Sat 110924 複式夢幻能の話 吉祥寺で収録、絶好調 半蔵門のインド料理、旨かった | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 110924 複式夢幻能の話 吉祥寺で収録、絶好調 半蔵門のインド料理、旨かった

 昨日のブログを読んだ感想を複数のヒトに尋ねたが、筆者として期待した分析が返ってくることは、残念なことに一度もなかった。うーん、日本の国語教育はどうなっとるんじゃ。
 映画ファン諸君、演劇ファン諸君。キミたちはもっともっと努力して、優秀な観客の開発なり、観客の教育に努めなければ、映画の未来も、演劇の未来も、極めて暗澹たるものになってしまう。「好きなように観ればいい」というのは、正しいように見えて、実は制作者の責任放棄にすぎないことが多い。
 筆者・クマ蔵が気づいてほしかったのは、冒頭部「カネタタキ一家」と、結末の「リシュボア・ファド一家」のパラレルな関係だったのだ。
 クマ蔵を感動させるべく、「秋霜烈日なにするものぞ」と鉦をたたき続けるカネタタキ一家が冒頭に登場するのは、「経済危機なにするものぞ」と歌い踊り続けるリシュボアのファド一家の登場を予告するものだった。
 映画監督を目指すキミ。演出家を目指すキミ。小説家を目指すアナタ。キミやアナタが昨日のブログを読んで、万が一クマ蔵の仕掛けた伏線に気がつかなかったなら、さすがにちょっと勉強不足。下北沢で友人と酒を酌みかわし、激論を戦わせるのもいいが、一度クマ蔵に連絡して、演劇・映画・小説の基本をチャンと解説してもらったほうがいい。
 映画でも演劇でも、冒頭の10分は全編2時間を要約する激しいエピソードで、観客を一気に舞台やスクリーンに引きずり込むのが基本。どんな戯曲でも、冒頭5ページでその主題を要約し、そのテーマを明示するのが礼儀である。
 「礼儀とか定番とか基本を度外視するほどの才能がある」と信じるほどのヒトなら、話は別だ。その並外れた才能を見いだしてもらえればヨシ。万が一「世間がバカ」で、礼儀も定番も一切無視するアナタの流儀を世間が嫌悪するなら、野垂れ死にするか、ドロップアウトして別の業界で生きていくか、その覚悟が出来ていなければならない。
今日飲んだ白ワイン
(今日飲んだインドの白ワイン。「青唐辛子の香り」と恐るべきことが書いてある。詳細は後半で)

 しかし諸君、万が一「野垂れ死にはイヤ」「古代ギリシャ演劇以来の伝統に連なりたい」というオーソドックスな嗜好があるならば、「ははん、今井は記事冒頭で秋の虫一家のツブヤキを論じ、それをいったん船橋講演会のオブラートで包んだ後で、巧みにリシュボアのファド一家の話題に移行したな」ぐらいは理解しなければならない。
 いや、それどころか、船橋講演会への言及だって、今井クマ蔵は冷静に計算済みなのだ。いくらか能の世界に親しんだヒトなら、「複式夢幻能」を知っているはず。カネタタキ一家は「前シテ」。船橋講演会は「アイ」。リシュボアのファド一家こそ、能の真の主人公「後シテ」なのだ。
インドの店員さん
(今日、ちょっと仲良くなったインド人。詳細は、後半で)

 「そんなのメンドイ、それより予備校講師の身辺雑記を読みたい」と溜め息をつくキミ。これは大チャンスだ。カンタンに能の基本構造を知りたくないかね。能の構造を模倣して、映画を制作、演劇を演出、小説を執筆してみたくないかね。キミにだって、クリエイティブな仕事に加わるチャンスはいくらでもあるはずだ。
(1) 能の冒頭、観客の一員としての「諸国一見の僧」の前に、本当の姿を隠した「前シテ」が登場して、ごく平凡に演劇全体の構成と主題を予告する。主題は「男の不誠実」「人生のはかなさ」「女の執念の恐ろしさ」「ひたむきな愛情の悲劇」などだが、あくまで予告に過ぎないから、問題意識が深くなり過ぎないように、自嘲や軽薄な諦観を交えながら淡白なセリフに留める。
(2) 「アイ」が登場して、ごく遠回しに主人公の悲劇に言及する。能と狂言の入り混じった舞台として、主人公の悲劇を、喜劇的に表現してみせる。能自体が悲劇であるぶん、「アイ」の舞台は逆に喜劇的に演じて、全体としての悲劇性を高める効果を狙う。
(3) 主人公=後シテが、観客代表の僧侶の前に「ホントの姿」を現す。「ホント」は、小野小町か、和泉式部か、源義経か、深草少将か。夢かと驚く僧侶の前で、真の主人公=後シテは、
「女性の美しさに迷って零落した愚かさ」
「自分の美しさが永遠であると信じた愚かさ」
「自分のもつ鏡が、真の世界を映す鏡であるプライド」
など、霊魂や鬼神や怨恨の化身でなければ語れない真実を語る。僧侶は、観客の代理人として彼らの嘆きに聞き入り、念仏によって彼らの魂を鎮め、慰める。霊魂や鬼神の登場によって、「あの世」に向かって激しく開かれてしまった能の演劇空間は、彼ら僧侶の祈りによって、ようやく安全に閉じられる。
 うにゃにゃ、どうだい。昨日のカネタタキ一家は「前シテ」。リシュボアのファド一家は「後シテ」。今井クマ蔵のヤクドコロは、ワキの「諸国一見の僧」。確かに、この9月~12月、合計41回の講演会・諸国行脚は、「諸国一見の僧」を自称しても罰は当たりそうにない。
今日食べたカレー
(今日食べたカレー。詳細は、これまた後半を読んでくれたまえ)

 というわけで諸君。10月18日の今井君は、午後1時から5時まで、吉祥寺スタジオで久しぶりに授業収録。テキストは「英文読解(下線部言い換え)」。合計5講のうち、第1講と第2講を収録した。
 まあ、さすがにクマ蔵だ。失敗したり、カメラをストップしたり、その種の失敗は一切ナシ。第1講も第2講も、出演している自分でも恐ろしくなるほどスムーズに進行して、「誰が見てもベスト」「誰が見ても絶好調」「誰が見ても間違いなくサイコー」という仕上がりになった。
 現高3生なら、国公立志望/難関私大志望を問わず、全員何が何でも受講すべき講座である。切羽詰まっていればいるほど、受講する価値アリ。これから高3になる高2生諸君も是非受講したまえ。普通の予備校の授業1年分を1回か2回でカバーできるはずだ。
「3ヶ月もナマ授業から遠ざかっていた」
「つい1ヶ月前まで2週間もギリシャに滞在してノボセあがっていた」
とはとても信じがたい、目一杯緊張感があり、しかも90分大爆笑ができる。信じがたいことに「いま7割得点できる実力を、8割→9割得点できるようにする」という奇跡の講座だ。
収録したテキスト
(今日収録したテキスト。今井は絶対の自信をもってお勧めする)

 収録終了後、四谷から半蔵門に出て、東京FMの近くに新しく出来たインド料理店「Dipmahal」で激辛カレーに挑戦した。諸君、忘れてないか。今井君は今年2月下旬に東京FM「スクール・オブ・ロック」に60分もナマ出演したのだ。早い機会にまた出たい。前回の余韻が残るうちに、早く出たい。
 万が一東京FMのヒトに出会ったら、その辺をアピールしたい。レギュラーで英会話講座をやったって、全然構わない。そう言えば、昔の生徒が毎日新聞に就職したばかりなので、そっちの方面からの連絡も熱烈歓迎だ。カレーは「激辛」の注文を避けたけれども、マスコミ出演にかける今井君の熱意は、24時間365日、意地でも激辛のママである。
シシカバブ
(今日、ちょっと余計だったシシカバブとタンドリーチキン。次回この店に出かけるときは、コースでなく単品で攻撃しようと思う)


1E(Cd) Kubelik & Berliner:DVOŘÁK/THE 9 SYMPHONIES 1/6
2E(Cd) Kubelik & Berliner:DVOŘÁK/THE 9 SYMPHONIES 2/6
3E(Cd) Kubelik & Berliner:DVOŘÁK/THE 9 SYMPHONIES 3/6
4E(Cd) Kubelik & Berliner:DVOŘÁK/THE 9 SYMPHONIES 4/6
5E(Cd) 柳ジョージ&レイニーウッド ゴールデンベスト
total m115 y1301 d7262