昨日、テレビで。


  カリスマ英語講師・安河内先生が「英語を話せるようになるには、机を離れて失敗する経験が必要」てなことをおっしゃっており。


  いきなり真実。


  実際に誰かと英語で話してみて、失敗してみる。恥ずかしい思いをしたり悔しい思いをして、「よし、ちゃんと話せるようになったるぜ!」と決意するのが大事。


  英語を話したい、という動機が強化されるわけ。


  劣等感って、結構、バネになるからなあ。


  私が英語を話せるようになった一番の動機は。「He don't・・」と大学の授業で言ってしまい、爆笑されてムカついた。


  これですよ、これ。


  あんときの恥ずかしさ。自分では間違ったと気付かず、周りに笑われて初めて間違ったと分かったわけよ。


  うちの女子大は、世間的には受験で入ってくる子の偏差値が55くらいとされていた。が、今から30年くらい前、推薦や付属上がりが入学者の6割。これではレベルが下がるのは当たり前。


  入試のふるいにかけられていないと、学力は低い。よって、学生の平均レベルは偏差値50いかないかも。


  2年生になるとき、英文科に行きたい生徒は試験を受けなければならないが、受験組で不合格になる子はいない。偏差値というのは、その程度には意味がある。


  付属がある大学はどこもみな、そうだと思うけど。大学に試験で入ってこない子は、学力にすごくムラがある。できる子はできるが、できない子はできない。


  慶応の付属上がりの子も、「付属の下の方は”汚泥”だ」って言ってたぞ。そうだよね、慶応の付属は文学部に行くのが多いっていうしな。医学部行くのはほとんどいないってね。

  

  さてさて。


  フレッシュマンの最初の授業で、ふと隣の子の教科書を見て、「え、大学生なのにこんな単語まで辞書で引いてるの?これじゃあ、この大学で私は一番になれるわな」と思った。


  安河内先生は私とほぼ同じ年。で、彼の著書によると彼は全国模試の成績が偏差値80くらいだったそうで、私も同じくらいであった。


  などと威張ってみても、偏差値50くらいかよ?って女の子たちの集まりで「He don't」と口走ってしまい、爆笑されたのは他ならぬ私でございます・・。


  この程度のヤツらに爆笑されるかよ、自分?


  その悔しさ、恥ずかしさを私は一生、忘れないであろう。


  が。

   

  生きてりゃ色々あるし。どんな惨めな経験も、それも含めて自分であり、何かを学んだのだ。恥もかいてみるもんである。


  安河内先生が「英会話には失敗する経験が必要」と言ったとき、私の頭にはソッコーで「自分より英語できないはずのヤツらに爆笑された自分」の図が浮かんだ。


  私にとって、「英語話すのに失敗した」と言えばアレ。そうだよねえ、あの恥ずかしい経験こそ今まで英語の勉強する動機になったようなもんだしね。


  センセイの言葉にいきなり、納得。


  ほらね、こういう経験ができただけでも、恥かいて良かったじゃん。経験していないことは、誰かの言葉を聞いても納得できないんですよね。


  大失敗するほど、頑張る動機になる。


  これから英語を話したい皆さん。顔から火が出るほど、一生忘れられないほど、失敗してみてください。


  あなたを一生、支える経験になるでしょう。


  英語をうまく話すには「食うために英語で話さなくちゃ」も動機になると思いますが、普通の日本人には「食うために」という切迫した状況はなさそうです。


  「失敗する経験」よりも「食わなくちゃという経験」の方が役に立ちそうですが。