2017年3月4日

 

 間もなく18時。 高崎から東京に向かう新幹線の車中でパソコンの電源を入れた。 19時から都内某ホテルで開催される「創生日本」の東京研修会懇親会に出席する。

 

 「創生日本」の会長は、言わずと知れた安倍晋三・内閣総理大臣。 このグループに入会したのは、自民党野党時代だった。 理由はシンプル。 安倍総理から、(何かの時に)「そうそう、『創生日本』のメンバーになっておいて。何かの役員の1人として参加してもらうのがいい!」と言われたからだ。 総理はそんなこと、全く憶えていないと思う。(笑) が、自分にとって安倍首相の言葉は重い。

 

 本日は、高崎の自宅を午前7時30分に出発した。 午前9時30分。 八ッ場ダムの建設現場に到着。 サイト内に設置された大型テントの中で行われた「八ッ場ダム定礎式典」に出席した。

 

 来賓として短く祝辞を述べた。

 

「私はここ吾妻郡で生まれて、吾妻郡で育ちました。八ッ場ダム問題は、亡父・山本富雄が草津町の町会議員だった頃(50年以上前)から議論されていました。その後、この大型プロジェクトは、長年に渡る関係者の方々の粘り強い努力で進んで来ました。 この間、地元住民の方々は悩み、苦しみ抜いて来ました。」

 

 「平成21年、前政権下で悪夢のような突然の中断劇はあったものの、それも乗り越え、ようやく今日の定礎式までたどり着きました。ダムの完成(2年後)まで、2度と政府の方針がぶれることのないよう、県選出の国会議員の1人として、自民党県連会長として全力を尽くすことを固く誓います!」

 

 15時。 4年前に亡くなった地元秘書(矢島学)の高崎市の自宅を訪ねた。 3月1日が矢島の命日だった。 あれからもう1年も経つんだ、な。

 

 位牌と写真の前でお線香を上げ、手を合わせた。 お茶をいただきながら、お母さんとしばらく言葉を交わした。 過去のブログにも何度も登場した矢島は、自分にとって秘書というより、年下の同志という感じだった。 「ああいうハッキリした性格の息子だったから、一太さんにも迷惑をかけたに違いない。でも、一太さんのことが大好きだったんだよねえ。」「いや、お母さん、私も息子さんが大好きだったんです。(涙)」

 

 夕方。 某県議が前橋事務所に来訪。 土地利用問題について議論した。 県連会長として、このひとの提案を後押しする方法を考えたい。

 

 あ、間もなく東京の車内アナウンスが流れた。