私の母は付き合いきれないババアである。

 

  助けて欲しい人をいじめて喜ぶ、というヘキがあるのに気づいて、先日、私は実家に行き、母に向かって「てめえなんか早く死ねよ!!!!」とブチ切れてみました。

 

  どうして普通の母親ができることができないんだ?

 

  という私の問いに対して、「・・普通って分からないの」と消え入るような声でうつむいた母。

 

  そうだろうな、普通に育っていないから、普通に我が子を育てることができないのね。

 

  そんな話はさておき。

 

  私の母はどこかが歪んでいるが、彼女はとても字がうまい。

 

  筆記用具がなんであれ、ペンでも筆でも、とてもうまい。

 

  本人の話では、ちゃんとした先生について書道をたしなみ、その先生の書も売れていたが、母の書の方が高い値で売れたという。

 

  これは本当かもしれない。

 

  というくらい、母の字は素晴らしい。

 

  こんな素晴らしい字を書く女が、どうして歪んでいるのか謎である。

 

  母も「字を見れば人となりが分かる。素直な人は素直な字で、ひねくれている人は癖のある字」とよく言っていたが。

 

  だったら、あんたはものすごくひねくれた字を書くはずじゃん?

 

  不思議ですよね~。

 

  で。

 

  そんなことをこのブログに書くと、書家の方々から「いいね!」やペタをいただくのですが。

 

  字って、結局、好みなんですよね。

 

  誰から見てもうまい字というものあるのですが、その中でも自分の好みというものがあり。

 

  昔、日光に母と旅行に行き、家康ゆかりの刀剣や書を展示している小さな博物館があったのですが。

 

  母は家康の字を見て、「う~ん、下手だね。でも努力家だって分かる」と断定。

 

  私も同感でした。

 

  後冷泉上皇(だと思うのですが)の字を見て、「これはすごい!これほどうまい字はなかなかない!」と絶賛。

 

  私もこれに同感。

 

  どれほど素晴らしい上皇さまだったのでしょうかね。

 

  で。

 

  私、どんな書が好みなのかしら?

 

  とふと思い。

 

  この「書家101」を読んでみました。

 

  最初に「奇人、狂人、悪人達が書の美を磨き上げた」とタイトルがあり。

 

  この題には笑った。

 

  狂人が書の達人なら、うちの母ちゃんもそうかも~。

 

  このタイトルを目にしただけでも、この本を借りてよかったかも。

 

  で。

 

  中国の書の担い手の多くが、左遷され、殺害され、あるいは自殺した政治家であるように、書は苛烈な政治と共にあった。書は、左遷と馘首と挫折を免れなかった政治家、つまり文人の志の悲歌であった。

 

  他方、日本の書の多くは天皇周辺の宮中の貴族を始めとする歌人、もしくは仏教僧に担われた。書は政治的色彩を纏う以前に、吸収すべき東アジアの学問、知識と共にあった。習字や書道は字をうまく書くことという日本の学習=教育的理解も、ここに生じている。

 

  と説明は続くのですが。

 

  この書家の字、私の好み。

 

  そう思ったのは、この本では、劉墉、橘逸勢、一休宗純の3人です。

 

  この本で紹介されている書家の中には、「子供の字ですか?」といいたくなるようなものもあり。

 

  ま、好みの問題ですね。

 

  以前、「なんでも鑑定団」で見た西太后の書も、素直でとてもいい字でした。

 

  字だけ見たら、彼女が稀代の悪女だと信じられない。

 

  単なる文字なのに、不思議です。