三陸の津波対策の知恵 | いわき市台風被害掲示板★南相馬、浪江町、双葉町、錦、勿来等

三陸の津波対策の知恵

 このブログの日記は書かないと宣言していましたが、どうしても伝えたい情報がありましたので、お伝えします。

 本日の読売新聞夕刊最終面に、津波から身を守る上で、非常に大切な考え方について掲載されていました。以下、無断転載、御容赦ください。

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三陸の津波対策の知恵


東日本巨大地震による津波で大きな被害を受けた岩手県釜石市と大船渡市で、津波に備えた知恵や工夫が奏功し、多くの子供たちの命が救われた。


 釜石市では、津波から身を守る方法として三陸地方に伝わる「津波てんでんこ」が効果を発揮。大船渡市では、学校から高台へ素早く逃げられるよう、父母らの訴えで昨年秋に完成したばかりのスロープでの脱出劇があった。

 ◆過去の教訓◆

 死者・行方不明者が1200人以上に上った釜石市では、全小中学生約2900人のうち、地震があった3月11日に早退や病欠をした5人の死亡が確認された。しかし、それ以外の児童・生徒については、ほぼ全員の無事が確認された。

 市は2005年から専門家を招いて子供たちへの防災教育に力を入れており、その一つが「てんでんこ」だった。度々津波に襲われた苦い歴史から生まれた言葉で、「津波の時は親子であっても構うな。一人ひとりがてんでばらばらになっても早く高台へ行け」という意味を持つ。

 学期末の短縮授業で184人の全校児童のうち約8割が下校していた市立釜石小。山側を除くほとんどの学区が津波にのまれたが、児童全員が無事だった。学校近くの住宅街で友人と遊んでいた同小6年の藤元響希(ひびき)君(12)は「家族や家が心配だったけど、無意識に高い方に走って逃げた」。その後、避難所で家族と再会できた。


 「てんでんこは、家族の信頼があってこそ実現する言い伝え。意味は非常に深い」。そう話すのは、同市の防災危機管理アドバイザーで群馬大学大学院の片田敏孝教授。同氏によると、1896年の明治三陸地震の時、家族が助け合おうとして逃げ遅れ、地域そのものが壊滅するというケースが相次いだ。宮古市田老地区では町民1859人が死亡し、生き残ったのは36人だけだった。教訓として三陸地域に「てんでんこ」という言葉が生まれたと言う。

 同教授は、「てんでんこ」の大切さを学んでもらおうと、05年から市内全小中学校14校で特別教育を実施。「自分1人で避難することは心苦しいが、家族の居場所を確認し合う行動こそが危険。互いに『必ず避難してくれている』と信じ合うことが大切だ」と訴え、高台に駆け上がる避難訓練のほか、算数に津波の速度計算を取り入れたり、同とっくの時間に津波の話を扱ったりもしてきた。避難できる高台を歩いて探させ、地図に記す防災マップ作りなどにも取り組んだ。

 ◆互助精神◆

 てんでんこは、離れた場所にいる肉親を津波前に探しに行くことをやめるという趣旨だが、近くに居る人への互助精神は含んでいる。


 釜石東中では、地震直後、校内放送が故障し、避難を呼びかける放送を流せなかった。しかし、生徒達は訓練通り、校舎や体育館を飛び出し、校舎から校庭に出て避難しようとしていた鵜住居小の児童の手を引きながら高台に逃れた。たどり着いた峠は、学校から2キロ以上離れていた。

 片田教授は、「授業で想定を越える津波もあると何度も言ってきたが、これだけたくさんの子ども達が助かったのは奇跡に近い。子ども達は自分の判断でよく対処した」と評価した。

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 以上。我が家でも中3の子供に読んで聴かせました。