思春期の女の子が可愛く見える考慮が一つもない制服に身を包み、不器用な私たちは確かに格好悪い存在だった。
悩んだ彼女をどの程度受け止められてのかは分からないし、泣いた私をどれだけ救ってくれたかも分からない。
それでも一緒にいたのだ。時間を共有したと言うだけで、最大の価値を生んだ。
先日、息子を連れて友人に会いに行った。
友人は結婚をせず仕事をし、都心の瀟洒なマンションに一人で暮らしている。
今知り合ったとしても、リンクするものを探すのは難しい程の暮らしの差だ。
なかなか会えないし、話もゆっくり出来るわけじゃない。
相談事をすぐに出来るような位置にもいない。
だけど私は彼女の持つ深さや広さ、温かさを最もよく知る一人だと、未だに言い切れる。
友人は、手料理でもてなしてくれた。
普段、家族の健康管理をする主婦の私は、友人の作った健康的な料理に安心する。
だから「あんまり飲み過ぎちゃ駄目だよ。毎日お味噌汁くらいは自分のために作りなよ」って言葉は言って来なかった。
私の友情、最近は母性入りだ。