歴史と文化と和の心♪

薩摩発歴史好き管理人緑木の日々是奮闘記!!

歴史と文化と和の心♪-1 訪問ありがとうございます。歴史と文化と和の心♪-1

はじめまして!!

歴史大好きな薩摩おごじょ、緑木ともうします☆

小学時代、タイムリーに関ヶ原合戦400年だったことから、引きずられるように目覚めてしまいました←

日本史を学ぶうち、「本で出てきたあの場所」や「好きなあの方ゆかりの地」をぜひ五感で感じたいという思いから、地味に全国各地の史跡巡りに出かけております(笑)

・・・といっても列島南端の薩摩からなので、参勤交代で出費の激しかった薩摩のお殿様の気持ちが分かる分かる←


そして歴史書で「時空の旅」に出かけることも。

あしからず(何)


ジャンルは戦国&幕末を中心に考古~近現代、寺社仏閣、多ジャンルです。

どうぞよろしくお願いいたしますm(_ _ )m


Twitter⇒@ryokuboku


歴史と文化と和の心♪-1 過去の史跡巡りレポ(地域別)

訪問城郭 &訪問史跡(東北・関東・東海・北陸 関西・中国・四国 九州



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こんばんは‼
現在再度関西におります。

ようやく色々はっきりしてまいりましたので、改めてご報告させていただきたいと思います。



私事なのですが、来月4月より、薩摩を脱藩致しまして、京都に移住することになりました。

幸いこれまでの経験を存分に発揮できる仕事とご縁があり、目標を追い求めての決断でした。

家族や、職場の方々も温かく応援してくださり、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

淀殿と大阪城から歴史を好きになったのが小学生の時。
以来、初めての九州脱出も、初めてのひとり旅も、行き先は「大阪・京都」でした。

そんな思い入れの深い場所に暮らせる日が来るなんて、喜びでいっぱいです。


私は子どもの頃から追いかけている夢があります。
その夢は一概に言えば狭き門でして、実現するには厳しい道のりなのですが、段階を踏む度確実に近付いていっている気が致します。

それは自分の意思とは別に、これまで出会ってきた方々の応援あっての事だと思います。

京都での成功を誓い、目標を持って真っ直ぐ生きていく事で、お世話になった方々へ恩返ししてゆきたいですね‼



先日職場で送別会があり、素敵な花束や


フォトブックに寄せ書き、記念品をいただいて、涙が止まりませんでした。
・゜゜(ノД`)

6年間、心から尊敬し、まるで家族のようにかけがえのない仲間と仕事が出来て、本当に楽しかったです。


皆さん、私の夢を応援して背中を押して下さったので、それに応えられるよう4月からまた頑張って参りたいと思います‼



という事で、残りの鹿児島ライフ、満喫します(*´∀`)♪
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こんばんは‼

史跡巡りドライブレポ坊津編、ラストは輝津館参りたいと思います。

10年ちょっと前にリニューアルした南さつま市坊津歴史資料センター輝津館(きしんかん)。

こちらでは古代~中世における坊津の貿易関連資料や一乗院(薩摩藩屈指の有力寺院)の寺宝、そして琉球や中国との密貿易について学ぶことが出来ます。

 

以前もお話ししたとおり、坊津は古くから東アジア海上交通の要衝だった場所で、中世後期を中心に、琉球・中国との交易が盛んにおこなわれ、ポルトガル船も度々来航しております。

江戸時代になると「密貿易」が主流となるのですが、これがまた船の漂着を装って巧妙に行われていたそうです。

 

展示品の中には「琉球渡海朱印状」という、島津氏が坊津の船に与えた琉球への渡航許可証が展示されておりましたが、琉球や中国との盛んな交易をうかがわせる「琉球漆器」や「ルソン壺」などもずらりとならんでおりました。

また、一乗院のエリアでも、この寺院跡より出土した青磁器の破片が多く見られ、坊津が実に国際色豊かだったことを実感できます。

 

幕末になると薩摩藩は雄藩として成長するわけですが、これにいたっては交易環境、すなわち地理的条件も関連していたわけで、各地に残る主要な港を見てみれば、その重要性を窺い知ることができます。

 

そういった資料の充実に至ってはここも侮ることなかれで、貴重な史料が多く展示されており、ついつい見入ってしまいましたね‼

また、この辺りは江戸時代の番所跡でして、坊・泊両港に出入りする内外の船舶を検査し、特に異国船、唐船については厳重な警戒がなされていたといいます(禁制品・禁教の取り締まりなど)。

 

まさに交易の舞台地だった場所だなんて・・・っ!

鎖国体制下での坊津を、色々想像することが出来ます。

ちなみに坊津の海岸は綺麗な貝殻が採れることで知られるのですが、海岸に行かなくても輝津館でおすそ分けしてもらえます(笑)

こーれはいいお土産になりますネ♪

子どもさんは喜ばれるかと(*´ω`*)

 

リニューアルしてから1度は行ってみたかったのですが、10年経ってようやく実現することが出来ました(笑)

なかなか綺麗な博物館だった上展示内容も充実していたので、史跡巡りとセットで訪れることをお勧めします。

 

 

そして坊津、静かな町ですが、息をのむほどの綺麗な風景が何とも魅力的‼

これはもうここでは紹介しきれないですね(爆)

日常生活に揉まれているとき、心がリセットできる場所だと思います。

機会があれば、またドライブで訪れたいですネ(*´艸`*)

 

ということで、次回からの史跡巡りレポは、熊本ドライブ編参りたいと思います☆

 

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こんにちは!

史跡巡りレポ坊津編、じゃんじゃん参りたいと思います。

坊津の中央部「坊」と呼ばれるところに、近衛屋敷跡があります。

ここは桃山時代、薩摩に配流となった左大臣近衛信輔(信伊)が住んでいた場所だといいます。

 

近衛信伊(このえのぶただ=1565~1614)は寛永三筆の一人に数えられている公卿で、文化人としてよく知られます。

前久(さきひさ=流浪の戦国貴族。この方も薩摩に来ております)の子でして、内大臣・左近衛大将などを歴任し、文禄の役に従軍を望むものの勅勘を受けて薩摩に配流となります。

まあ、幼い頃から父と共に武士に接する機会が多かったらしく、彼らに憧れていた節があったみたいですね(笑)

文禄の役の時には何と自ら名護屋まで来て、後陽成天皇を青ざめさせております(ノ)゚Д゚(ヽ)

 

信伊は3年間坊津での生活を余儀なくされるわけですが、当時の島津家当主義久に厚遇され、近辺の様々な場所を散策しては和歌を詠み、また地元の人々とも交流を深めて書画を教えたり都の文化を伝播したりと、実に悠々自適な生活を送っていたといいます。

 

赦免されて京に戻る頃には「あと1、2年いたかったなぁ」といった意味の書状を残しているくらいなので・・・よっぽどこの地が気に入っていたことが伺えます。

 

そんな信伊の屋敷跡には、彼が植えたと言われる藤と、大正14(1925)年に建てられた「関白准三宮近衛信伊公謫居跡」の記念碑が建っておりました。

ちなみにこの碑の揮毫は後の内閣総理大臣・近衛文麿だとか・・・!

 

また、信伊は坊津滞在中、坊津海岸の美しい景観を「坊津八景」として和歌に詠み込んでおります。

そのうちの1つがこちらの「双剣石」と呼ばれる2つの巨石(写真中央)。

 

国の名勝に指定されており、かの有名な歌川広重もここを訪れ、「諸国六十八景」の中において風景画を描いております。

天に向かってそびえ立つ剣のようなこの二つの岩、それぞれ高さ27m、21mあるといいます。

こーれは実に圧巻でしたね!∑(゚Д゚)

一つの絵画を見ているみたいです。

都での窮屈な生活で一時心に病を抱えていたという信伊。

広い海、広い空、そしてこの美しい景観に心身ともにリフレッシュして都に戻った後には念願の関白になることが出来たといいます。

 

一概に「配流」というと「気の毒」というイメージがついて回りますが、こういうプラスなこともあったといういい例ですね。

 

 

なお、この前久・信伊親子については桐野作人氏著「さつま人国誌<戦国・近世編>」にしばしば登場しますので、お勧めです。

まさに「流浪の戦国貴族」さながらの面白い行動が興味を掻き立てますので、ぜひ☆

 

 

 

 

 

 

 

 

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