1ヶ月以上、ブログを更新していなかったのですが。
グループで二胡を弾いていたのですが、市の文化祭に参加するか否かで、色々とありまして。
そちらでエネルギーを取られて、ブログを書くどころではなかった。
今、その件について詳細を書く気にはなれず。
結局、私が先生に「教室のみんなで参加しましょう!あなたを頼りにしています!」と一人一人に呼び掛けてくださるように提案しまして。
私は代表の器ではない。
できるからやれと言われても、自分に向いていないことに責任は持てない。
選抜チームの代表ならまだしも、私より下手な人のお守りをすることはできない。
そして、市の文化祭の中心となっているマンドリンの楽団に私もクラシックギターで参加することにしまして。
その楽団にはベテランばかりで、いつまで経っても下手な人や初心者はいづらくなってやめて行くという。
「半年くらい、カルチャーセンターで習ってから来てください」と楽団の代表に言われまして。
クラシックギターの無料体験に行き、ドアを開けた瞬間、「この方は有名なギタリストだ」と分かりまして、即、弟子入りを決めました。
顔を見ただけで、一流だと分かる。
それが一流。
先生は教えるのがうまい。
ド素人にも分かりやすくリクツで教えてくださる。
二胡の先生は天才ですから、教え方も「犬の散歩のように」といった凡人には意味不明のワードが炸裂。
「どういう意味?具体的にどうすればいいか、教えてください」と思ってしまう。
しかし、クラシックギターの先生と話していて、私が思ったのは。
クラシックギターのように男性のお弟子さんが圧倒的に多い楽器は、基礎からリクツで教える。
塾の教室長をしていたとき、父親は理詰めで来るので、それに対して理詰めで話をしたのを思い出す。
二胡は女性、しかも高齢者が多いので、「先生が好き、先生は私のもの」と恋する乙女に「あなたが好き、あなたを頼りにしていますよ」と先生がアピールするのが効果的。
教え方が理にかなっているかは、どうでもいいのである。
「恋する乙女が可愛い年下の殿方に大事にされて嬉しいな」という夢物語。
二胡なんぞ上達しなくても、どうでもいいのである。
楽器を手にする人たちは、なんのために誰がために舞台に立つのか。
クラシックギターを手にしてみて「好きな男が見てくれるならそれでいいわ」とふと思った。