昨日の続きです。
昨日は本郭まででした。
フィシュアイで撮影した本郭と高櫓郭です。南方向下図⑩から⑪方向を見たところです。
(撮影に使ったカメラはD3200です)
昨日UPの縄張図です。(⑦の北側が三本松郭です)
フィシュアイで撮影した大阪市内の風景です。小さいけど少し高い300m
のあべのハルカスが見えています。
本郭からの景色です。
本郭から見える景色です。大坂市内とその右に六甲山が見えます。
手前の学校のある辺りがJR四条畷駅です。左端にアベノハルカスが見えます。
飛行機が飛んでいました。
明石海峡大橋が見えます。
この少し右を撮影すると
明石海峡大橋と六甲山です。
高櫓郭に登ると
⑫の高櫓郭です。左の建物は戦前の国旗掲揚台です。
正面が楠木正行像です。高櫓郭は25m×15mの削平地です。
登って振り返り、高櫓郭から本郭を見たところです。
第2次大戦前の国旗掲揚台です。
高櫓郭です。ここに飯盛城址の石碑があります。
武将の像は楠木正行です。
昭和12 年6月に、当時の四條畷村長八代氏が発起人となり
小楠公会によって、元東京美術学校教授黒岩淡哉氏によって
製作されました。昭和18 年に戦時供出されましたが、47 年
に田伐兼松氏によって再建されました。銅像は四条縄手合戦
前に、吉野の如意輪堂の壁に辞世の句を書き終えた姿だとい
われています。像は北方を向いて、湊川の戦いを前に楠木親
子の今生の別れとなった西国街道桜井駅を向いているといわ
れます。
ここで記念撮影をしました。高櫓郭は周囲に木々があり、風景の撮影がし難いです。
正行像の右奥に、正行の銅像を建てた、田伐兼松氏の銅像もあります。
正行の銅像を建てた田伐兼松氏の銅像です。
展望台に貼ってあった地図です。昨日UPの三本松郭が二の丸史蹟碑郭
になっています。
下の縄張り図では二の丸史跡碑郭が三本松郭になっています。
どちらかが間違いですね。大東市教育委員会生涯学習課文化財
グループに問い合わせると、展望台に貼ってあった地図の方が正
しいそうです。したがって、下の地図の三本松郭は間違いでした。
正しくは二ノ丸史蹟碑郭です。これまでの間違った箇所はすべて
訂正しておきました。
三本松郭の位置を訂正しました。
上の地図の⑦の位置が
右側が歩いてきた道⑤の方向です。
左側の道を上ると
三本松郭です。左側にある旧飯盛山登山道でも下山出来ますが、
法面崩壊の恐れがあり危険だそうです。この旧道の方が早く下山できます。
その他に貼ってあったものは
飯盛城の説明板です。
お染・久松の塚が野崎観音境内にあるそうです。
お染・久松の墓はこの前紹介の野中寺にありました。
セレブなお嬢様のお染に好かれて、下流階級の丁稚
久松は幸せであったと思いますが、周りがその仲を
許さず、結局は心中したという悲しい物語です。
この物語は江戸の一部にも知れ渡り、夏目漱石も
知っていたそうです。
最後に
ちょっと読みずらいですが、野村徳七という野村証券・大和銀行を
創設した人が、野崎村新池の奥にあった、相場の神様と言われる、
宝塔神社にお参りしていたというお話です。成功する人は神社に
お参りする人が多いといいます。
長くなるので、今日はここまでにします。続きは明日UPです。
読者募集中ですので、読者登録お願いします。
希望があれば、相互登録します。相互アメンバーも募集中です。
どちらもチェックを外して「読者とわかるように」に設定して登録してください。
見てくれた人にはブログ村・ブログランキングを出来るだけ押しに行きます。
Ctrlキーを押したままで、ポチしたら画面が飛ばされません。
お手数ですが、お願いです。ぽちっと押すだけ