八木邸2017 | 歴史と文化と和の心♪

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京都発歴史好き薩摩おごじょ緑木の日々是奮闘記!!

こんばんは‼

人生の岐路に立っている緑木です(何)

 

「そんな時だからもう一度訪れたい思い出の場所」第2弾‼

八木邸です。

壬生寺とここ、本当に懐かしい‼

 

この13年の間に消費税が5%から8%になりましたが、入館料は相変わらず¥1000(菓子&抹茶付き)のままでした(*´ω`*)

 

八木邸は新選組が最初の屯所とした場所で有名でして、ここを屯所としている間に芹沢鴨の暗殺や池田屋事件が起きております。

建物はほぼ当時のままでして、もちろん、芹沢鴨が暗殺された部屋もしっかり残っております。

鴨居に付けられた刀傷が実に生々しかったですね・・・!

 

芹沢鴨や近藤勇らは文久3(1863)年、家茂さま上洛に伴って結成された浪士組の一員として上洛したわけですが、着いたら着いたで首領の清河八郎が突如尊王攘夷を唱えだし、本来の将軍警護の意向を完璧に翻してしまいます。

 

これに反発したのが

 

芹沢鴨

新見錦

野口健司

平山五郎

平間重助

近藤勇

土方歳三

山南敬助

沖田総司

永倉新八

藤堂平助

原田佐之助

斉藤一

 

の13名。

彼らはこの時清河と袂を分かち、京に残ることを決心するのです。

 

その後はこの八木邸を屯所として「壬生浪士組」を結成し、徐々にその規模を広げてゆきます。

これが会津藩主・松平容保の目に留まり、壬生浪士組は「会津藩お預かり」として「新選組」に発展してゆくのです。

 

まあ、一番栄華を誇った場所がこの八木邸だったというわけですね!

 

 

ちなみに建物の内部は撮影不可ですが、職員の方のご説明が分かりやすくてとても価値があります!本には載っていないようなお話も聞けますしね!

 

 

なお、現在公開されている建物は主に芹沢派5人が使用していた場所らしく、近藤ら試衛館一派は

現在お菓子屋さんのあるこの地で暮らしていたのだそうです。

案内を楽しんだ後はこちらのお菓子屋さんで抹茶と名物「屯所餅」を頂くことができます♪

これこれ‼

壬生菜の入った屯所餅!

 

13年前も食べました!

懐かしいですねー(*´艸`*)

 

ふっわふわのお餅にさっぱりとした舌触り、時折しゃきしゃきする壬生菜の歯ごたえ。本当に忘れられない味です。

 

さあ日も暮れてきた時間帯でしたので駆け足で前川邸(壬生浪士組の屯所)や

山南敬助や藤堂平助の墓がある光縁寺―――はさすがに閉まってたーーー‼←

また次の機会に。。。

 

 

 

ということでいい気晴らしになりました(笑)

初心に帰ったところで、また現実と向き合いたいと思います。