機物神社 (はたものじんじゃ) 大阪府交野市倉治 祭神“天棚機比売大神”は織姫にあたります
・交野.枚方市は星に因んだ伝承/地名が沢山存在します 交野ケ原を流れる“天の川” 織姫と牽牛が逢瀬を楽しんだ“逢合橋” 星田.金銀砂子の“砂子坂”等… 写真の機物神社は七夕伝説発祥の神社として有名です
五節句 / 七夕ノ節句 棚機ノ節句 (しちせきのせっく/たなばたのせっく) 七月七日
七夕は“七月七日の夕方”を意味しています 棚機/七夕は中国に古くから伝わる牽牛/織女星の伝説から発達した乞巧奠(きこうでん)風習と 日本古来の棚機津女(たなばたなつめ)信仰が習合されたもので 宮中行事として奈良時代に始まり 江戸時代には民間にも広がり 庭前に供物をし葉竹を立て 五色の短冊に歌や字を書いて飾り付け 書道や裁縫の上達を祈る年中行事となりました
乞巧奠とは
旧暦7月7日の夜 女子が手芸に巧みに成ることを祈り供え物をして牽牛/織女星を祀る祭事です 751年/唐の玄宗皇帝が 灑山華清宮へ楊貴妃と遊宴した時に行った乞巧奠が宮中行事でのはしりと云われ 日本で乞巧奠が初めて行われたのが宮中“清涼殿”の庭で 755年天平勝宝7年7月7日/孝謙天皇-聖武天皇の娘の時でした
冷泉家に伝わる宮中乞巧奠のお供え (大宮八幡神社)
昔 この時期はお盆(旧暦7月15日)を迎えるための準備(七夕盆)としての意味を持ち 稲作収穫祭を祝う祭りが各地で行われていました この時 健康を祈り素麺の元となったお菓子“索餅 (さくべい)”を食するのが慣わしとされていました 索餅は熱病を流行らせた“霊鬼神”が童子時代好きだった料理で これを食べる事で霊鬼神の祟りを沈めるという願掛けだったのです
やがて索餅は舌触りのよい“素麺”へと変化し 現在は七夕に素麺を食べる習慣が伝えられています
七夕と機織娘の関係
日本では古来より“棚機つ女”といわれる女性が 機(はた)で織った布を神に納め 病気や災厄が起こらない様に願ったという伝承がありました 7月7日(しちせき)を“たなばた”と呼ぶのは 棚機つ女が元になっています 当時中国の文化に強く影響を受けた平安貴族達は 竹竿に糸を掛けて願いを星に祈ると適えられるという乞巧奠の習わしに従い 梶の葉
に歌を書付けて手向ける“星祭り”を行うようになりました
その後 乞巧奠が大衆間にも広まり やがて棚機つ女と結びつき現在のように7月7日の七夕となっていきます 江戸時代に入ると 短冊に詩歌を書き笹竹に軒先に立てる風習が寺子屋の普及とともに浸透していきました 明治時代になると各地の商店街などで大規模な七夕祭りが開かれるようになり 更に一般人の風習として広まっていったようです
左)索餅(さくべい) 右)梶の葉