独楽~浅草雷門~ |  市川猿紫夢道中

独楽~浅草雷門~

今日は「独楽」の舞台写真を紹介いたします。










まず出の花道の踊りです。








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この振りは船の帆が上がる所を表しております。












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私のコレクションの一つ猿翁丈の「独楽のブロマイド」です。












この写真から見て分かります様に猿翁さん時代から拵えはほぼ変わっておらず着付けの柄の「くくり猿」の模様も猿翁さん時代からのものです。












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曲独楽を見せますくだりでございます。
















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早い内から小道具の独楽をお借りしてお稽古をしておりましたがなかなか綺麗に扱うのが難しく苦労いたしました。










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最後は独楽売り自身が独楽に成ってしまいます。










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最後は大きな刀の上で刃渡りを見せ百廻りで幕となります。






















大道具の事も少しお話いたします。








「独楽」の舞台は浅草の「雷門」でございます。










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  広重の江戸名所百景「浅草金龍山」


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現在の写真と比べてみました。










提灯の文字が違いますのにお気ずきでしょうかぁ!?現在の「雷門」に対して浮世絵と大道具の「志ん橋」。(写真には写っておりませんが五重塔の位置も左右逆になっております。)









実は大道具さんからこの提灯に書く字について問い合わせをうけました。










師匠の道具を見ますと「志ん橋」と書いてありますので私調べて見ましたら、この「志ん橋」と書かれていた雷門は、明和四年(1767)焼失。










その後寛政七年(1795)に再建、しかし慶応元年(1865)焼失。その後しばらく再建されず昭和三十五年に現在の雷門が松下電工の松下幸之助さんの寄進により再建されました。










つまり広重の江戸名所百景「浅草金龍山」に出てまいります通り「志ん橋」と描かれている提灯は江戸時代には雷門にさがっておりました。












「独楽」のお陰様で一つ勉強になりました。












因みに現在では「志ん橋」と書かれている提灯は浅草寺本堂にさげられておりまして、五重塔は左側に建て直おされております。














この様に大道具の背景も江戸の風俗を現している大切な作品の一つという事になりますね。










撮影 (舞)ビデオ


     佐藤天美英