栗林あや(いがぐりこ)です。

 

 

母が介護施設に入居するため

実家の片付けと手続きを進めています。

 

 

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※実家の写真ではありません

 

 

 

心の片隅に封印していた昔の思い出が一気に甦ってきて、

懐かしさと恐怖が交錯するような、

感慨深い時間を過ごしています。


実家は築約60年の市営団地です。

 

高度経済成長期の風を吹き込んだこの部屋は、

私たち家族の喜びも悲しみも苦しみも、

いろんな想いが詰まっていました。


退居の手続きのために必要と言われていた

昭和55年(1980年)の入居許可証をやっと発見しました。

 

 

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こんな43年前のペラペラの紙が、

母の古びた嫁入りタンスの開き扉の奥に、ちゃんと残っていました。

 

 

手続きに持って行ったら、「当時のこの書類が残ってる方は珍しいです。」って言われました。

 

無くしてしまう人が多いみたいです。

 

 

そりゃそうでしょう笑い泣き

こんな古い書類、みんなきっと無くすでしょうな。

 

 

今は寂れて静まり返った団地も、

昭和40〜50年代の当時は

こういった団地が新しい住居スタイルとして人気で、

母は「抽選に当たって入れた」と言ってた。

 

 

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浜松市の昔の市章を見て、懐かしさが心に溢れてきました。

私にとって、こちらの市章(明治44年制定の印だそう)の方が、馴染み深い。

 

「浜松市住宅営繕課」というものも、今は無い。

 

 

 

団地の入居許可証や、水道の契約書、それに使ったと思われる当時の住民票の控えなど、古びた書類関係がごっそり出てきた・・・。

 

これがこの団地と私たち家族の始まりだったんだなと思うと、何とも言えない感慨が込み上げてきました。

 

 

手続きは済んだので、あとは退居日までに部屋を原状回復するのみ。

 

 

原状回復って言ったって、40年経って畳なんて腐ってるし、

窓は、錆びついてガタがきて、一部しか開かない。

どうやって原状回復するんだろう・・・。絶望

 

途方に暮れてしまう・・・。

 

部屋を見回すと、その全てが懐かしくて、薄汚いセピア色で・・・。

 

そんな中に一人残された幼少期を思い出して、

この先どうなっちゃうのか、

あの頃と同じ大きな不安に襲われそうになってしまった・・・。ガーン

 

(「わたしはあの頃と違って大人になったから大丈夫」と自分に言い聞かせる)

 

 


片付けの途中、

母と離婚して既に亡くなっている父の、

小学校の頃の通信簿が出てきたり。

 

母が高校を卒業して会社勤めを始めた頃の写真や、

当時の母の給与明細や、

成人式の母の写真がでてきました。

 

 

父と母の幸せそうな想い出の品だけでなく、

他にも

 

私が子供の頃に恐怖の権化だった、

家賃の滞納書や、

40年前の国民年金の督促状や差押状?や、

 

母が、離婚裁判の出廷のために書いたと思われる、

過去の父の借金や飲酒や職を転々とした経緯などを下書きした紙?など

 

色褪せた過去の怨念の詰まった品も見つかりました・・・。昇天

 

 

 

父は私が子供の頃に、

家族を捨てて母と離婚し

その後亡くなったのです。

 

 

その父が残した書類や、

残された母が、

もがきながら生きてきた証を見つめながら

 

子供の私には知られなかった

大人たちの苦悩を改めて感じました。

 

 

私は子供だったからわからなかったけど、

大変な生活だったんだなぁ・・・。
(自己破産等はしていない。完済している。)

そして、こうして今

真っ当に?生きているのがすごい・・・。ネガティブ

 

 

 

私が社会に出て働き始めた頃、

母にたびたびお金を無心された事実。

 

その当時、母がどれほど大変な生活を送っていたか

今になって、ようやく理解できます。

(理解したくないけど・・・)

 


色褪せた書類の中に、離婚後、

アルツハイマー型の認知症だった祖母が

警察に保護された時の、

身元引受けの書類?も見つかりました。

 

介護も大変だったんだろう。

 

 

 

母と父、そして祖母。

 

家族それぞれの人生の痕跡が詰まった書類は、

まるでパンドラの箱を開けてしまったかのようでした。

おそろしい・・・・。チーン



自分が知らない過去の書類に触れながら、

私は家族が経験した過去の苦難を知り、

 

それにもかかわらず今私が

こうして「普通に」ここに居ることが、

なんだかすごく不思議な感覚でした。

 

 


こうして実家の片付けをしながら、

過去と向き合う時間は私にとって

(良くも悪くも)貴重な経験です。

 

いや。。。すごく重苦しい経験です・・・。絶望

 

 

時には涙がこぼれ、

時には懐かしくなり、

時には驚き、

そして時には深い思いにふける。

 

 

そんな、自分自身のルーツと

家族の歴史を再認識する一連の作業が、

 

上手く表現できないけど、

ものすごく心理的に削がれていく感覚なのです・・・。チーン

 


日中は他にも、かかりつけ医への手続きやら、

市役所への手続きなどでてんてこ舞いで、

夜にようやくご飯にありつけました。

 

 

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牛角〜〜!

お腹が空いてたのもあって、美味しかった〜〜〜。おねがい音譜

 

 

ぐったりして、お腹も満たされて、

ほっと一安心。

 

肉を食べながら、

43年間の団地の記憶と、

今日頑張った自分と、

今後の不安に想いを馳せていたら、

思わず涙がこぼれてしまいました。

 

(肉を食いながらボロボロ泣いている怪しい中年女性)
 

 

まあ。

なるようにしかならないし、

やることはやるしかないので、

ぼちぼち頑張っていきます。

 

 

 

 

====おまけ======

 

【ちっちゃい「っ」を公的文書に使うようになったのは平成元年から!?】

 

 

この書類・・・・。

 

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よくよく見たら、ちっちゃな「っ」が「つ」になってる。驚き

 

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なんで「申請のあつた…」って、

「っ」が「つ」なんだろう?

 

 

昭和55年(1980年)の書類なのに、

まるで戦前のような、古めかしい表記だなぁ〜って思って調べたら、


なんと!!拗音・促音(ちっちゃい「っ」)が、

正式に小書きされるようになったのは、

昭和64年(平成元年)1月から

らしい!!!(@Σ@;)

 


え-!!!!そんな最近なの?!!!

 


私が小学生の頃はまだ、

公的なものは拗音・促音を大きく書いてたのか!!

 

ビビる!!!

 

 

 

 


「(生ゴミの)水切りをしつかりし」

 

「しつかりし」

 

「しつかりし」

 

・・・・!!気になる!(笑)笑い泣き笑い泣き笑い泣き

 

 

こん包をしつかりし・・・って、めちゃ読みにくい。

 

いや、「めちや」読みにくい。

 

 

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