さようなら『釜揚うどん 一忠』 | 近鉄八尾駅前にある鍼灸整骨院 東洋医学の事なら、いど鍼灸整骨院。

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皆さんは『釜揚うどん 一忠』をご存じでしょうか。

 

 

 

 

 

 

『一忠』がなければおそらく讃岐うどん、中でも釜揚げうどんがこれほどまで関西で広まることはなかったのではないか、と思います。

そんな八尾の名店『一忠』に昨年こんな張り紙がなされました。

 

 

 

 

客の途切れることのない名店が、なぜ??

 

 

 

 

 

 

 

そんな折にご縁を得て、6月19日(日)、お忙しいなか閉店後約2時間にわたって大将の森岡一彦氏にお話を伺って来ました。

 

 

閉店後の『一忠』で

 

 

 

「釜揚げうどんの美味しさを知ってもらいたい。 それだけだった。」

 

 

地元八尾の中学校をでた森岡さんは20歳で忠子さんと結婚。

会社員の傍ら、製麺所で早朝アルバイトをされていました。

そこで出された、まかないの打ち立て茹でたてのうどんの美味しさに驚いたといいます。

 

そして、昭和47年(1972年)11月21日、21歳の時に『一忠製麺所』を立ち上げました。

機械製麺だったことや前年の昭和46年にはカップヌードルの登場などで、悪戦苦闘するなか、「なんか、時代と違う」と感じた森岡さんは開業1年半後、「本場の讃岐へ行こう」と思い立ちます。

 

昭和48年(1973年)国鉄(現在のJR)で岡山・宇野港から宇高連絡船で高松へ。着いたのが1月の夜中だったと言います。

そこでタクシーの運転手に「香川でおすすめの店へ連れて行って欲しい」……タクシーで約40分、片田舎を走って、着いたのが満濃町にある田んぼの中の一軒家、釜揚げうどんの元祖『長田うどん』でした。

今は故人となられた長田留吉氏に修業を願い出るも断られ続け、戸籍謄本と住民票を持ってお願いに行った4度目の9月に、とうとう弟子入りの許可を得ました。

「昭和48年の9月1日に2番目の娘が生まれたばかりの時の修行で嫁はんには苦労かけました。」と森岡さんは苦笑します。

 

昭和48年10、11、12月の3ヶ月の修業期間を経て

昭和49年(1974年)2月5日、現在の地に『釜揚うどん 一忠』を開店。

当時は今の3分の1の規模で席数17の小さなお店でした。

 

当時釜揚げうどんの認知度も低く、美味しさもあまり知られていず、しかも住宅地での開業。

すぐに今のような繁盛店になったわけではなく、泣きながらうどんを捨てたこともあったと言います。

 

そんな中でも森岡さんは「いいうどんを打ってさえおれば、自然に知れ渡って、不便をいとわず客はわざわざ足を運んでくれる」と確信していたそうです。

「うどんは、釜からあがりたてのものしか使わない。表面はつるっと柔らかく、芯に行くとコシがある、そんな釜揚げうどんの美味しさを知ってもらいたい、それだけでした」。

 

 

 

 

表面はつるっと柔らかく、芯に行くとコシがあるうどんと

道南真昆布、メジカ、ウルメ、イリコでとった まろやかなだし

 

 

 

 

生姜の塊をおろし器ですりおろし、昆布や鰹の佃煮をつまみながら、うどんが茹であがるのを待ちます。

薬味は、刻みネギ、天かす、すりごま、すだち汁、七味唐辛子

 

 

 

 

そんな『一忠』に転機が訪れたのが、開店後3年経った頃でした……

 

 

「ある朝いつものようにABCラジオの早朝番組『おはようパーソナリティー中村鋭一です』を聴いていると、船場センタービルで脱サラしてうどん店『さぬき家』を創業、うどん評論家でもある小島高明氏が出演していて、朝日新聞社から出版された『体当たりうどん考』(昭和50年10月発刊)が紹介されていたんです」

 

 

それをきっかけに森岡さんは小島さんと連絡を取り、お付き合いがはじまりました。

そして小島さんが次作の『うどん店の経営』(柴田書店・昭和56年11月発刊)で「住宅地で釜揚げうどんだけで勝負する個性的な店」として『一忠』を紹介。

 

 

 

 

森岡さんが大切にされている蔵書

 

 

 

その後『そば うどん 第14号』(柴田書店)などの専門書でも紹介され、『一忠』の人気に火が付きました。

 

 

 

『そば うどん 第14号』

 

 

 

 

『釜揚げうどんのため ええと思ったら 何でもやってみた。 その繰り返しやった』

 

 

また、一方で「茹でた麺を無駄にしない。各家庭を一忠に」との思いから冷凍うどんをいち早く販売したのも『一忠』です。

「冷凍食品を製造販売するには認可が必要なんやけど、地元の保健所ではなかなか許可が下りず、直接大阪府に出向いて細菌検査をしてもらって認可を受けたら、保健所も認めてくれよった。」と森岡さんは苦笑します。

2008年、生うどんのパック販売もはじめ、釜揚げうどんが家庭でも気軽に食べられるようになったのも『一忠』の功績です。

 

 

 

有名店になるにつれ、弟子入り志願者も増えました。

森岡さんは『長田うどん』がそうだったように修業期間を3ヶ月と決めています。

そして「そのあとは、思うようにやったらええねん」と。

 

 

 

「できる限りのことはした。 後は弟子のみんなが 釜揚げうどんを 広めてくれる」

 

 

現在『一忠』のお弟子さんの店は、7店舗あります。

 

・北海道の札幌発寒にある『一忠』は、宮井明さんが店主で1987年に創業。

『一忠』一門では最古参のお店。

釜揚げうどん一筋で28年続いている老舗です(夏期限定で、八尾の『一忠』同様「細ざるうどん」はあります)。

札幌の味処を紹介した『さっぽろ 味漫遊』(梅村敦子・北海道新聞社、2001年10月発刊)の中で、宮井さんは「そば屋に勤めながら将来を模索していた頃、偶然手にした専門書の中に『一忠』の記事が出ていて、大阪に行き、3ヵ月だけ居させてもらったんです。修業? ただ、仕事を見ているだけで、何も教えてくれませんでした」。…森岡さんは「北海道の人に合ううどんを作れ」と言ったそうですが「結局、師匠と同じ味になりました」と語っています。

 

・大阪・長原『釜揚うどん 桂(けい)ちゃん』は、忠子さんの甥で、心斎橋にあった釜揚げうどんの名店『しんぼり』の店長だった寺田桂治さんがされています。

だしを追求し、真昆布と厚削りの本枯節を使用。

釜揚げはもちろん、河内鴨汁の美味しいお店です。

 

・大阪・長居『釜揚うどん 一心(いっしん)は、幼い頃から『一忠』のうどんで育ったという青山剛史さんのお店。

鰹節は『一忠』と同じ、味・スタイルもそのままに…違うのはご飯類(おにぎり、かやくごはん)があることです。

 

・大阪・東大阪(小阪)『釜揚うどん 一心(いっしん)は、田川大介さんが店主。生地の配合や熟成時間をやや短めに微調整して独自の風味を追求されています。

「和牛と特製スパイスのカレーうどん」が人気です。

 

・大阪・千林(今里筋線清水)『釜揚うどん 山田製麺所』は、山田浩一・知子夫妻がされています。

7玉入りの「七福神うどん」、塩分ゼロの「妊婦向けうどん」、夜は居酒屋顔負けのレアなメニューも。

 

・大阪・今宮『釜揚うどん 一紀(いっき)は、3年前に開業。一門では一番新しいお店です。菊川勇紀さんが店主。

長居の『一心』と同じく、八尾の『一忠』と同じ鰹節を使い、「釜玉」「ぶっかけ」「スパイシーカレー」「油かすのつけうどん」、冬はおでんや鍋などレパートリーの多いお店です。

日曜の早朝営業もされています。

 

・徳島・鳴門『鳴門 一匠(いっしょう)は、金毘羅前にあります。

「釜揚げうどん」に「釜玉」が通年メニューで、夏は「ざるうどん」が追加されます。

徳島には珍しく揚げ物(天ぷら)類も置かず、店主の五島義浩さん自身が納得のいく麺が打てなかった時にはお店を開けないスタイルを貫く、こだわりのお店です。

 

 

 

 

6月17日(金)にお伺いした際に

 

 

 

最後に、私自身が自営業ということもあり、一番聞いてみたかったこと。

店を閉めようと決めた動機について伺いました。

 

「一般の人に知らせたのは1年前やけど、実は閉店は自分の中では3年前に決めてたんです。2年前には取り引き先に迷惑が掛からんように知らせてましたんや…」

 

森岡さんは語ります。

 

「具体的な理由はいくつかあるんやけど……一番大きいのは後継者がいないということ。心当たりのある人、数人にも声かけたんやけどやっぱり『一忠』という名前が大きすぎて…と。それと、普段から朝3時起き、夫婦共に65歳で肉体的にもきつくなってきましたわ。人も設備も老朽化(笑)。その上、親の介護もありで……」

 

「自分ができる力は出し尽くした。こんなに長く店を続けられたんも皆さんのおかげで、幸せです」と満面の笑みで語られたのが印象的でした。

 

 

 

店名の『一忠』は、一彦さんの「一」と奥さんの忠子さんの「忠」から。

結婚前から店をするならこの屋号に、と決められていたそうです。

 

 

普段から山や街を歩くことがお好きな森岡さんは「店を閉めたら、全国を歩きまわりたい」と。

 

 

最後に第2の人生として挑戦中のこと、これからの夢、そして、それに対する思いも語って下さいましたが、ここではあえて書きません。

その時、その場所に居合わせないとわからないこと、伝わらないこと…そんなことがあるんだ、ということも同時に確認しつつ、長文を終わりたいと思います。

 

そして、私自身がこういった方々から日々の生命(いのち)を頂いているんだということも、ここに記しておきたいと思います。

 

ご縁に感謝致します。

 

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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