歴史と文化と和の心♪

薩摩発歴史好き管理人緑木の日々是奮闘記!!

歴史と文化と和の心♪-1 訪問ありがとうございます。歴史と文化と和の心♪-1

はじめまして!!

歴史大好きな薩摩おごじょ、緑木ともうします☆

小学時代、タイムリーに関ヶ原合戦400年だったことから、引きずられるように目覚めてしまいました←

日本史を学ぶうち、「本で出てきたあの場所」や「好きなあの方ゆかりの地」をぜひ五感で感じたいという思いから、地味に全国各地の史跡巡りに出かけております(笑)

・・・といっても列島南端の薩摩からなので、参勤交代で出費の激しかった薩摩のお殿様の気持ちが分かる分かる←


そして歴史書で「時空の旅」に出かけることも。

あしからず(何)


ジャンルは戦国&幕末を中心に考古~近現代、寺社仏閣、多ジャンルです。

どうぞよろしくお願いいたしますm(_ _ )m


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歴史と文化と和の心♪-1 過去の史跡巡りレポ(地域別)

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こんにちは‼

本日の史跡巡りレポは、日本橋参りたいと思います。

国道1号線の起点となっている日本橋。

実は未だ1度も訪れたことがなかったため、今回初めて通ってみました。

日本橋は、江戸開府の慶長8(1603)年にはじめて架けられたといわれます。

幕府は東海道をはじめとする五街道の起点を日本橋と定め、重要な水路のあった日本橋川と交差する点として江戸の経済の中心地となっておりました。

今もその名残を見ることができます。

なかなか立派な川でしたね‼

ちなみに江戸東京博物館で、当時の日本橋の模型が展示されておりますゾ‼

 

また、橋詰には高札場があり、魚河岸があったことも有名です←(高校の日本史の授業で覚えたなぁ・・・)

幕末の日本橋については、安藤広重が錦絵を残しているのでもはや御馴染みですね‼

 

現在の日本橋は東京市によって、石造二重アーチの道路橋として明治44(1911)年に完成しました。

明治の雰囲気漂う照明。

奥の照明灯装飾品の麒麟は東京市の繁栄を、獅子は守護を表しているといいます。

橋の中央にある日本国道路元標は、昭和42(1967)年に都電の廃止に伴って道路整備が行われたのを契機に同47(1972)年に柱からプレートに変更されたものなのだそうです。

なお、プレートの文字は当時首相だった佐藤栄作が書いたものなのだとか!

近くには柱バージョンも現存しておりましたね‼

そして目的はこちら!

右手に見える「日本橋」の橋銘。

書いたのは・・・

何と慶喜さま!!!!!!!←

 

うーん・・・。

安定の達筆ぶり。

そう考えると慶喜さまもそう遠い昔の方ではないことも実感できます・・・。

また、日本の道路の起点ということで、ここから全国の要所までどのくらいの距離があるのかずらっと紹介されていたのですが。

自宅のある鹿児島市からここまで1469㎞!!!!!!

遠いところまで来たなぁ・・・(´ω`)シミジミ

今でこそ飛行機で1時間30分くらいなのですが、昔の人たちは歩いていたわけで・・・。

本当に便利な世の中です・・・。

さすが道路の起点ということで見どころ盛りだくさんでした。

江戸の名残を発見する旅もなかなかいいですね‼

 

江戸編まだまだ続きます。

 

 

 

 

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こんばんは‼

・・・今週の『真田丸』にて、遂に秀頼さまご登場ということに居ても立っても居られない管理人デス←

 

この時を・・・1年待ちましたゾ‼。:.゚ヽ(´∀`。)ノ゚.:。+゚

 

予告の段階では凄くご聡明に描かれそうなフラグなので、めちゃくちゃ楽しみです‼

同時に千姫さまを演じる女優さんも発表され、いやー、まっすます見逃せない‼

─=≡Σ((( つ•̀ω•́)つ

 

同時に家康がますます「嫌な奴」になってきておりますが、その家康が整備した江戸城跡を、ご紹介してまいりたいと思います。

 江戸城は2008年の「篤姫史跡巡り」の際に訪れて以来2度目です。

当時の記事(江戸城 参照)でもご紹介しており被る部分もあるかと存じますが、2016年バージョンということで、補足を加えながら巡って参りたいと思います。

 

まずは、有名な二重橋&伏見櫓からスタートです。

厳重に閉ざされた西の丸大手門。

西の丸は将軍世継ぎが入る場所ですが、家茂さまの時は異色の事態だったため、直接本丸に入ってそのまま将軍宣下を受けたのだそう。

そして‼

前回見ることの出来なかった坂下門へ!

坂下門はご存知文久2(1862)年、和宮さまの降嫁を推進した老中・安藤信正が尊攘派志士たちに襲撃された現場になります。

巽櫓が出てまいりました‼

・・・ちなみに幕末期の巽櫓の古写真が残っており、元々は二の丸南東にあり、3層であったことが分かっております。

そして江戸城の正面にあたる大手門へ!

枡形のこの門は、高麗門と

 大手渡櫓門が守りを固めております。

枡形部分には、旧大手門渡櫓に乗っていた鯱が置かれております。

頭部に「明暦三丁酉」と刻まれていることから、明暦の大火で焼失した後再建された際に造られたものと考えられております。

大手門を抜けると皇居東御苑に入ります。

入口で受付を済ませ

この札をいただきます。

・・・これは変わってなかった!←

入ってすぐ早速出てくるのがこちらの同心番所。

登城する大名の御供の者を監視するための詰所になります。

また、こちらは本丸と二の丸を繋ぐ要となる大手三の門前に置かれた百人番所です。

甲賀組・伊賀組・根来組・二十五騎組の4組が昼夜交代で詰めていたといいます。

 

・・・響き的に忍者で有名な場所の人たちを連れてきてますネ・・・

これは厳重な警備だったことが伺えます。

さらに先へ進むと本丸中之門石垣が出てまいります。

・・・中之門といえば

明治4(1871)年に撮影されたこうもり傘をさした侍が写っている写真で有名ですが、現在は跡形もなくなっております。

この辺りの石垣は規則正しい「布積み」タイプの石垣が多く見られました。

汐見坂の前にまずは二の丸庭園へ。

かつてこの場所には、小堀遠州が作庭し、3代家光の命で改修された庭園があったといいますが、長い年月を経て火災などで焼失し、明治期には荒廃してしまったといいます。

 

現在の庭園は、9代家重の頃の絵図面を参考に作庭されたものになります。

江戸城二の丸は天璋院さまにも大変ゆかりが深い場所ということで前回も訪れましたが、やはり風情がありましたね‼

前回訪れた時には桜が咲き乱れておりましたが、新緑の二の丸庭園も清々しい‼

美しい庭園に癒された所で、いよいよ汐見坂へ!

前回は素通りでしたが、今回は石垣に注目して見たいと思います。

本丸と二の丸を繋ぐ急な坂道だった汐見坂は、その昔、今の新橋から皇居前広場近くまで日比谷入江が入り込み、ここから海を眺めることが出来たといいます。

 

そんな汐見坂石垣は平成14~17年まで修復工事が行われ、様々なことが発覚しております。

このように打込接と切込接の境目部分があるのも特徴的ですが、この辺りの石垣を解体修復する際、いくつか刻文が出てきたといいます。

「羽柴越中守(細川忠興の事)」「□□元甲申年/一九日/□濃屋/庄次郎/築之(宝永元(1704)年に「美濃谷庄次郎」が石垣を築造)」など、石垣修復の過程を知る重要な証拠になります。

どうやら、明暦の大火で焼けた瓦を盛土材料として使用したことも分かったそうですね‼

石垣の造りも圧巻ですが、見えない部分を知るのもまた一興。

・・・それにしても上から見ると何とも急(笑)

転がり落ちてしまいそうです←

さて、汐見坂を登り切ると、いよいよ本丸広場が出てまいります‼

芝生一帯は大奥跡‼

和宮さまが、天璋院さまが生活された場・・・っ!(感無量)

現在は人々の憩いの場となっている本丸ですが、かつては徳川将軍家260年の政庁だった場所。

家茂さまもここで政務をこなしていたんだろうな・・・(´∀`)

また、本丸内にある「松の廊下」跡。

以前も訪れましたが、案内板が立ってました!

ご存知、赤穂浪士討ち入りのきっかけとなった場所になります。

現在はひっそりと石碑がたたずむのみです。

また、こちらは本丸地区で唯一現存する富士見櫓です。

遺構の中では最も古いとされるもので・・・ということは、家茂さまも見たのかっっっっっ‼

Σ(=°ω°=;ノ)ノ

本丸奥には、天守台もあります。

江戸城の天守は明暦の大火で焼失した後天守台石垣が築きなおされただけで、再建されることはありませんでした。

 

「天守は最早無用の長物」

 

保科正之の言葉が有名ですね‼

そんな江戸城天守台に、8年ぶりに登ってみましたゾ‼

寛永期の天守閣は5層6階、高さ58mと、豊臣大坂城をはるかに凌ぐ大きなものだったといいます。

 

・・・江戸城の火事って「明暦の大火」が有名ですが、以後結構火事にあってるんですね・・・。

家茂さまの時も火事があったし・・・。

 

しかも、彼は2度に渡る大地震も経験されております。

 

この部分は結構盲点ですが、こうしてみると、激動の中の激動を生きたことが伺えます・・・。

・・・そんなことを思いながら、天守台より本丸を眺めておりました←

 

視線を下に落とすと、井戸発見‼←

そんなこんなで時間をつぶしていると、閉園時間に‼

家茂さま没後150年イベントの時間も迫ってきていたため、慌てて出ました←

 

ちなみに江戸城の縄張りは、城の他城下町一帯を含めて外周を堀や土塁で囲い込んだ「総構え」の造りになるのですが、これらが特に明確に残っている城として知られます。

市ヶ谷から御茶ノ水に至る江戸城の外堀と、市ヶ谷から飯田橋に至る、その内側の高い土塁はまさに代表的なものです。

 

いつか古地図を片手に、城下散策もやってみたいですね‼

 

 

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こんばんは‼

現在鹿児島は台風が迫ってきており外が大荒れです(;´ω`)

・・・昨年台風15号がやってきた際、向かい側の家の瓦が隣の部屋のガラスを直撃するという事態が起こったため、今回は厳重に備えております。

今回の台風は日本を縦断する形になるので、どうぞくれぐれもお気を付けを‼

 

 

・・・さて、気を取り直しまして、今回の史跡巡りレポ参りたいと思います。

2016年7月20日。

家茂さまが長州征討出陣中大坂城にて逝去されてちょうど150年となるこの日、墓所のある増上寺に参拝いたしました。

もちろん、真っ先にこちらへ。

増上寺境内についての詳しい記事は増上寺(徳川家霊廟) 2 3 貞恭庵 の記事でご紹介いたしておりますので、ご参照の程を☆

嬉しいことに最近一般公開されるようになったらしく、平日でも¥500で入場することができます。

大祭の際にはこちら旧文昭院殿宝塔前中門から入るのですが、普段は固く閉ざされており、左隣側の入口で受付を済ませ、入ることが出来ます。

受付ではパンフレットの他ポストカードをいただくことができます‼

在りし日の荘厳な文化財がプリントされたポストカードや、旧霊屋の地図など、超豪華!

徳川ファンにはたまらんです(人´∀`*)

 

そして、家茂公の御元へ!

ギリギリまで行こうかどうしようか迷っておりましたが、やっぱり節目の時に行くとこみあげてくる感情が違いますね・・・・°・(ノД`)・°・

職場に無理を言ってまで行かせていただけて本当によかった・・・!

家茂公の事を知ったのは小学6年の時でしたが、彼の生涯にボロボロ涙した記憶があります。

以来、すっかり熱愛人物のひとりですが、たとえ彼が亡くなった年齢を超えても、ずっとずっと尊敬して止まない人物です。

家茂公に関しては研究が進むにつれ再評価されてきておりますので、決して無能でも軟弱でもなかったことを訴え続けてまいりたいと思いまする!

もちろん、お隣の和宮さまのお墓にもお参りさせていただきましたぞ‼

・・・考えてみれば、来年2017年は和宮さま没後140年・・・。

2013年の慶喜さま没後100年に始まり、昨年の秀頼さま没後400年、今年の家茂さま没後150年(ちなみに、今年は千姫さま没後350年の年でもある)、来年の和宮さま没後140年と、熱愛人物の没後にまつわるキリ番が続く続く!!!(ノ)゚Д゚(ヽ)

 

来年は大政奉還150年でもあるし、西郷没後140年の年でもあるので、またいろいろ忙しい予感が・・・←

あぁ・・・。

お二人が並んでいると涙が・・・←

(´;ω;`)ブワッ

 

本当に、優しい空気に包まれているような気がいたします・・・。

 

それにしても家茂さまの宝塔前にある木が大分のびてまいりましたネ。

在りし日の増上寺境内を解説するパネルまで読んでいたら、大分長いこと滞在してました←(お約束)

お墓参りの後は安国殿に立ち寄り

絵馬を購入。

某ジャ●ーズグループにまつわる愛が書かれた絵馬の並ぶ中、家茂さまへの愛をこっそり書かせていただきました←

もちろん、和宮さまゆかりの茶室・貞恭庵も拝ませていただきました‼

前回訪れた時には雨でしたが、晴れの日もやっぱり風情がありましたね☆

また、以前は無かった増上寺宝物展示室も見学させていただきました‼

割と最近できたみたいですね‼

ちょうどこの時「葵の御紋展」というなんともステキなテーマの企画展が行われておりましたが、家茂さま&慶喜さま時代の葵の御紋も紹介されていて無意識に口許が綻んで・・・(変態)

 

なお、台徳院殿霊廟模型はなかなか圧巻でしたね‼

1/10スケールとのことですが、それでもビッグサイズだったため、実物はかなり荘厳だったかと。

現在大河ドラマでダメンズ(酷)に描かれている秀忠ですが、この模型でその偉大さをうかがい知ることができます。

その秀忠公の霊廟にあった「惣門」、今回初めて拝見いたしました。

寛永9(1632)年に建造されたこの門は、在りし日の増上寺を伝える貴重な文化財となっております。

それからこちら。

有章院殿(7代家継)霊廟の「二天門」も当時の物(享保元(1716)年建造)です。

家茂&和宮さまの墓所は有章院霊廟に合祀されていたというので、この門は彼らの墓所も守っていたのでしょうか。

阿吽の像がインパクトありました。

そしてここからの東京タワーは絶景でした。

また、増上寺と言えばおなじみの大門や

三解脱門、

大殿等、時間をかけてぐるぐるしておりました←

何だろう・・・増上寺は本当に不思議と安心できる空間です・・・。

 

そして今回いただいた御朱印。

黒本尊‼

 

・・・と言えば、和宮さまが家茂さまの無事と戦勝を祈願してお百度を踏んだのがこの黒本尊・・・(つД`)ノ

 

幕末の激動期の中、その若さで国のトップとして時代に立ち向かった家茂公。

幕末の将軍と言えば慶喜さまが有名ですが、彼の在任期間はわずか1年ちょっと。

かたや家茂さまは何と8年も将軍職の座にありました。

動乱の時代、これまでの「公方様としての御威光」を犠牲にしてまで国事に奔走した彼の動きは、今一度見直すべきかと思います。

 

慶応元年の「将軍職投げ出し事件」も、実際は朝廷による老中罷免の抗議ではなく、攘夷の不可能を帝に諫言する目的だったということも分かってきております。

よくよく調べてみれば、彼もまた幕末期において興味深い行動を取っておりますので、これからも注目してまいりたいですね‼

 

 

家茂関連史跡巡りはまだまだ続きます☆

 

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