編纂委員は、高田宏、林真理子、増田みず子、三浦哲郎、三木卓といった方々なのですが。
私の従兄弟は本や雑誌の編集をしていたのですが、今は本の企画を出版社に売り込む会社とアジア新興国に投資する会社という2つを経営しており。
とにかく稼いでいるが、家族の元には何年も帰ってこない。
という生活をしている。
で。
今の時代、とにかく本が売れないから、有名な作家の本も売れないわけで、「え、あの作家が?」と驚くような人が出版社に前借しまくっている。
てな話を従兄弟がよくしていたので。
この本、私が知らない作家も結構、いて。
世間では有名人だろうけど、私の知らない人、今は何をしているか知らない人もいて。
エッセイを本にしてもらえるような人は、有名になる分、不安定な仕事をしているともいえる。
普通のサラリーマンが、エッセイを書いてたくさんの人に読んでもらうってこと、ないもんね。
ブロガーになればいいんですけど、読んで欲しいなら。
で。
いろいろな人のエッセイを一度に読んで、不思議なことに、「ちょうど、今、私が知りたかったの」ということが書かれていて。
たとえば。
夏目漱石の「夢十夜」に、「運慶は、自分は一から木を彫っているのではない、木の中にすでに仁王像があるのを掘り出しているだけ、と言った」というくだりがある。
ラバウル小唄の歌詞、「ヤシの木陰に十字星」。
他にもう1つあったんですけど、忘れました。
(後で思い出したのですが、「ゲバラって何?」でした)
私が知りたかったことが書かれていた。
これもまた、人生なりゆき、一つの出会いなんですね。
人はなぜ、エッセイを書くのだろう。
それは読んで欲しいからで、誰かの自分の話を聞いて欲しいからで、普通の人がブログをせっせと書くのと同じ。
ただ、本にまでなるエッセイは、さすがにプロのモノ書きかそれなりに名声のある人が書いたものだから、面白いんですね。
普通の人が普通のことかいても、つまんない。
いや、その普通が共感を呼び、多くの人に支持されるのかも。
特別な人が書いたエッセイと、普通の人が書いたエッセイと。
どっちが面白い?
今の時代、その差はあまりないかも。
普通の人の方がうぬぼれてるもん、 社会で厳しい点数つけられてない分。