歴史と文化と和の心♪

薩摩発歴史好き管理人緑木の日々是奮闘記!!

歴史と文化と和の心♪-1 訪問ありがとうございます。歴史と文化と和の心♪-1

はじめまして!!

歴史大好きな薩摩おごじょ、緑木ともうします☆

小学時代、タイムリーに関ヶ原合戦400年だったことから、引きずられるように目覚めてしまいました←

日本史を学ぶうち、「本で出てきたあの場所」や「好きなあの方ゆかりの地」をぜひ五感で感じたいという思いから、地味に全国各地の史跡巡りに出かけております(笑)

・・・といっても列島南端の薩摩からなので、参勤交代で出費の激しかった薩摩のお殿様の気持ちが分かる分かる←


そして歴史書で「時空の旅」に出かけることも。

あしからず(何)


ジャンルは戦国&幕末を中心に考古~近現代、寺社仏閣、多ジャンルです。

どうぞよろしくお願いいたしますm(_ _ )m


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歴史と文化と和の心♪-1 過去の史跡巡りレポ(地域別)

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こんにちは‼

・・・気が付けば12月。年末になって参りました(;´Д`)

夏が過ぎれば本当に早いですね・・・。

この秋は車校に通っていたため、あっという間でした。

仕事納めに大掃除と、今年の締めくくりを進めてまいりたいと思います。

 

さて、今回の史跡巡りレポは甲府城参りたいと思います。

甲府城は武田氏滅亡後、豊臣大名であった浅野長政らによって文禄~慶長年間(1590年代)に築城されました。

関ヶ原の戦いの後、甲府城は徳川一門によって支配され、元禄時代に5代将軍徳川綱吉の側用人である柳沢吉保(やなぎさわよしやす)が徳川一門以外では初の城主となります。

その際に城の拡張と修復が行われ、城下も整備されたといいます。

吉保の子・吉里が大和郡山に転封となった後、甲府は幕府の直轄地となっております。

城は独立丘陵上に曲輪群が形成され、野面積み石垣や堀で囲まれておりました。

甲府城は江戸時代には広大な規模だったそうですが、明治以後は3分の1以下となってしまっております。

しかしながら、本丸の高石垣や天守台などが当時の姿を今に伝えておりましたね‼

 

 

では、早速登って参りたいと思います。

平成8年に復元された鍛冶曲輪門(明治の初めまではあったらしい・1枚目の写真)を潜ると、この門と天守曲輪・二の丸曲輪を繋ぐ坂下門跡が出てまいります。

江戸時代に書かれた『裏見寒話』には、城を建てる前にあった一蓮寺の門を転用していたとあるそうです。

さらに奥には元は柵の門だったという中の門跡が出てまいります。

門を多く配置することで、本丸の守りを固めていたことが伺えますね‼

そして‼

天守曲輪へと通じる鉄門(くろがねもん)が出て参りました‼

元々の鉄門は明治時代に他の建物と共に破却されてしまっておりますが、つい最近再建されたみたいですね‼

復元に至る経緯を紹介したパネルが置かれておりました。

こういった取り組み、本当にありがたいですね・・・。

さて、天守曲輪へやって参りました‼

・・・ほぼ築城当時の物とされる天守台、先日の台風で被害を受けたらしく、修復工事中でした・・・(;∀;)

また、ここから甲府市街地を見渡すことができます。

ちなみに天守曲輪にはボランティアガイドの方々が常駐しており、歴史トークでつい1時間近くも盛り上がってしまいました(笑)

地元ならではの情報はかなり貴重で、大変勉強になりました。

このような旅先での出会いは思い出に残りますね☆(´∀`)

 

特に盛り上がった話が、徳川家宣の話。

家宣は江戸幕府第6代将軍として知られますが、彼はかなり不遇な幼少期を過ごしております。

彼はもともと甲府宰相徳川綱重(家光の次男)の子になりますが、綱重、若気の至りだったのでしょう、二条関白家の娘との縁談が進む中女中に手を出し、虎松(後の家宣)を授かります。

目出度いことと思いきや、この出産はかなりタイミングが悪かったため、虎松は程なくして家臣・新見正信に養子に出され、綱重の子であることはしばらく伏せられていたといいます。

そんな虎松(新見家養子後「左近」と改名)が自身の出自を知ったのが、9歳の頃。

綱重正室の二条家の娘が子を成さないまま病死したため、急遽実家に呼び戻されることとなったのです。

それから17歳で甲府を相続し、43歳で将軍職を継ぐこととなるのですが、ここに行きつくまで数々の苦労を経験しているためか、「正徳の治」と称される善政を行ったことで知られます。

ただ、惜しむらくは・・・将軍在任期間がわずか3年と短かったこと。

もう少し彼の治世が長ければ・・・と嘆いた人も多かったみたいですね・・・。

 

ちょうど前の日に増上寺(家宣や綱重の墓もあります)を訪れたため、実にタイムリーでした(笑)

いやー、徳川の話はいいですね←

ボランティアガイドのおじ様方、楽しい時間をありがとうございました。

さて、城の話に戻します。

本丸の西側には鉄門と対だといわれる銅門(あかがねもん)の跡があります。

門の礎石が当時の規模を今に伝えております。

上田城編でもご紹介いたしましたが、ここにも「暗渠(あんきょ)」がありました。

暗渠は石垣内部や盛土に溜まった水を効率よく排水するための穴になります。

昔の知恵ですね‼

野面積みで積まれた豪壮な天守台は、天端と西側の一部が回収されたものの当時の姿をよく残しております。

これらの高石垣は東日本最大級と言われるのだそうです。

石垣をよく見てみると、高度な技術が見て取れますね‼

本丸のすぐ隣にある稲荷曲輪には、稲荷櫓が復元されております。

二重二階、入母屋造りの本瓦葺でして、寛文4(1664)年の建築当初の姿で建てられておりました。

井戸もありましたよ‼

井戸は城には欠かせない施設になります。

水の確保のみならず、色々な用途で使えたそうです。

またこの辺りに、石垣の抉れた部分が。

何だろうと思い近づいてみると、この石垣、二重になってます。

石垣の解体調査の折、背後に時代の違う石垣が出てきたらしく、石垣の積み直しが行われたことを裏付けております。

・・・確かに、手前と奥とで石垣の色が明らかに違いますね‼

このパターンの城は全国にいくつか見られますが、甲府城もその一つのようです。

稲荷曲輪を降りて、数寄屋曲輪に入ります。

ここからの石垣や塀は圧巻です‼

この数寄屋曲輪にも櫓があったそうなのですが、やはり明治初期に崩されてしまったのだとか・・・。

なお、この数寄屋櫓は城の最も東の守りを固めていた櫓だったといいますね‼

さらに進むと、興味深いものを発見。

「石切場」だそうです!

石を切り出すための古い楔の跡が残っております。

石垣と言えば遠方の所から仕入れるパターンをよく聞きますが、このような現地調達跡の施設はつい足を止めて城の石垣と見比べてしまいますネ(笑)

こちらは何の変哲もない広場ですが、芝生の下には勘定所跡が埋まっているのだそうです。

ここで年貢や作事、普請に関する事務を行っていたそうですね‼

江戸時代の勘定事情については最近映画などで話題になっておりますが、このような場所でもロマンが広がります。

出口に向かって歩いていると、道脇に落とし穴のような穴が。

これは、絵図の中ではあまり描かれることのない「水溜」というもの。

用途は分かっていないのだそうですが、発掘調査で出土したものだといいます。

水は生活の上では欠かせないものなので、用途については想像するだけでも無限大に出て来そうです・・・←

そしてここからの稲荷曲輪門は絵になります。

石垣・城壁・門の組み合わせ、最高ですね←

ちなみにこれはボランティアガイドのおじ様から教えていただいたのですが、かつて山梨県庁のある当たり、温泉があったそうです。

つい最近の発掘調査で明らかになったらしく、この山梨県庁も甲府城の一部であったことから、「甲府城は温泉付きの城」ということで地元では話題になったといいます。

実際17世紀に描かれた絵図にも「湯」と書かれた施設が描かれており、場所もこことほぼ一致したのだとか。

 

・・・日ごろストレスの堪えない家宣公(当時は綱豊)も温泉で癒されたのかと思うと、ちょっぴり救われる気が・・・←(話戻すな)

 

甲府城は現在も色々調査中とのことなので、また新たな発見が期待できそうです。

100名城スタンプもいただいて、甲府を後にしました。

 

 

 

甲府城跡は甲府駅の目の前にあるためアクセス良好です(笑)

故にまだ時間があったため、ある場所に立ち寄ったのですが、こちらは次回ご紹介いたしたいと思います。

 

 

 

 

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こんばんは‼

明日から12月ですね‼

 

・・・気が付けば今年も残り1か月・・・。

年々1年が猛スピードで過ぎていっている気がいたします(;´ω`)

とりあえず、今年は車の免許を取る&家茂没後150年に増上寺へ行く目標を果たせたからよかったかなぁ・・・←

ぼちぼち1年の締めくくりを開始したいですね。

 

ということで、本日の史跡巡りレポ甲府編は武田信虎の墓のある大泉寺参りたいと思います。

大泉寺は、武田信虎が大永年間(1521~28)年に自らの位牌所として創建し、天桂禅長を招いて開山した寺になります。

夢見山の山裾に位置するため、周囲はうっそうとした森になっております。

なお、こちらの総門は、屋根中央を一段高くした珍しい形をしており、享保9(1724)年に甲府藩主柳沢吉保の菩提寺永慶寺を取り壊した際移築したものと伝えられております。

総門を潜り、本堂へ向けて歩いていくと、古刹の雰囲気が参拝者を包み込みます。

近年建てられた本堂でお参りを済ませ、目的の場所へ。

「風林火山」の旗に囲まれたこちらの霊屋。

この裏手に武田信玄の父親である信虎の墓と伝えられる石塔が立っております。

 

信虎は、国主の地位についてから25年経った天文元(1532)年、今井信元を降伏させて甲斐国一円の支配をようやく実現させました。その後は今川氏と甲駿同盟を締結して北条氏に備え、信濃の侵攻を図ることとなります。

ところがあまりにも戦好きだった信虎を良しとしない者も多くおり、天文10(1541)年、信州佐久郡の大部分を制圧して凱旋した折、信虎は息子・晴信(信玄)と有力国人によって甲斐を追われることとなったのです。

 

この時信虎48歳。

彼はその後、娘婿にあたる今川義元のもとに身を寄せることになります。

 

『勝山記』によると、この事件について

「地下・侍・出家・男女とも、喜び満足いたしそうろうこと限りなし」

と記されているといいます。

 

・・・例えるならば、アレです。

よっぽどブラックだったのでしょうね・・・(;´Д`)信虎社長の支配下では。

戦における過重労働、そして支配強化のためのパワハラ。

いつの時代も・・・と言いたいところです(^_^;)

 

さて、身を寄せていた今川義元が桶狭間の戦いで没すると、信虎は京都に入り、更に高野山(和歌山)をはじめとする諸国を30年余りにわたって転々としていたそうです。

 

天正元(1573)年、息子である信玄が亡くなった後、念願の帰国を果たそうと信州高遠にて孫・勝頼と対面を果たします。

しかし帰国の願いは叶わないまま、翌年同地で病没してしまいます。享年81。

勝頼によって信虎の葬儀はこの大泉寺で行われ、彼はその死後、ようやく故郷の土となることが出来たのです。

 

 

 

信玄はこの父の姿を見て、人心を掴むことの大切さと組織におけるチームワークの重要さを学んだのだと思います。

仕事という「戦」においても、一人ひとり決して驕ることなく、常に周りへの感謝の気持ちを忘れずに取り組むことが大事ということに気付かされた気がいたしましたネ・・・。

 

 

ということで、12月も仕事頑張りたいと思います☆

─=≡Σ((( つ•̀ω•́)つ

 

 

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こんばんは‼

本日の史跡巡りレポは、三条夫人の廟所である円光院をご紹介いたしたいと思います。

円光院は、武田信玄の先祖である逸見清光が創建し、初めは清光院と呼ばれておりました。

その後、武田信守が父である信重の牌寺として成就院と改め、永禄3(1560)年、武田信玄がこの場所に移して「円光禅院」になったといいます。

元亀元(1570)年、武田信玄の正室・三条夫人が50歳で死去。

この地に葬られました。

三条夫人は京都の公家である左大臣三条公頼の次女で、今川義元の媒酌により16歳の時に晴信(信玄)と祝言を上げました。

彼女は晴信との間に義信・信親・信之・黄梅院(北条氏政正室)・見性院(穴山梅雪正室)といった3男2女を儲けております。

円光院の葬儀記録によると

「とても美しく、信仰心が篤く、春の陽光のように温かい人柄で、夫婦仲も睦まじかった(by快川和尚)」

とあるそうで、はんなりとした京美人であったことがうかがえます。

 

ただ、彼女の不幸は腹を痛めた3人の息子が武田家を継げなかったことでしょうかね・・・(´・ω・`)

 

長男の義信は、今川攻めを実行しようとする父と対立(義信は今川義元の娘を妻に迎えていた)。謀反を企てたことにより自害を命じられてしまいます。

更に次男信親は失明、三男信之は夭折してしまっていたのです。

 

これにより、信玄の跡は側室・諏訪御料人の生んだ勝頼が継いでおります。

 

周囲からの哀れみの目にも耐え、武田家の室として己の役目を全うした三条夫人の生き様を思い、手を合わさせていただきました。

 

私的に、2007年の大河ドラマ『風林火山』にて池脇千鶴さんの演じた三条夫人がなかなか印象的でしたね‼

イメージ通りでした(´∀`)

本堂は割と最近のものでしたが、高台にあるため

甲府市街地を一望できます☆

・・・普段海のある風景に慣れているため、周囲を山々に囲まれている光景は本当に不思議な感覚でした(笑)

 

 

次回もう一ヶ所お墓参りレポになりますが、お付き合いいただければ嬉しいです←

 

 

 

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