Wed 110302 祝!!! 第1001回 とりあえず2000回を目指して、まず原点に戻る | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 110302 祝!!! 第1001回 とりあえず2000回を目指して、まず原点に戻る

 今から数百年前、早稲田大学政治学科1年生になった今井クマ蔵は、ドイツ語クラス(1年5組)での自己紹介で「私は、作家志望です。というか、『志望』などというものではなくて、すぐに作家になると思います」と、真顔で宣言した。悲鳴に似た歓声が上がって、「秋田から来たバケモノ」のコワいもの知らずの勇気を、みんな噴き出しつつも讃えてくれた。
 クラスの約40名は、ほとんど全員が東京大学に不合格になったばかりで、不機嫌の絶頂。しかしそれでも、失笑とか嘲笑とか冷笑とかいうイヤな笑いではなかった気がする。
「国家公務員志望です。地方でもOKです」
「マスコミ志望です。テレビ局がいいです」
「灘中→灘高→2浪して、落ちこぼれ放題に落ちこぼれて、ついにここにやってきました」
「来年も受験するつもりです。つまり仮面浪人です。おそらく来年はここにいないと思います」
など、超現実派の中に、ポッカリ登場した「まもなく作家になるでしょう」宣言は、重苦しい雨雲の真っ只中に浮かぶパチンコ屋開店のアドバルーンよろしく、たいへんノホホンとした穏やかな眺めだったのだろう。
らほーる
(今井の原点:春日部のカレー屋・ラホール)

 あの日の今井君は、東大コンプレックスの嵐または渦巻きの中で、自らも激しい東大コンプレックスに苛まれつつ、あえてピエロになってみたわけだ。それにしても「すぐに作家になる宣言」とは、何ともナイーブというか、素朴&純朴を絵に描いたような田舎高校生というか、まさにニャンとも困った御仁だったことになる。
 しかし、本人としては冗談でもなんでもなく、ホントにその年の夏には作家になるつもりでいたのだった。医学部志望も弁護士志望も大学教授志望も、高校2年3年のときに既に経験済み。明らかに、どれも自分にミスマッチ。東大コンプレックスや医学部コンプレックスを強引に振り払って明るく振る舞うには、もう「作家志望」ぐらいしか残っていないではないか。
 その辺が、入試で大失敗した後の若者のつらいところである。どんな夢や志望を口にしても、「今に見てろ!!」「見返してやるからな!!」「いつか、大逆転!!」の類いの悔しさから逃れにくいのである。
 「医者になるぞ!!」「司法試験突破を目指すぞ!!」と叫んでも、「医師や法曹として何かやりたい仕事があるのか?」といえば、そういうことではない。
「自分は東大文Ⅰに入れなかったが、高校時代に自分よりダメだった連中が、ドイツもコイツも文Ⅰに合格。文Ⅱや文Ⅲや京大に逃げたヤツもいる。よおし、国家公務員試験にチャレンジだ。近い将来見返してやる」
という種類の、悔しさのカタマリに過ぎないヒトビトが多いのである。うーん。あんまり見栄えのいい光景ではない。
 ならば、例えどんなに素朴&純朴に見えたとしても、「作家になります宣言」だってちっとも失笑の対象にはならない。すでに他の志望にはチャレンジ済みで、残りの選択肢が少なかったというだけのことである。一方的に冷やかされなければならない言われはない。
らほーる2
(春日部「ラホール」のジャンボハンバーグ)

 どんな作家になるつもりだったか、それはなかなか理解してもらえないと思う。今井君が書きたかったのは、「ガリバー旅行記」の後半か、ダンテの「神曲」のようなもの。ガリバーの後半には「ラピュタ」も「ヤフー」も登場する。神になりそこねた銅製の男の活躍を書くつもりで、1作書いたらそれで終わり、もう何も書かずに別の職業に専念しよう、そういう予定だったので、作家でいるのはホンの3~4年と思っていた。
 そういう予定も、来る日も来る日も酒を飲んで酔っぱらっているうちに自然消滅。すでに数百年が経過してしまった。今ではクマ蔵ももう老いさらばえて、コケも生え、カビも生え、ヒビも縦横に走っているが、「神曲」か「ガリバー」なら、今でも書きたいのである。
ばんらい
(春日部、ラーメン屋「おなかの友達・萬来」)

 だから、数百年前のあの日、今井君がなろうとしていた作家というのは、「売れる作家」ではない。21世紀も中頃が見えてきた2011年、今井ブログでさえ「長過ぎてとても読めない」というヒトが大勢を占めている世の中で、まさか「ガリバー」や「神曲」の続編みたいなものを、興味をもって読んでくれるヒトはいないだろう。
 男女が出会ったり出会わなかったり、キッカケは「行きずり」だったり「出会い系サイト」だったり、愛したり愛し合わなかったり、ダマされたりダマされなかったり、寿司屋に入ったり入らなかったり、雪が降ってきたり雨が降ってきたり、裏切ったり裏切られたり、憎み合ったり憎み合わなかったり、命を奪ったり奪われたり、その類いの「よく売れる小説」を書く欲求は、今井クマーニーには全くない。
雷門
(春日部の帰り、浅草に立ち寄った)

 ま、この1001回はそのあたりの懺悔&告白だったということで、軽く理解してくれたまえ。グワっぽ。「原点に戻る」というのも、それである。1年に1度、年賀状をやりとりするだけの友人でも、「そういえば、今井って、作家になるはずじゃなかったっけ?」と記憶しているのだから、あの日の「純朴!! 作家になります宣言」のインパクトは、よほど強力だったのだ。
 ついでに、もう1つの原点に帰ろうと思って、3月初めの今井クマ蔵は、埼玉県春日部市に出かけてきた。春日部にどういう原点があるかといえば、カレー屋「ラホール」である。電通をヤメた直後、ホントに暗澹たる気持ちで塾の講師を始めた、その原点が春日部。「ラホール」のインドカレーは、当時の今井君の数少ない喜びのうちの1つであった。
あさひビール
(浅草駅付近から見たアサヒビールとスカイツリー)

 その段階でもまだ「すぐに作家になる宣言」は撤回していなくて、塾講師はあくまでアルバイト。それなりに大きな塾とは言え、春日部校舎には正社員が4人しかいない。しかもその4人が4人とも、別の会社からのドロップアウト組。夕食に誘われて「ラホール」に入り、みんな別々の暗澹たる思いでカレーをかき混ぜる姿を、同じように暗澹としながら眺める日々であった。
 巨大な「ジャンボハンバーグ/インドカレー辛口」を猛スピード平らげただけで、あまりの満腹感に、もう何もする気がなくなった。もともと春日部で何かする予定などなかったのであるが、わざわざ1時間半もかけて出かけた春日部なのに、カレー1皿平らげてすぐに帰るのは、またなかなか贅沢な行動であった。
浅草とこや
(浅草駅付近で床屋さんへ。丸刈り君の原点に回帰した)

 帰り道、浅草に立ち寄った。浅草に何か別の原点があるというのではない。春日部から乗った電車が「区間快速電車」で、北千住の次はもう終点=浅草だったのである。浅草から見るスカイツリーは、この日世界一の高さになったばかり。それもまた原点に戻って2000回を目指す今井君にふさわしい眺めであった。
 ついでだから、浅草駅下の床屋さんに入った。久しぶりにスッキリ5mmの丸刈りにして、これもまた原点回帰行動のうちの一つである。寒い1日で、午後3時にはもう薄暗くなってしまった。寒いので、鰻屋にはいって熱燗4合、あっという間に飲み干した。
 カレーのせいで満腹だったから、「鰻屋で鰻を食べない」という妙竹林な客だったわけだけれども、熱燗4合を30分もかからずに飲み干して、酔眼朦朧と店内を見回せば、これもまた明らかに今井の原点そのものなのであった。