日吉神社(福島県福島市上鳥渡) | ゴシュインデイズ

日吉神社(福島県福島市上鳥渡)

日吉神社(ひよしじんじゃ)。



福島県福島市上鳥渡に鎮座。
御祭神は大山咋命(オオヤマクイノミコト)、大名牟遅之命(オオナムチノミコト)、少毘古那之命(スクナヒコナノミコト)。

宮代山王日枝神社と共に並び称される、信達三山王の一社。


文徳天皇の御代、天安二年(858年)に按察使・中納言藤原山蔭卿が勧請し創建したのがはじまり。
その後、三百年を経て建暦・建保の頃には佐藤庄司元治の一族によって崇敬され社殿が造営された。

さらに降って天正年中(1573~1593年)には亘理備後守重次、天童帯刀定義らにより宮社が新築されるものの、承応三年(1654年)に火災に遭ってしまう。

その後、寛文六年(1666年)に再建。
社地は高台にあり信夫平野を瞰下でき、老杉は鬱蒼と茂り風致は特に優れ、社殿は巍々として荘厳美麗を極め、祈るところ応現しないことは無かったのだという。
特に眼病平癒・養蚕安全の霊験が顕著であったため、遠近問わず参拝する人が絶えなかったのだそうだ。

しかし、明治四十二年六月十二日、再び火災により社殿が焼失。
その後、氏子や有志らによって再建され、現在に至っている。


かつては鳥渡山王権現として呼ばれた神仏混淆の信仰の対象だったが、明治に入って神仏分離が進んでからは現在の社号である「日吉神社」になった。

明治以前は山号を「開眼山」といったそうで、「眼病平癒」の信仰が篤かったことが伺える。

ちなみに、以前は境内に仁王門もあったそうだが、神仏分離が進められた結果、福島市庭坂の清水観音堂に移設されたのだとか。









【 鳥居 】
大きな石造りの鳥居。
この日は地面に雪が積もっていたんですが、その雪にも負けないほどの白さが特徴的ですね。




【 参道 】
鳥居をくぐった先の参道。
雪でツルツルで歩くのに難儀しました……
参道は一段、二段と段階を踏んで高くなっていくような形で、あちこちに石垣がありました。




【 手水舎 】
参道右手にある手水舎。
蛇口の部分に付けられているのはリスの像でしょうか。
山王様とリスってあまり聞かないですが、何か由来とか有るんでしょうかね。


境内社?らしき建物。
扁額の文字がほとんど消えてしまっていて分かりませんでした……




【 旧護摩堂 】
鳥渡山王権現だったころの護摩堂だった建物。
現在は社務所になっているようです。
明治に入るまではここで護摩行がおこなわれていたんだとか。

明治四十二年までは護摩堂から御本殿まで長い廻廊で繋がっていたそうですが、火災でその廻廊も焼失してしまったそうです。
















【 拝殿 】
拝殿前にはテントと大きなグリーンのシートに包まれたものが。
このシートに包まれてるのは恐らく除染作業で出た土とかでしょうね。

拝殿の格子扉に何かくっついているように見えますが、これは赤い猿の人形なんだそうで。
山王様の神使が猿だということから納められているそうです。




【 本殿 】
そしてこちらが御本殿。
一段高いところにあって風格がありました。



さてさてさて。
無事お参りが済みまして、御朱印をお願いするわけですが。
こちらの鳥渡山王日吉神社さん、普段は宮司さんがいらっしゃいません。

じゃあどこでお願いしたのかというと、実は福島稲荷神社さん。
こちらの日吉神社の宮司さんは普段、福島稲荷神社さんで奉職されているようです。
で、そちらの社務所でお願いしたのですが……


宮司さん「あー、御朱印。今ここには日吉神社の印は無いから後日来てもらえますか。探しておきますんで」


とのこと。

二週間後くらいに再度お参りして伺ったところこんなご回答をいただきました。


宮司さん「御朱印ね、探したんだけど『日吉神社』って入ってる印が無くて。どうしようか?」


と話していたところ、稲荷神社の他の神職の方が、


「この神璽の印なら有りますよ。宮司之印も」


とのこと!


宮司さん「日吉神社の印じゃないけど、この印でも良いですか?これでいいなら書きますんで」


という流れになりまして、御朱印を頂きました。




そして頂いた御朱印がこちら。
上記のような流れで頂いたので、お願いした際いただけるかどうかの確証は無いんですが立派な神社ですのでぜひお参りされてみてはいかがでしょうか。

ちなみに信達三山王の残り一社ってどこなんでしょう……
有名どころっぽい感じで行くなら、霊山の山頂の日枝神社とか……?



◆神社への地図




◆神社の情報

鳥渡山王日吉神社   とりわたさんのうひよしじんじゃ

御祭神 : 大山咋命、大名牟遅之命、少毘古那之命
社格等 : 信達三山王の一社
鎮座地 : 福島県福島市上鳥渡字山王16