今治城の紹介3 主郭内部と櫓内部 | みどりの木のブログ

みどりの木のブログ

1日おきに更新しています。

昨日の続きです。

主郭内部に入りました。

 

桜がほぼ満開でした。1980年に再建された模擬天守は

五層六階(石垣部分が地下1階)です。

 

藤堂高虎と天守です。再建天守は鉄筋コンクリート造りです。

 

主郭地図です。左下はガイドさんの手です。

 

天守の方に行きました。

 

 

 

天守の城門です。

天守は約37年前の昭和55年に、鉄筋コンクリート造りで再建

されました。モデルの城は、高虎がここに造った天守が、丹波

亀山城に移築されたために、その亀山城の天守古写真から、

北隅櫓に再建されました。 高虎の天守は吹揚神社の辺りに

あったようです。創建時の五層天守は、史上初の層塔式でし

た。この後は層塔式は構造が単純で、建て易いために主流に

なります。

 

門横にある城の沿革です。

 

門をくぐった所です。

 

くぐった門を内側から撮影しました。

この反対方向は

吹揚神社があります。

 

初期の天守はこの辺りにありました。

 

天守に入りました。

内部は歴史資料館と自然科学館になっています。

石垣のある地下一階のトイレには築城当時の石垣

が残っています。

築城当時の野面積みの石垣です。

 

内部展示の様子です。

 

内部は近代的な普通の階段です。

展示品の一部を引用紹介します。

 

現在この城の敷地は、この神社の所有となっています。

 

藤堂高虎は本丸中央に天守を造るのが常でした。

 

搦手になっていた山里櫓の解説板です。

 

中堀・外堀もあった江戸時代の今治城です。城内の港は今の今治港です。(パンフレットより引用)

 

江戸時代の今治城の本丸・二の丸の想像図です。(パンフレットより引用)

 

江戸時代の松平久松家の歴史です。久松家の初代は

家康の甥にあたる松平定房です。松平定房の兄は松山

藩主家になっています。

 

次に外堀の跡です。

外堀跡の金星川です。江戸時代は幅30mありました。

 

 

次に、海側の外堀は

海側の外堀跡です。

 

外堀跡の解説板です。

 

今治城周辺の地図です。

 

⑥の国分山城は

今治城が出来るまでこの国分山城が、東伊予を治めるための拠点の城でした。

 

藩校の「克明館」の扁額です。松平定信の揮毫です。克己すること明らかからと思います。

1805年に開設されたこの藩校名は、松平定信からもらった名前です。

 

愛媛の語源になったという、伊予の地誌「愛媛面影」です。

古事記には字体の違う「えひめ」があるそうですが、愛媛と

表記したのは著者の半井氏が初めてだそうです。

左の絵図は肱川沿いにある大洲城の絵図です。

 

今日はここまでです。明日は天守最上階からの写真と武具櫓内部などです。

 

読者募集中ですので、読者登録お願いします。
希望があれば、相互登録します。相互アメンバーも募集中です。
どちらもチェックを外して「読者とわかるように」に設定して登録してください。
読者のブログ村・ブログランキングを出来るだけ押しに行きます。
Ctrlキーを押したままで、ポチしたら画面が飛ばされません。
 
お手数ですが、よろしく。下矢印ダウンぽちっと下矢印ダウン押すだけ
                          ブログランキング・にほんブログ村へ                                                      
                              にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へ
 
                              にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
 
                                                                                                 お願いします。