この間、ヨーカドーの入り口で知らない女性歌手が舞台で歌っていて。
なにしろ千葉の田舎ですから、しょぼい舞台で、客は年配のジジババが多くて、歌手のマネージャーか事務所の人かちょっとすさんだ感じのお兄ちゃんが2人付いていた。
こんな舞台でも歌いたいのか、歌手として?
と見ている私は、その女性歌手がかわいそうになり。
開演時刻がすぐだったので、そのあたりをウロウロして歌手が舞台に上がるのを待ち。
でも、「ちょっとだけ、ちょっとだけ」としつこく繰り返す歌詞がなんかイラッと来たので、最初の曲を最後まで聴かずに帰ってしまいました。
「ちょっとだけよ」の台詞はカトちゃんのものなの!
私、二胡を習っているのですが、舞台で弾けるくらいにはうまくなりたいのですが、あんな舞台でも舞台に上がりたいか?と訊かれたら、「イヤです」と贅沢を言ってしまいます。
でもよ、私が弾くとして、いきなり武道館はありえないし、地元の近隣センターさえありえないし、ボランティアだったら老人施設から、プロだったら歩行者天国でタダで弾くという辺りからはじめることになるであろう。
ギャラなし、ドサ回り。
そこを乗り越えて、自他共に認めるプロになれるの。
ぐっすん、プロになるって大変だ。
で。
昨日のお稽古で、先生に「一番、つらかった営業はどんなもの?」とおききしてみたら。
「Yさん(二胡の世界ではまあまあの演奏家、中年で不細工だが実力そこそこ)に誘われて、あるお店でやったとき、つらかったですねえ、お客さんが5人だけでしたから」
と、可愛い顔でのんびり言うので、ぜっんぜん苦労が感じられないんですが。
レストランでお客さんがすでにいるはずだから、お客を僕が集めなくいいと聞いてたんですが、3人だけ集めたんですね。そうしたら、そのほかに2人しか店に客がいなかったんですよ。
とのこと。
Yさんも先生ものんびりしすぎだ。
そのとき、2人のギャラは客の数に関係なかったのだろう。
で。
あ、そうそう、もっと哀しかったのは、童謡歌手と競演で、200人入るホールに客が20人くらいだったとき。
その歌手って誰よ?
由紀さおりさんではなさそうである。
でも。
たとえ客が5人でも20人でも、その人たちが本当に「よかったね!」と言ってくれて、CDも買ってくれれば、先生としても「ここで弾いてよかった!」と思うのではありませんか?客が感動してくれるなら、人数には関係ないですよね。
と私が言うと、先生は「そうですよね」とうなずく。
人数に関係ない、というよりも、稼ぎに関係ない、という意味かな。
先生、今でも月の生活費はママからもらい、住んでいるマンションはパパが借りてます。
だから。
「感動」という、もしかしてカネにならないなにかをもっとも大事に考えてられるんですよ。
渋谷のジャンジャンで、少ない客を前にマイナーな演奏家として通をうならせたとき、先生の最初の弟子は思わず涙したという。
そういう舞台で彼が弾くのが、彼に合っていて、聴いている彼女にも合っていたのである。
紀尾井町ホールで数百人の客を集めたとき、いただいたお花の処理に困って、花束をすべてばらして帰る客に「ご自由にお持ち帰りください」とあげてしまった。
そのときのことを、先生のママは、「あの紀尾井町ホールが花束で埋まった」と何度も先生の弟子に言う。
そういう舞台も、また、すばらしい。
要するに。
演奏なんて、その客の好みですよね。
どういう舞台がいいかも演奏家の好み。
その舞台が演奏家にも客にも合っていれば、それが最高の舞台。
てことで。
演奏の途中で帰る客がいたとしても、演奏家は気にしないで欲しい。