人はわかって欲しい



心屋仁之助さんがよくおっしゃる言葉です。



人ってわかってもらえただけで救われたり



問題だと思っていたことが問題ではなくなることがある。




だから、わかってもらいたい。



わかってあげたい。



大好きなあの人を救うために。


楽にしてあげたいから。



そして、自分も救われたい。


自分ももう楽になりたい。




わかりたい。



わかってもらいたい。




それが人生をかけてグルグルしていたりする。




でもね



親子であっても



100%は分かり合えないよ



わかった。なんて言った瞬間、嘘な気がする。



「わかったような気がする」程度。




だから親にわかってもらおうとか


親をわかろうとするなんて


やめてもいい。




人と人は分かり合えなくてもいい。



それでも一緒にいていいし



全然違うこと考えていていい。



違う価値観でいい。



別々の価値観だし。




同じなのは



それぞれ自分の人生を生きてるってこと。



親子であっても、家族であっても、恋人であっても



自分とは違う人。




わかった。なんて傲慢




分かり合えなくても



家族でいられるし



友達でいられる




わからなくてもいい



わかってもらえなくてもいい




きっと深いところでは



誰もが「大事なこと」を分かり合えてる。




それは言葉にできないようなこと。




だから安心していればいい。



もうわかろうとしない。



わかってあげようともしない。




とっても楽だと思うな。