Sun 091220 リンパ液ダラダラ、絆創膏ペラペラでのウィーン出発 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 091220 リンパ液ダラダラ、絆創膏ペラペラでのウィーン出発

 ただ、(すみません、昨日の続きです)ここまで目立つ傷をヒタイにくっつけてみると、「これも報いなのかね」という気分にもなる。どういう報いかといえば「ふざけすぎの報い」であって、数日前から「市川カニ蔵」などとフザけた名前をつかって自分の写真をブログに掲載しつづけたのは、この旅行で自分のヒタイの傷を写真に撮り続ける予行演習だったのかもしれない。無闇に自分の顔の写真など撮るものではない。
 12月14日朝、ちゃんと予定通り4時に起きて、大急ぎで2週間分の荷物をパックし終えたのが6時まえ。ヒタイの傷の状況は予想以上に悪くて、ひっきりなしにリンパ液が目のほうにタラタラ垂れてくる。鏡を覗き込むと、ヒタイだけではなくて毛の生えている頭のほうまで真っ赤に腫れ上がって、これはちょっとこのままでは人前に出られない。フランクフルトからEUに入ることになっているが、入国審査で不審がられることだって考えられる。
 大急ぎでお風呂に入って、絆創膏を貼ってごまかそうと考えたのだが、風呂から出た瞬間にこの企画をふと失念してしまい、再び大量のオロナインを塗ってしまったせいで、今度はどんなに努力して絆創膏を貼ろうとしても、すぐにペロリとはがれてしまう。ありゃりゃ、こりゃ失敗だ。そうこうしているうちに出発予定の7時が近づき、絆創膏は結局あきらめて出かけることにした。半分はがれた絆創膏を冬の風にペラペラさせながらの出発など、情けないにもほどがある。というより、ハッキリ言って前代未聞である。

(巨大スーツケースとリュック、マキロンも)

 朝7時の代々木上原駅は、言語道断の大混雑である。町田や相模原から小田急線でここまできて、終点新宿まで行くより、ここで千代田線に乗り換えて霞ヶ関なり日比谷なりに向かうほうが主流だから、その乗り換えでほとんど修羅場のような混雑になる。日比谷までせいぜい15分なのだが、その15分をどうしても座っていきたいという疲れた乗客たちが、なんでもいいから突き飛ばして列に殺到、その迫力は壮絶なものである。
 その壮絶&言語道断な修羅場の真ん中に、10年も使い古したリュックを背負い、巨大なスーツケースを引きずり、巨大な絆創膏をペラペラさせ、ペラペラたなびく絆創膏の下からは血液の混じったリンパ液をタラタラしたたらせた中年のオジサンが登場したサマを、ちょっと想像してみたまえ。言語道断に輪をかける混乱を引き起こさないほうが、むしろ不思議なのである。

(2007年12月ニューヨーク、2008年12月ロンドンを踏破した靴。新宿南口ヴィクトリアで2007年に購入。今回の東欧旅行でついに破れてしまった。プラハのホテルの浴室にて)

 ふと気づくと、こちらのほうをいかにも嬉しそうに見つめている40才がらみのオジサマがいる。「噴き出しそうな」というより、もうワンランク上の嬉しさに、顔中が輝いている。「口を閉じるのも困難」という感じの、顔が曲がるほどの笑顔である。可能性は3つ。
(1)ペラペラの絆創膏とタラタラの赤いリンパ液という眺めが3度の飯より好きな、ちょっと変わった、しかし底抜けに明るいオジサンである。
(2)かつて教えた生徒である。教えた生徒の最年長はすでに35歳ぐらいだから、ちょっと老けていれば40歳に見えないこともないだろう。特に駿台の生徒は、昔は老けたヤツが多かったから、彼は驚くべき再会に今や息を弾ませながら「声をかけたい」「でも恥ずかしい」「しかもシチュエーション的にヤバいんじゃね?」と、モジモジ君になっている。
(3)今の生徒のご父兄である。この沿線でも、町田校などでの父兄会はもう3度こなしているし、そのたびに大好評だった。東進の授業をVODで受講している生徒のパパやママやおばあちゃんが、横で一緒にみていて「生徒自身以上に今井ファンになっちゃった」ということも少なくない。
 ま、そういうことを考えてリンパ液も止まるほどに悩んでいたら、彼はいつの間にか千代田線に吸い込まれ、カニ蔵くんも新宿行きの小田急線に押し込まれて、さあ、いよいよ東欧旅行が始まった。それにしても、これほど激しい旅行の始まり方が考えられるだろうか。

(左1列ハンガリーのフォリント。右1列チェコのクローネ)

 成田発12時過ぎのANAのフランクフルト便で出発。成田でハンガリーの通貨フォリント4万円分と、チェコの通貨クローネ4万円分を手に入れて、機内では大好きな一番後ろの席で大いにくつろいでいった。ルフトハンザやエールフランスなら「エコノミーではワインはプラスティックのコップに半分だけ」だが、ANAならちゃんとボトルに入ったワインを4本でも5本でもデカい顔をして飲むことができる。まあ、ケガのことさえ考えなければ、決してまんざらでもないのである。
 しかし、何といっても「リンパ液だらだら」「ときおり血液もタラリン」でそのたびに「絆創膏ぺらぺら、ぺらりん」という情けない有り様である。新宿駅のドラッグストアで新しく購入した大判の絆創膏も、早くも数に限りが見えてきて、情けないことこの上ない。まあ、それでも、12時間後にはフランクフルトに無事に到着。幸い、EUへの入国審査でどうこういうこともなかった。勝手知ったるフランクフルト空港で(詳しくはSun 081109/Mon081110/Tue 081111参照)2時間待って、ウィーン行きに乗り換えた。

(チェコ紙幣のかわいいおじいさんたち)

 その飛行機が最近オーストリア航空に合併されたらしい「チロリアン航空」。おお、驚くなかれ「チロリアン航空」である。大昔、NHK人形劇に「チロリン村とクルミの木」というのがあったが、まあ似たようなものである。今井のクマどんは、むしろその後の「ひょっこりひょうたん島」「空中都市008」「ネコジャラ市の11人」で育ち、「新八犬伝」で卒業した世代であるが、親や姉の世代なら「チロリン村とクルミの木」は絶対の存在。そのチロリアン航空である(もちろん関係は皆無である)。
 「ちゃんと飛ぶのか」「落ちたりしないか」「すきま風は寒くないか」「何より、荷物がちゃんとウィーンまでついてくるか」いろいろ心配したが、得体の知れないペースト状の塩辛い果実(おそらくナスを甘辛く煮たもの)を挟んだサンドウィッチを食べさせられたこと以外、特に問題なしにウィーンに到着。12月14日、午後8時であった。