生残記。
還暦過ぎても現役という世界的にも珍しかった伝説の戦場カメラマン、橋田信介氏が殺害され、勝谷氏は生き残った。だから、このタイトル。
橋田氏の「イラクのまんなかでバカと叫ぶ」をたまたま図書館で見かけ、読んだ。良かった。
何がよかったって、自分に酔っていない。
ちょとふざけたタイトルが、力が抜けていて良かった。
その「イラクの・・・」の冒頭で、橋田氏、不肖・宮嶋氏、そして勝谷氏が対談。
我々なんて大したもんじゃない。大マスコミの統制と米軍の間に咲いたドクダミみたいなもんで。と、3人で語る。
いいわ。この感覚。
現場を見たいという渇望があり、自他共に認める能力があり、そして自分に酔っていない。そういうジャーナリストが私は好きである。
が、バリバリのカリスマ、「元祖・国際ジャーナリスト」の落合信彦氏にも熱烈な信者がいるので、人それぞれ、好きなジャーナリストを支持するのがよいであろう。
落合氏は何をしているのかと思ったら、人材養成塾というか自己啓発セミナーのようなものを主催している。ジャーナリストとしては引退したようだ。
彼の書いた記事を自衛隊のお偉いさんは「よく書けている」と評価していたし、私も「軍事シミュレーション」の仕事で彼の記事を参考にしたことがあった。「アサヒ スーパー ドラ~イ!!」の初代キャラクターでもあった。
(ガンダムや甲殻機動隊も軍事翻訳の参考にしてるけど)。
「イラク生残記」。いいです。脚注付きなのもいいです。
この本で印象に残ったのは。
(イラクに行く前、「自分にもしものことがあったら」と思い、「死亡、負傷、拉致監禁時と解放時」にどうして欲しいか文章にして残した)。しかし、強盗に襲われ、おめおめと解放されるなどと、出発前夜に自己陶酔している私には想像もつかないことだった。
(イラクに入るとき、著者はパスポートになかなかハンコを押してもらえない。通りかかった若い米兵がイラクの担当者を引っ張ってきて、ハンコを押させた)。告白しよう。その瞬間、私の背筋には確かに快感のようなものがはい上がった。権力の尻馬に乗った快感。「有志連合」の一員として認められたうれしさ。なるほど、占領軍の側から敗者の前に立つというのはこういうことなのだ。おそらく、私たちの父祖のGIと誼を通じた人々の多くも六十年前おなじような気分を味わったのであろう。
「何かイカン。イカンけど、気持ちいいのは確かだよなあ」。それは恥ずかしいことの告白にも似ていた。もしかしたら、その恥ずかしさに気がつかない人物が、日本国を丸ごと尻馬にのせているのではないかとも思った。
(アクショングループという警備会社に警備を依頼して警備員2人のカラシニコフに守られて)。私はここでも初めての感覚に唸っていた。たった二丁のカラシニコフがかくも大きな安心を与えてくれるということに目から鱗が落ちる思いだったのである。
いくら大きな声で平和を叫ぼうが、日本国内にいてはこれは分からない感覚であろう。この感覚を得て私は実はファルージャ郊外で強盗に襲われた時の私たちこそがイラクにおいてはむしろ異常だったとすら思ったのである。あの時、私たちはまさに「非武装中立」だった。3人の強盗の前では平和を愛する諸国民の公正と信義はもろくも崩れ去った。
あそこで豚のように殺されなくて本当に良かった。カラシニコフという「武力」を得て私は心からそう思った。と同時に、この感覚を皮膚で知ることのない政治家が仮想現実に酔った国会で論議している自衛隊員を本当に心から気の毒だと思った。
バグダッドの秋葉原・カラーダ通りにはテレビが並ぶ。小錦の写真で日本製を印象づけている。もちろん、真っ赤な偽物。
JVC(日本国際ボランティアセンター)の人々の態度は、明らかに高度なプロ意識に基づく。真摯でちょっと近づきがたいほど浮わついたところがない。自称ジャーナリストや自称NGOの他の日本人とは違う。
同じホテルにJVC以外のボランティアも泊まっていたが、その1人はイラクで絵画展を開こうとしていた。今日もあちこちで弾丸が飛び交っているイラクで、それがどう復興に役立つのか、私には残念ながら理解できなかった。
「結局は自己満足というか、自己表現なんですよ」。今回、イラクに来ているプレスには、アフガン戦争などを報じた特派員も多い。戦時中を歩いてきた彼らは、戦争が終わったとたんにそうした場所に現れる日本人ボランティアを数多く見てきている。
「カブールにいたとき、まだ戦火の余塵冷めやらぬというのに、日本からオバチャンたちがやってきたんです。アフガンの人たちにケーキを焼いて食べさせたいと言うのですが、自分たちのやっていることが絶対に正しいと思っていて、日本大使館も日本の報道の支局は手伝わないと文句を言われてもねえ」。
一応、保険のためにも、それ以前に市民の義務として、強盗に遭ったことを警察に届けていた方がいいと思った。この治安なき国で、司法機関がどう機能しているかということに対する興味もあるのであった。まず、裁判所に行って犯罪が起きたから捜査を始めるべしという命令書を作ってもらう必要がある。
警察からホテルまでの20分、今回の旅の中で最も緊張した時間だった。カメラなどを見えない場所にしまうと、無言で歩いた。脳裏に男という男がポケットから銃を取り出して預けていた、裁判所の入り口の光景がよみがえる。
あるいは、今ここで丸腰なのは私たちだけであり、いかなる暴力や要求に対しても抗する術がないのである。
といったところでしょうか。
著者の勝谷氏はテレビのコメンターもなさっているそうで。
もっと早くに橋田氏と勝谷氏を知っていたらなあ。いや、すべてのものに時があるように。今、彼らを知り、「外国で、現場で、真実を報道する」に興味を持つ時期が来たのかも。
ここで注:今、2016年の3月でございます。
今日、なぜかこの記事のアクセスが300近くになり。聞くところによるとこれまでに勝谷氏がこのブログをメールマガジン等で紹介してくださっている由。また、氏がどこかで紹介してくださったのでしょうか。
自分でこの記事を読み返してみたら、誤記が数ヵ所見つかったため、訂正いたしました。
自称・ジャーナリストは星の数ほどいるでしょうが、やはり氏は優れたジャーナリストだと私は思っています。
なんていうか、「我こそは正義という強烈な自負」と「自分に酔わない」を両立させるのは、正義の権化のようなジャーナリストには珍しく。
努力してなれるものでないと思うのです。
「我こそは!!!」と「ナンボのもんでもないぞ自分・・・トホホ」を双肩に。
勝谷氏のご活躍をお祈りいたします。