震災後のTLから-べろさんのツイート | いりふさんの日常

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東北関東大震災から12日が経ちました。
この地震に、うp主が仲良くさせていただいている
実況プレイヤーべろさんが遭われました。

以下は、べろさんが昨夜(3月22日(火)夜)、
ツイッター上に投稿した書き込みです。
震災の日の様子がつぶさに描かれています。

タイムライン上でこのまま流れてしまうには
あまりに貴重な内容だと思い、当日夜のうちに
べろさんご本人に連絡を取り、当ブログに
記事として掲載する許可をいただきました。

改行を当ブログの幅に合うように入れ、
ツイートとツイートの間は空白行にしました。
尚、本文中に出てくる「べつま」さんはべろさんの
お友達で、一緒に実況動画も上げています。

平素、当ブログの記事は極めてゆるいテンションで
書かれておりますが、この記事だけはどうか
心してお読み下されば幸いです。

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よし、そろそろ書き始めようかな。

震災当日の話

自分は友人宅からの帰り足で、
港に程近い場所を歩いてました。

(有名なアウトレットの近く)突然足元がふらついて、
なんだと思いきや地面が割れ、即座に近くの手すりに
捕まりながら目の前にいたお婆さんを支えてました。

揺れが収まってきて、辺りがガヤガヤなり始めると
今度は「ゴゴゴゴゴっ」という音と共に津波が
来ていたのを目視できました。

「ヤバイ」という言葉しか頭のなかに浮かばず、
お婆さんを抱えて逃げれるとこまで逃げることにしました。

近くにいた一人の青年(イケメン)が「こちらの建物に
避難しましょう!」と叫び辺りにいた数名がそれに
付いていく形になりました。

この時、水位は太股より少し上まで来てました。
終止震えているお婆さんを濡らさないように抱き上げて
一歩一歩流されないように歩いて階段まで辿り着くと、
先程のイケメンが手を貸してくれました。

勢いを増し続ける波に色々な物が流されて行くのが
窓から見えて、初めて見る悲惨な光景に体が震えて
死を身近に感じました。
港にズラリと並んでいたトヨタの新車が続々と
流されて行くのもただただ黙視するだけで精一杯で。

次第に辺りが暗くなり、狙い済ましたかのように吹雪始めて
大地震・大津波・猛吹雪のジェットストリームアタックが完成

「何かしなくては」と思いましたが何も出来ず
某SNSサイトなどで気丈を装い 有益な情報を
仕入れては拡散し。という作業を行ってました。

携帯の充電が無くなりつつある時 外は本格的に暗くなり始め、
泣き崩れている子供連れの若いママさんを先程のイケメンが
慰めたり。
俺はお婆さんと幾人かの子供の相手をしながら、
夜特有の暗さからどうにか遠ざけたいと思い明るく
行動していました。

お婆さんが自分のバッグから財布を取り出して、
さらにその中からお婆さんの娘さんの携帯番号が書いてある
一枚の紙を抜き出してくれた。

「充電がなくなる前に」と思い何度も電話をかけたんですが
中々繋がらりませんでした。気休めにしかならないと
わかっていながら屋上に登って電話をかけてみました。

すると奇跡的にコールがなり、「出てくれ」と思いつつ
約十回目のコールで女性の声が聞こえてきて安堵。

現状を報告し、そして時間と場所を五つ指定して
待ち合わせすることに。
(第一の時間に待ち合わせ場所にいない場合「まだ避難できて
いないので次に指定した時間に待ち合わせしましょう」ということ)

少しずつ 朝になるにつれて水位が下がっていき
「動ける内にもっと安全な場所へ」とイケメンの
イケメンポイントがぐんぐん上がっていくので…、
とまぁそんなことより第一に指定した待ち合わせ時間も
近づいていたのでお婆さんを連れて皆と離れることに。

待ち合わせ場所に着くと、そこには娘さん夫婦が待っていて俺安堵。

そこから程近い自宅へ全力疾走で向かう。

腰につけていたため濡れてしまったキーケースを取り出して
急いで玄関を明開けて中に飛びこんで母の部屋へ

ドレッサーがベッドの上に乗っかっていて、俺は「まさか」と
思いながら回り込むとそこに母の姿は無く…

携帯の充電もなく、電気もつかない。とにかく真っ暗で
一度ぐちゃぐちゃな家中を玄関まで戻り懐中電灯をなんとか
見つけ出して家の中の被害を調べることに

そのとき玄関から「いてっ」と聞こえてきて、母が帰宅してきた。
「地震大丈夫だったの?」と聞くと「あんたが五回死んで、
やっと一回死ぬレベルだから。」と返されちょっと和んだ。

家の中を少しずつ片付けてると、外から泣き声が聞こえてきた。
こんな朝方におかしいと思い外に出てみると。恐る恐る懐中電灯を
当ててみると、母の知り合いの四歳になる女の子が立ち尽くしていた。

話を聞くと両親が家に戻って来ず。不安で唯一知っている俺の家まで
暗い中歩いてきたのだという。

とりあえず家で面倒見ることになり、外も明るくなってきたので
今後どうするか必死に考えて出た答えは まず情報を集めること。

その後数日間はそれの繰り返し、携帯の充電は無いままだったので
その間ラジオの安否確認で名前を呼ばれて少し嬉しくなった。
その分へこんだ。

母と母の彼氏さんが急にカップラーメンなどを買い占め始め、
それに少し苛立った僕は一部を持って べつま宅へ向かうことにした。

べつま宅にてお互いの無事を確認し、べつま宅は
電気が復旧していたので携帯を充電させてもらった。

女の子の兄貴さんにすぐさま電話を入れ現状を話して、
その子を迎えに来ることになった。

俺は翌日から友人と各避難所を回って手伝えることを手伝ってます。
確認出来るだけで多くの友達が亡くなっており、
未だに安否の確認が取れてない 友達や知り合いもいます。

俺にとって忘れられない出来事だし、亡くなった友達も戻ってこない。
けれど生きてる方は生きなきゃならない。

なので、まだまだやれることがあると思うので
明日からも気合い入れて笑顔でいってきます。

これで一応、被災からここまでの話は終わりです。
出来事を述べた単純なものですが、細部を話すと
人が目の前で亡くなった瞬間も見ているので暗くなりすぎると思い、
ツイートできるものだけお送りしました。

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この文章で特筆すべきは、べろさんがツイッター上にこの文章を
投稿していることだと思います。彼はこの文章を下書きなしで
書き切っています。今月11日の午後の出来事が、彼にどれだけ大きな
衝撃を与えたかを、推して知ることができると思います。

この状況が、今現実にこの国に横たわっていることを、
忘れずにいたいと思います。
べろさんのツイッターと実況動画はこちらから。

ツイッター http://twitter.com/#!/bellows_bero
実況動画 http://www.nicovideo.jp/watch/sm13227551