玉山秀之さんの告別式 | いわき市台風被害掲示板★南相馬、浪江町、双葉町、錦、勿来等

玉山秀之さんの告別式

 タマチャールズこと玉山秀之さんの告別式があり、岩手まで行ってきました。


 来られなかった方のためにご報告致します。


 胆沢区の若柳体育館に1000人ぐらいの人が集まりました。


 ああいう盛大な告別式は、仕事関係のスポーツ関係者では多いですが、プライベートでは初めてです。


 ジョージさんの車に乗せていただいて、開始時間ギリギリに到着したら、席はすべて埋まり、立ってみている人がすでに数十人はいました。


 場内を見回してびっくりしたのは、遺影です。私が20年ほど前に、ライブの時に撮ったものが使われていました。


 ストロボをたくとのっぺりとした写真になるので、ストロボをたかずに撮ったものだったので、記憶がありました。確か感度3600ぐらいのフィルムを使ったと思います。普通のフィルムの感度は200ぐらいですから相当の高さのものでした。


 私は新聞記者で、駆けだしだったので、自分の記事には自分で撮った写真を使わなければなりませんでした。なので、当時の私は、結構、室内で撮影する方法を研究していたのでした。


 8人の方々が弔辞を読み、エリカさんという最近まで一緒にツアーをしていたサックス奏者の方の演奏がありました。


 別れ際に奥さんや娘さんたち、お母様にごあいさつができてよかったです。


 式が終わった後、けんちゃん、安倍くんら昔の音楽仲間達とお茶をして楽しい時間を過ごしました。


 そこで、「落ち着いたら、玉さん追悼のライブをゆかりの人たちを集めてできたらいいね」という話になり、その時は、みんなで一バンド作って参加しようということになりました。


 昔あった、県南バンド連盟は今はないそうで、イベントを開くのは大変でしょうが、人材は豊富なのですから、できないことはないです。



 玉山秀之という東北の音楽シーンの一時代を築いたミュージシャンを失ったことは、悲しいことですが、これを機会にまた、地元の音楽シーンを盛り上げていけたらいいなあと、みんなで話をして別れました。


    ◇


 この告別式からさかのぼるのですが、前夜は、都内で仕事を終えた後、新幹線に飛び乗って盛岡入りしました。夜中だったのに、盛岡駅前の居酒屋で及川ジョージさんと古館哲さんが待っていてくれて、音楽談議に花を咲かせました。


 腹筋が痛くなり、脳が酸欠状態になるほど、何度も何度も爆笑していました。あんなに面白かったのは、何年ぶりでしょうか。結局、居酒屋、バー、ピアノバー、北海ラーメンとはしごし、午前4時に古館さんのお宅にジョージさんと二人で転がり込みました。


 そこでも、昔のビデオを見たりして爆笑の連続。腹が痛くて痛くて、大変でした。


 うれしかったのは、古館さんの神経障害の病状がだいぶ改善していたことでした。あのテンポで回復すれば、数年後にはまた一緒にバンドができそうです。


 「3年で、スタジオ練習にこぎつけ、5年後にはライブをしましょう」と約束して別れました。


 ライブをするとなったら、盛岡と花巻と水沢と東京の4か所でやります。私にとって、人生最高のバンドを再演できるわけですから楽しみです。(練習します!)


 昨夜は、3件目のピアノバーで、すでに泥酔状態だったジョージさんに泥酔状態だった私が、「玉さん追悼の意味で、ジョージア・オン・マイ・マインドを弾いてください」と強要。それを録音しました。(後ほど、ユーチューブに挙げておきます)


 多分、岩手では、玉山さんがギターを弾きながら歌って、ジョージさんがピアノで伴奏を入れるくジョージアオンマイマインドがベストでしょうね。


  その黄金コンビの演奏が聴けなくなるというのは寂しいことです。



  ◇


 先ほど、ジョージさんに「お世話様でした。東京に着きました」とメールしたら、ジョージさんからお返事がきました。


 「告別式が終わって外に出たら気づいたが、喪服に前日の運動靴をそのまま履いていたことに気づいた。こっぱずかしい」とのこと。


 大丈夫。私も、玉さんの奥様とお母様、娘さんたちに、涙ながらに挨拶をした後に、列から離れて涙をふいているときに気づいたのですが、ズボンのチャックが全開でした。(式の前にトイレに入った時、慌てて、締めるのをわすれていました。不幸中の幸いですが、一物はしまわれていました)


 黒いズボンに白いパンツが丸見えの姿で涙に暮れる中年のオヤジというのもなかなか素敵な光景だったことでしょう。




 告別式後のお茶会で知ったのですが、今回の「玉さん急死」の報道を一番最初にしたのが、私が勤める新聞社だったそうです。私は全くこの報道には絡んでおらず、むしろ、その情報で悲報を知ったのですが。


 何かの巡り合わせなのでしょうが、私の何代目かの後任の記者の方が書いてくれたのでしょう。お世話になった玉さんに少しでも恩返しができたこと、感謝しています。