過去の判断基準からみれば、新しいチャレンジは全く無価値に見えるものだ。

2014年の自分だったらやらなかったことを、
2015年にチャレンジしようとしたら、「これは価値がないのではないか」という感情を経験する。

なぜなら、新しいチャレンジを「これは価値がある」と思っているなら、
それは2014年の自分から変わっていないことになる。

大切なことだが、伝わっているだろうか?

つまり、「わたし」とは「自分が価値があると思っているもの」の集合体(価値体系)だから、
自分が価値があるというもの、特に2014年から3日過ぎて、取り組むものが、
もし去年の価値体系のままの自分であれば、「これはいい!」と思っているものが実は、去年のままの自分をひきづいっていることとなる。

伝わるだろうか?

新しい自分になりたい、今年は飛躍したい、という人はたくさんいる。

しかし、ひとは自分が「価値がある」という範囲の中で生きている。
だから、「価値がない」という範囲にあたらしい自分、飛躍した自分が眠っているのだ。

私は、2015年は、2014年の自分ではやらないことに取り組もうとしている。
「過去の延長線上ではない未来をつくる」ことに本気になって取り組んでいる。

そのおかげで、やることなすこと、「これでいいのか?」という「2014年の自分」が顔を出す。

価値観が変わるとき、ひとは揺れる、思考はブレる、労力は非効率的になる。
しかし、それが新しい未来に調整しおわると、進化が急速に起きてくる。


進化の最も簡単な方法は、去年までの自分自身を否定すること、拒否することだ。

思考は常に過去にひっぱられるから、直感で自分が望むものへと向かうことだ。
理性の抵抗に克つことだ。


と、言うは易し、行うは難し。

今進めている原稿も、今までの私であれば「これはダメだ。世に出しちゃいけない」と思うもの。
しかし、「新しい私」なら「これこそ世に出すべき!」と判断するもの。

ここが分岐点なんだと自分に言い聞かせている。
ここで恐れから古い判断基準に戻ってしまうのではなく、
新しい判断基準にシフトすることができるかどうか。


そこでの勝負だ。