豊国神社 | 歴史と文化と和の心♪

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京都発歴史好き薩摩おごじょ緑木の日々是奮闘記!!

こんばんは!

・・・先ほどまで、文通相手さまに書を認めt←(笑)おりました。



今のうち書かねば、来週からの年末年始またかなり忙しくなるし・・・

来年の史跡巡りがかかってくるので、冬のうちにいっぱい働いて稼がねばっ←(笑)


平日は、会社の人などに年賀状をちまちま書いております。

考えてみれば1週間後はもうクリスマスですね!!Σ(・ω・ノ)ノ!


早いょー(TωT)


年賀状もまた今のうちなので、何とか元旦に間に合うよう頑張りたいと思いマス(来年うさぎ年だから書きやすい(笑))!



今年最後のお手紙に限って立花宗茂づくしなので、文通相手さまにドン引きされないかハラハラしておりますが←(笑)、お手紙にしても年賀状にしても、今年一年の感謝の気持ちをもって書きたいですネ!(´∀`)






さて!

年内に京都編が完了するか不安になってまいりました←(笑)が、本日は豊国神社のレポまいりたいと思いマス!


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以前ご紹介いたしました、方広寺のすぐ横に、豊臣秀吉を祀った豊国神社(とよくにじんじゃ)があります。

大阪城の横にも同じ漢字で「豊国神社」がありますが、こちらは「ほうごくじんじゃ」と読むのが一般的のようです(こちらも以前ご紹介しておりマス)。


豊国神社は、秀吉の遺命によって秀頼さまが半年かけて石段上り口の太閤坦(たいこうだいら)に80余りの社殿や僧坊を築き、はじめ「豊国社」という形で建てられました。

その後やがて太閤秀吉に「豊国大明神」の神号が下されることとなります。


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鳥居の額をよく見てみたら、「豊国大明神」と書かれておりました。


・・・ちなみに秀頼さま、「豊国大明神」と書いた書を多く残しております☆

中には8歳の時の書や13歳の時の書などが残されており、子どもとは思えない達筆さにただただ舌を巻くばかりでしたね!Σ(゚д゚;)


大阪城天守閣で見ることができます♪





・・・話を戻しますが←(笑)、慶長9(1604)年8月の7回忌の臨時祭は有名でして、豊国踊りや風流踊りが華やかに行われたといいますね!


秀吉は・・・亡くなったあともまた派手n・・・←



ところが、慶長20(1615)年に豊臣家が滅亡してしまうと、神社は荒廃し朽ちるにまかされたといいます。

が、明治になって整備され、現在の豊国神社は明治13(1880)年に復興されたものだといいますね。。。



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境内の中でもまず目をひくのが、本殿正面の唐門(国宝)ですね!

唐門は旧伏見城から南禅寺金地院に移したものをさらに移したものといいますが、二条城のものであった可能性も高いといいます!


西本願寺のものとよく似ていてなかなか興味深かった・・・←


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本殿の周りには灯篭もたくさんありましたが、いずれも豊臣家恩顧の大名が奉納したものと言われ、本殿左右の鉄灯篭は、釜座の与二郎の鋳造名があるといいますね。



方広寺同様、こちらもまた9年前に1度来たことがあるのですが、9年前と同じく、すんごく静かでした!!

・・・戦国ブームとかいうから少しはにぎやかになっているのかな・・・と思いきや(笑)


しかし、この静かな空間がまた不思議な雰囲気を醸し出しており、なにやら神秘的なものを感じずにはいられませんでした!




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提灯が太閤桐v←

絵馬も瓢箪となかなかユニークです♪



ちなみに宝物館には、狩野内膳筆紙本著色豊国祭図をはじめ、薙刀直シ刀、桐唐草・桐鳳凰・桐薄の蒔絵の唐櫃3合、黄地菊桐紋付沙綾銅服といった、桐づくし・・・豊臣づくしの展示でした♪←



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もちろん、案内板も建ってます。


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秀頼さまが家康と面会する前に立ち寄ったと言われるので、9年前に喜び勇んで行った記憶が←(笑)ありますが、なかなかかつての豊臣家の栄華を偲ぶことができる神社だと思います。。。









来週も・・・というより、今年もあとわずか!

いろいろ慌しいですが、風邪には気をつけて乗り切ってまいりましょうっ\(^_^)/