この本のタイトルをみてドッキリ、私の父のことかと思った。
この本についてはあれこれ書きたいこと(悲しくてやりきれないやら、ショーケン、民藝等々…)はあるのだけれど、今回は今から八年ほど前に、某所に書いた私の『父のこと』を再掲します。
最後までお読みいただけると嬉しいです。
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『父のこと』
患者さんと治療室であれこれ話をしていると、たまに「なんでそんなことまで私のことがわかるんですか!先生は霊感でもあるんですか!」と驚かれることがある。
私は『気』という目に見えないものを毎日相手にしてるが、世間でいう霊感などまったくなく、不気味な出来事に遭遇したことも、おどろおどろしいものを見かけたこともない。
とはいえ、積極的にそういうものを否定したい気持ちもない。
死後の世界や霊の世界があるとしたら、実際の自分の『死』を迎えた時の恐怖感がかなりやわらぐ気がする。
霊感などない、不気味なことに遭遇したことはない、とはいったものの、一度だけ、「いったいあれは何だったんだろう」とふとした時に思い返す出来事がある。
父に関することだ。
私の父は、子どもが言うのもなんだが、昔にすればすらっと背が高く、スーツ姿がとてもよく似合う美男子だった。
真面目で、ユーモアがあり、穏やかな人だった。
「きんつば」とグリコの「ビスコ」が好きで、よく「子供みたいやけど…」と言っては母に買ってきてもらっていた。
私がこの医療の世界に入ったのも父の影響で、最期の最期まで応援し、気にかけてくれていた。
父は19年前、癌で亡くなった。
67歳、肺癌だった。
癌が見つかった時はもうすでに手遅れで、手術も出来ず、見つかってから半年も経たずに亡くなった。
葬式も終え、三月(みつき)も経った頃だろうか。
墓参りに行ったときのことである。
我が家の墓は、全体で6畳ほどの広さがあり、そのうち4畳半くらいが石枠で囲われている。
その中には赤土が入れられていて、その赤土の表面全体を10センチほど掘り起して固まった部分を砕き、時にはふるいをかけたりしながら、最後は全体を平らにならす。というのが、墓石を拭くのと同じくらい重要な墓参りの作法なのだ。
いつものようにスコップで赤土を掘り起こしていると、赤土と一緒に見慣れた小袋が掘り起こされてきたのだ。
「ビスコ」だった。
一瞬、何がなんだかわからなかった。
しかし、それは紛れもなく「ビスコ」だった。
きつねにつままれた、とはこの事かと思った。
墓には、何か供え物をするという習慣もなく、また当時、うちの子どもをよくベビーカーに乗せて墓参りはしていたが、ビスコを持たせたこともなく、万が一記憶違いで持たせていたとしてもそれが土の中から出てくる理由は考えられない。
もちろんそのことを、残された私たち身内のなんらかの思いが作用して、父の好きな「ビスコ」に形を変えたのだ、と思うことはできる。
かなり、現実味はないけれど…
ただ、私はそのことを考えるたびに、温厚でユーモアがあった父のことを思い出し、それくらいのことはあってもいいのではないかな、と感じる。
そして、墓参りのたびに、今度は「きんつば」でも、と思いながら赤土を掘り起こすが、あの時以来、小石の一つ出てくることはない。
もう、あれから20年近く経つというのに……。
(2016年10月27日)
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