朝から小雨でした。しかし、11時ころになると雨も上がり
曇りとなり。最後の午後5時まで曇りのままでした。
少し遅れて着いたのでプログラム三光神社のこども隊
が、すでに旧真田丸の辺りに居ました。
このあたりが真田丸のあったところです。周囲より
高くなって岡のようになっています。上の写真3枚
は三光神社氏子のみなさんです。
平山氏のレジメの一部です。
真田丸の原型といえる城が信州にあるそうで、
元は武田流軍学の馬出しだそうです。
また、幸村の父が生きていれば、もっと真田の
意見が入れられたそうです。幸村は無名に近い
存在だったので、大坂方に意見が通らなかった
らしいです。また、夏の陣で家康に突撃したとき、
後方に大坂方の奉行衆の隊がいたので、彼らが
協力していたら、家康の首を取れたかも知れない。
そして、前日の道明寺の戦いで、幸村がしんがり
を務めたため、伊達政宗軍を蹴散らした時には、
幸村隊に大きな被害が出ていた。これが、翌日の
突撃に影響したという話でした。
今日中にUPしたいのでこの続きは明日にします。