成されたとすれば、まあ難しいことは分からないが、我々も考えるべきことがいろいろあるはずである。
ザルツブルグ
(ザルツブルク。現在ここも大洪水で非常事態となっている)

 それなのに、報道しない。「こんなに入って、このお弁当ホントに500円?」というレポーターのビックリ顔と、「あまーい」と「ぷりっぷり」ばかりのグルメ番組と、どこが面白いんだか分からない芸人の内輪ネタと、イジメ寸前の罰ゲーム満載の特番バラエティとで、番組欄が埋め尽くされてしまう。
 ならば、我々はサッカーだけ見て、あとちょっとお相撲とラグビーとテニスとゴルフぐらい見て、ついでにオペラとバレエと「日曜美術館」ぐらい見て、ありゃりゃ、何だか結局クマどんはずいぶんテレビッ子なのであるが、あとはサッサとホントの世界を見てこようじゃないか。
ボストン
(ボストン、爆破テロの現場)

 この場合、きっと「世界を見てくる」という言い方に問題があるのだ。「見てくる」と視覚だけに焦点を当ててしまうから、それならテレビの旅番組でいい、ネットでもいい、そういう賢い「さとり」に陥ってしまう。正確には、「世界のニオイを嗅いでくる」「世界に触ってくる」「世界中を舐めてみる」である。
 乃木坂の新国立美術館で「貴婦人と一角獣」のタピストリーを展示中。里芋サト助は、高3の秋に買って読んだホイジンガ「中世の秋」(中公文庫)の表紙以来、このタピストリーが大好きだ。
中世の秋1
(ホイジンガ「中世の秋」中公文庫)

 ただし、「高3の秋にそんなもの読んでるから東大に落ちるんだ」と言われれば、返す言葉もないわけだが、諸君、展覧会ならいいだろう。行ってきたまえ。来年の世界史には、メッタに出題されないヨーロッパ中世が出題されるかもよ。ついでだから、行き帰りの電車でホイジンガも読みたまえ。今井講演会の冒頭で、しょっちゅう登場する、あのホイジンガどんだ。
 タピストリーのテーマは、「視覚」「味覚」「聴覚」「嗅覚」「触覚」、そして結論が「愛」である。世界が好きになるためには、見るだけじゃなくて、クンクン匂いを嗅いだり、舐めちゃったり、触ってみたり、目にだけ頼ってちゃダメみたいなのだ。
中世の秋2
(鏡に見入るユニコーン。これは「視覚」でござるね)


1E(Cd) 東京交響楽団:芥川也寸志/交響管弦楽のための音楽・エローラ交響曲
2E(Cd) デュトワ&モントリオール:ロッシーニ序曲集
3E(Cd) S.フランソワ& クリュイタンス・パリ音楽院:ラヴェル/ピアノ協奏曲
4E(Cd) Paco de Lucia:ANTOLOGIA
7D(DPl) 梅若六郎 宝生弥一:観世流 隅田川
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