ヨハネ20章14、15節 イエスであることが分からなかった(8) | ヨハネ福音書20章 21章

ヨハネ福音書20章 21章

ヨハネ福音書をとおしてイエス・キリストを知る

ヨハネ20:14,15節

彼女はこう言ってから、うしろを振り向いた。すると、イエスが立っておられるのを見た。
しかし、彼女にはイエスであることが分からなかった。

イエスは彼女に言われた。「なぜ泣いているのですか。誰を捜しているのですか。」
彼女は、それを園の管理人だと思って言った。「あなたがあの方を運んだのでしたら、どこに置いたのか言ってください。そうすれば私が引き取ります。」


ついに復活のキリストがマリヤの目の前に現れました。
問題のただ中で泣いているマリヤの目の前に、
圧倒的な復活のいのちを持って、立たれているのです。

あなたや私にもそうなのです。

「この問題は神様でも無理」と思い込み、問題を握り締め、絶望の淵に立たされていると
自分で思い込んでいる時、人間にとって絶対不可能な死も乗り超えられたイエスが、
復活のいのちで、あなたの目の前に立っておられる。これが神の変わらない現実なのです。

そして、「泣く必要がないのに、なぜ泣いているのか。捜す必要のない人を、どうして、捜しているのか。」
と語りかけているのです。


イエスは、この地上生活の充実だけでなく、肉体をズルリと脱ぎ捨てた肉体の死後、
本物のあなたのいのちが、まっすぐ天へ向かい、父の元へ上っていけるよう、
復活のいのちで現れてくださった。


そして、マリヤと共に生きるためにマリヤの目の前に、あなたと共に生きるために、あなたの目の前に、
圧倒的な復活のリアリティで、立って、おられるのです。

しかしマリヤは、こともあろうに、目の前におらるイエスを、園の管理人だと思ってしまったのです。
マリヤの気持ちも、分かりますよね。絶対に死んでしまって、生きてるなんて全く、頭にないんだから。

でも、イエスの立場になって考えると、ガックリだと思わない・

たったの三日で、園の管理人に間違えられちゃったんだから。

あなたがイエスだったら、どう反応します?
私だったら、怒ってしまうかも.。

でもマリヤのイエスへの愛は、とてもとても強いですね。

「あなたがあの方を運んだのでしたら、どこに置いたのか言ってください。
そうすれば私が引き取ります」

イエスのであったとしても、遺体 ですよ。引き取りたいと思いますか?

でもマリヤは、本気でそう、言ったと思います。

でも、復活の主は、マリヤの世話になるのではなく、マリヤを、世話以上の世話、
復活の喜びで満たすために、マリヤの目の前に立たれたのです。