大坂史跡-天王寺七坂 | Takeblog ~たけぶろ~

大坂史跡-天王寺七坂

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天王寺七坂 

近所住まいなので何十回と散歩してきた場所ですが 今回改めて7時間かけしっかり歩いてきました 
元々寺社仏閣史跡には大変興味があり 七坂含め七名水その他史跡もしっかり見てきました 

 
天王寺七坂2862  
天王寺七坂(てんのうじななさか)とは 大阪市天王寺区/上町台地西側(夕陽丘地区)にある7つの坂の総称です 七坂のある北西部一帯は“寺町”で現在は下寺町と呼ばれ 江戸期に大阪城下より移転させられた仏教寺院が多く集まっています 

 

大阪市内では比較的緑が多く残っており著名人の墓や碑の他 大阪市唯一の滝であるとされる“玉出の滝”が存在するなど 史跡好きにはたまらない観光スポットです 上記の七坂に学園坂を加え天王寺八坂と呼ばれる事がありますが 個人的史観では正しく七坂と認識しています 

 
 逢坂286  
逢坂(おうさか) 

大阪市にある国道25号(竜田越奈良街道)の坂 又は同市天王寺区の町名(ただし町名はこざとへんの阪) 名称は逢坂関に由来するとも 聖徳太子と物部守屋が法について討論した合法四会に由来するとも言われます 「合坂/相坂」とも表記されました 

 
天神坂286  
天神坂(てんじんざか) 

天王寺区伶人町と逢阪1丁目との境界に位置する坂 東西に通じ西側の標高が低く東は谷町筋/西側は松屋町筋に接続しています 途中菅原道真を祀る安井神社へ通じており天神坂の名の由来にもなっています 嘗て安井神社鳥居の前に「相坂の清水」と呼ばれた名水処があり 現在は坂の上り口から神社脇にかけて清水をイメージした疏水が設けられています 
 
清水坂286  
清水坂(しみずざか/きよみずざか) 

新清水清水院に登る坂道 高台にある新清水寺境内からの眺望は格別で さらに境内南側の崖から流れ出る玉出の滝は大阪唯一の滝として知られています またこの付近一帯は昔から名泉処として知られ 増井/逢坂/玉手/安井/土佐(有栖)/金龍/亀井の清水は七名泉として広く知られています 

 
愛染坂286  
愛染坂(あいぜんざか) 

坂の下り口にある愛染堂勝鬘院が坂名の由来に 愛染さんの夏祭り(六月三十日)は大阪夏祭りの先駆けとして知られ 境内の多宝塔は市内最古(文禄三年)の建造物で重要文化財に指定されています 大江神社には「夕陽岡の碑」があり このあたりから眺める夕焼けは最も美しい景色とされています 

 
口縄坂286  口縄坂(くちなわざか) 

天王寺区下寺町2丁目から夕陽丘町にかけ東西にのびている坂で「大阪みどりの百選」にも選定されています 「口縄」とは大阪の古い言葉で「蛇」のことであり 坂下から道を眺めると起伏が蛇に似ている事からそう呼ばれるようになったとされています  

 

付近の浄春寺には暦学者/麻田剛立 画家/田能村竹田 春陽軒には国学者/尾崎雅嘉 太平寺には医家/北山寿安ら 江戸時代に活躍した先人の墓があります また梅旧院には芭蕉の供養碑もみられます 

 
源聖寺坂286  
源聖寺坂(げんしょうじざか) 

坂の上り口北側に源聖寺があることに由来します 嘗て石段を上りきった場所に昭和末期まで「源九郎稲荷」がありました コンニャク好きの狸が祀られ天王寺区史に「こんにやくの八兵衛」という祠があったことが記されています 現在どこへ還座されたかは不明で 生國魂神社に還座されたと記した資料がある一方 同名の末社とは無関係との記述もあります 

 

齢延寺には幕末に泊園書院を興して活躍した藤沢東畡/同南岳父子の墓があり 銀山寺には近松門左衛門の「心中宵庚申」にでてくるお千代/半兵衛の比翼塚が建てられています 

 
真言坂286  
真言坂(しんごんざか) 

一番北に位置しかつ唯一南北に通る坂 生國魂神社の神宮寺であった法案寺をはじめとする生玉十坊が 明治の廃仏毀釈まで神社周辺で栄えていた うち神社の北側には医王院/観音院/桜本院/新蔵院/遍照院/曼陀羅院の六坊があり 全て真言宗であった事からこの坂は真言坂とよばれた