第13回 ビル・ゲイツ | 偉人・鉄人・有名人

第13回 ビル・ゲイツ

ビル・ゲイツは、1955年生まれの、アメリカ合衆国出身の実業家で、マイクロソフト社の会長です。



ビルゲイツはアメリカ合衆国のシアトルに、法律家の父と銀行秘書の母の長男として、

裕福な家庭に生まれました。小学校時代から成績は優秀で、

特に算数(数学)と理科ではずば抜けた知能を持っていたようです。


中学・高校時代にはシアトルの名門私立中学・高校で学生時代を過ごし、そこでコンピュータと出会い、

興味を持つようになりました。また、後にマイクロソフト社を共同立ち上げする、親友のポール・アレン

とも高校時代に出会っています。


高校時代のゲイツは、学業を優先したと言うよりは、コンピュータの魅力に取り付かれてしまい、

毎日の様にコンピュータをいじっています。これは、ゲイツの所属していた高校が、裕福な家庭向けの

特殊な高校だった事もあり、当時は(今以上に)高価だったコンピュータを使える環境を生徒たちに

提供していたせいもあります。


現在パソコンと言えば、『アイコンをクリック』しながら先に進んでいく為、比較的誰にも出来る物と

なっていますが、当時は『BASIC』という特殊なプログラミング言語を習得していなければコンピュータ

をいじる事は出来ませんでした。


ゲイツはコンピュータで何が出来るのかを探す為に、

学校に行っていたと言っても過言ではありませんでした。


高校生のアルバイトと言えば、ファストフードやファミレスの店員さん、等が思い浮かびますが、

ゲイツの高校時代のアルバイトは並みの人間では考えられない物でした。

それは、『発電所の保安システムをコンピュータでプログラムする事』であり、放課後は親友の

ポール・アレンと一緒に「システム開発」に勤しんでいたと言います。


「どちらが早く開発出来るのか」を競い合っていたわけです。


高校の学業の方はまあまあと言った所ですが、放課後の『特殊なアルバイト』では何日も休む事

なく、働き続けたと言います。ゲイツとアレンは、仕事の報酬を受け取る以外に、将来に繋がる為

の技術を多く吸収していたわけです。


高校卒業後、アレンは地元シアトルの大学に進学し、ゲイツはボストンにある名門ハーバード大学

進学しました。ただし、ハーバード進学後は、まじめに学校に行くどころか、大学に行くと講義には

出席せず、付属のコンピュータセンターに入り浸っていたそうです。

結果的にゲイツはハーバードを中退する事になります。


1974年、ゲイツはアレンから電話を貰います。

アレンは、あるコンピュータ専門雑誌に『アルテア8800』と言うコンピュータの広告が載っていたのを

発見しました。


ここで、『コンピュータ』について、ごく簡単な説明をします。

皆さんの家にもパソコンがあるかも知れませんが、それは本体(箱)だけでは何も出来ません

その中にOS(オペレーションシステム)が搭載されていなけでばただの箱に過ぎません。

現在では、Microsoft Windowsや、Mac OSなどがOSとして使用されています。

つまり、パソコン本体(身体)だけを買ってきても、OS(頭脳)が無ければ全く動かないわけです。


話を戻しますが、アルテア8800は、『本体(身体)だけで400ドル』という大変安価な物でした。

今のお金に換算すれば、約50,000円。今でこそ5万円台のパソコンはありますが、時代が違います。

ただし、「安い!」と言って飛びつくようなものではありませんでした。

何故ならば、頭脳(OS)が搭載されていないわけですから、これだけでは全く動きません


ゲイツとアレンは、この小型で安価なコンピュータの開発者に電話をかけました。


『そのコンピュータに載せるOS(BASICインタプリタ)を既に開発してある。

これを載せてくれないか?一緒に売り出そう!』


と。つまり、ゲイツとアレンは、自分たちが作ったOSを搭載したパソコンを売り出して、

名前を売ってもらおうと考えたわけです。この様にして、アルテア8800の開発者と直接会って、

自分たちのOSを売り込む約束を取り付けました。

ゲイツ19歳、アレン21歳の時の事です。


問題は、ゲイツとアレンは、『嘘をついていた事』です。

実は、ゲイツ達が言ったOSは、電話をした時点では影も形も無いものでした。


約束を取り付けた事で、『自分たちの言っているOSに興味を示した』と判断し、

そこから開発を始めました。

約束までたったの8週間。二人は寝る間も、ご飯を食べる間も惜しんで、プログラムを続けました。


こうして二人の嘘つきを本当にする為に突貫工事で始まったプログラミングは成功し、

約束の為にニューメキシコのアルバカーキに運ぶ事になります。

※ 実はこの移動中、「プログラムし忘れた」事を思い出したアレンが、飛行機の中で続きを作り、

到着するまでに完成させたと言われています。


つまり、自分たちの作ったシステムが「本当に正しく作動するのか」がわからないまま、

アルテアの開発者と会い、目の前で作動させる事になってしまいました。

いちかばちかの大勝負。


彼らの作ったシステムは、正しく作動したのです!


こうしてゲイツの「億万長者伝説」は始まったわけです。


ここでゲイツは大学を中退する事を決意し、アレンと一緒にマイクロソフト社を立ち上げました。


現在ビルゲイツは「マイクロソフト社」の会長として、個人資産6兆円を数える、

個人としては世界最高の大金持ちとして君臨しています。

高校時代の親友だったアレン(実際はアレンの方が年上だったのですが)は、2000年まで

マイクロソフト社の取締役を務め、退職後は資産運用投資を行う会社を運営しています。


ただ、2006年6月15日に、2008年でマイクロソフトの会長を退き、運営から一切の手を引く事を発表

しました。奥さんのメリンダと共に作った、ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団での「福祉活動」に専念

するそうです。尚、ゲイツは今でも毎年多額の寄付をしています。

2005年には7億5000万ドル(約800億円)の寄付を、ワクチンと予防接種の為に行っています。


多くのアメリカ大富豪たちが取ってきた「隠居生活」を送る事にしたわけです。


ちなみに第4回に登場した、孫正義とは現在も仲の良い友達だそうです。

一流は一流を認め合うと言う事でしょうか。



【私にとっての"ビル・ゲイツ"】


 まずはお詫び。やっと更新できる時間が確保出来るようになりました。本日からはしばらくの間、

休まずに更新を続けます。


 さて、『ビル・ゲイツ伝説』の中で学べる事。


① エジソンやアインシュタインと同様の「奇才」タイプだった。

  →小学校時代から成績は優秀でしたから、小学校中退のエジソンとは違うかも知れませんが、

  少なくともガリガリ勉強するタイプでなかった事は確かなようです。それで上級学校に進学する

  際に、考えられる最高の選択肢を選んできた所も素晴らしいと思います。


② 努力も集中力も凄いが、それ以上の「強運」に恵まれていた。

  →努力しない人に「運」はめぐってきません。ただし、努力しても運が無い人はいくらでもいます。

  ゲイツ(とアレン)のサクセスストーリーの第1話が「ハッタリ」だった事は今では有名な話ですが、

  ただの「嘘つき」ではここまで成功出来なかったわけです。「神様が見ていてくれた」なんて、

  そんな話ではありません。ゲイツには並々ならぬ努力と才能が備わっていた事は確かですが、

  その才能を「上手に活かす」方法を知りながら生きてきたわけです。時には「名誉や地位」等の

  おまけも捨てながら。また、ぶっちゃけて言えば、現行型の「Microsoft Windows XP」は未完成

  品です。「フリーズの回数が、今までの半分以下になりました!」で売ってしまう面の皮の厚さ。

  もしこれが車で「ブレーキミスの回数が、今までの半分以下になりました!」だったら、そんな

  物が売れるわけがありません。


  そして、現在の「パソコン」と言えば、「アイコンクリック」が普通です。これはWindowsではなく、

  最初はAppleのコンピュータに搭載されたシステムだったわけです。Windows3.1からこのシステム

  をマネしはじめ、Windows95ブームで、これを「Microsoftのモノ」にしてしまったわけです。


  そのやり方から、ビルゲイツを批判する人は絶えませんが、間違いなく彼は「成功する為の道」

  を通ってきた、真の成功者なわけです。本当に「良い人」が成功者になる事は少ない、

  その代表格の様な人物だと思います。


  ゲイツの強運は、「寝ていて転がっていたモノ」ではありません。努力をした人の上に降り注ぐ、

  「成功の為の最後の一押し」が欲しい場合、(当たり前ですが)努力を辞めない事です。


③ 高校時代に知り合った、ポール・アレンとの関係

  →これは高校生・中学生に覚えておいて欲しい事。

  自分の能力を高めるのは何か?自分で努力する事?まあ、確かにそれもあります。

  ただ、「良きライバルがいる事」が、その効果を何倍にも何百倍にもしてくれる訳です。

  

  ビル・ゲイツは、高校時代のアレンや、大学時代のスティーブ・バルマー(現マイクロソフトCEO)

  と出会っていますが、彼らの存在が無ければ現在のビル・ゲイツは無かったと言っても

  過言ではありません。

  それは別に「友達がいて助けてくれた」からではありません。友達がいた事によって、

  「負けたくない!」という気持ちが芽生えて、自分を高めてくれたからなのです。


  「親友」とは?

  毎日毎日一緒に過ごし、学校帰りに遊び、おしゃべりし、メールをして、電話で話して、

  そんな時間を共有していると、「私たちって親友!」なんて勘違いする事もあるかも知れません。

  しかし、それは「暇な時間を一緒に埋めている」だけなのです。

  一緒に共有した時間の「中身」が無ければ、後に何も残りません。


  一緒に戦った、努力した、しのぎを削った、けんかした、負けたくないと思った、

  これらの経験が無い「仲のよい友達」は、大学進学後、または就職後には関係は無くなります。

  アレンがゲイツに電話をしたのも、「一緒に戦った仲間」であり、ゲイツの能力を充分に知って

  いたからですよね?


  もし、放課後の時間をただ何となく過ごしているだけの、どうでも良い関係だったとしたら、

  アレンはゲイツを「チャンスを手にする為の共同開発者」としてゲイツの事を思い出さなかったと

  思います。隣の家に住んでいたならまだしも、この当時でアレンはシアトル、ゲイツはボストン、

  と、アメリカ合衆国の中で一番遠い場所に住んでいたわけですから。


  皆さんも、今一緒に過ごしている友達の事を考えてみてください。

  10年後、または30年後、一緒にいると思いますか?

  それだけの「何か」を時間として共有していると考えられますか?


  一生の友達とは、その様にしてしか出来ないものです。

  その一生の友達は、あなたに何か素晴らしい思い出やチャンスを与えてくれるかも知れません。



さて、私の事を多少なりとも知っている人は、私がビル・ゲイツの信仰者である事をご存知だと思います。


盲目ではありません。

ゲイツの欠点や、ゲイツ伝説の中での許せない点なども充分認識しています。


ただ、上に書いたように、ビジネスマンとしては、どんなに批判を浴びたとしても、成功者ですし、

(批判されるのは、人から羨ましがられている証拠ですよ!友達があなたの悪口を言っているのを

聞いたら、『自分は人から羨ましいと思われている』と考えても構いません。)

その為の努力もしましたし、そして才能もありました。


「こうしたい!」と思う夢を思い描き、人に話す事によって実現せざるを得ない状況を生み出す所

にも、大変共感が持てます(実現出来なければただの嘘つきになってしまいますが)。


私が欲しいのは、ビル・ゲイツの「強運」です。


現在私は「成功」の為に、出来る限りの努力を続けているつもりです。

強運は「寝て転がってくるもの」だとは思いません。自分でアンテナを高くして、

どんなチャンスにも飛び込んで行く気持ちと行動力、これである程度の強運はつかめる、

と信じています。


ちょっと違う例えかも知れませんが、


『宝くじは買わないと当たらない』

そして、

『運は運が転がっている場所に飛び込まないと掴めない』


日夜、この様に考えて行動しています。


みなさんも「あーあ、何か良い事ねえかなぁ、つまんねえなぁ」なんて言いながら、

ダラダラと時間を食いつぶす、どうしょうも無い人間にだけはならないでください。


自分で探しに行きましょう。