TAROの塔の第2回って時間変更してたのね・・・ と、3月6日に愚痴っていたが、震災の影響で放送が心配されていたBS-hiでめでたく再放送されたので、第1回~第4回まできちんと録画できた。
ということで、今頃なのだが、やっと「TAROの塔」 NHK 土曜ドラマ 第2回を見ることができたのでやっぱり感想を書くことに。昨夜寝る前に見て凄い・・・と思ったのだが眠くてそのまま寝てしまったので、今もう一度再生しながら心に残ったセリフを書き留めたりしつつ感想を書くことにした。
お断りしておくが、自分が感じたことを書きなぐっているだけなのでだらだら長くてものすごく主観的である点はご容赦いただきたい。
第1回で観た岡本太郎の松尾スズキさんが、ご本人にしか見えなかったくらいハマっていたのと、子供時代の太郎の高澤父母道(たかざわふぼみち)さんが素晴らしかったので、予告でチラっと見た青年時代の太郎を演じる濱田岳さんに対して違和感を凄く感じていた。
彼の他の作品やCMを見ても個人的には興味を持てず、むしろその小ささが異様に目立ってしまっているような印象しかなかったからだ。
しかし、ドラマが進むにつれ彼も、そしてそのキャスティングもお見事!と拍手を送っていた。まだ「岡本太郎」を見つけていない不安さやもどかしさがものすごく上手く表現されていた。
さすが訓覇圭さんがプロデューサーをなさっているだけのことはある。(←「ハゲタカ」繋がり・・・しつこくてすみません)
パリに渡った岡本家。
お父さん(田辺誠一)はすっかり漫画家として大成して家族想いになっていた。
お母さんと言うよりも岡本かの子(寺島しのぶ)は、相変わらずキョーレツだ。
パリのカフェで太郎がフランス人にも堂々と振る舞い、一言言い放つだけでみんなを笑わせる。そんな様子をうっとりと眺めるかの子。彼女らしい。(笑)その舞台になっていたカフェって、紀尾井町のオーバカナルにとても似ている気がするが、撮影協力にクレジットされていなかったのでどうだろう?
太郎が、かの子の好みにすっかり変えられてしまったパリの自分の部屋で弾いているのは、ショパンの英雄ポロネーズ。ご存知の方も多いと思うが「ポロネーズ」というのはポーランド風という意味である。
こういうセレクトも素敵。その時点で抹殺されてしまっていた祖国ポーランドを思ってパリでこの曲を書いたショパン。
太郎が、フランスを語を操りフランス人の友達からかの子が素敵だと言うくらいセンスのいいアンティークのハサミをプレゼントされたりしていても、日本人同志で群れている芸術家を非難していても、心は日本にあることを切なく表現している。
そのピアノ演奏の直後の、太郎とかの子のやり取りが強烈に印象に残った。
このときの太郎の落ち着きのなさも、見ているこちらまでその心細さや先行きの見えなさやもどかしさを感じる。
太郎が2~3年で帰国するつもりだと知ったかの子の激しいセリフ。
「2~3年? 2~3年であなたの絵が何とかなるとでも? 太郎、そんな覚悟では描きたい絵など見つかるわけないわよ。・・・ここで生きる苦しみや喜びを描けなければ誰の心も打てるわけないわよ」
パリの人間はおどけてる自分を見て近付いては来るけれど、決して中には入れてくれないと答える太郎にも。
「それは、あなたの絵に魅力がないからよ。私だって本当にわかりあえる人間とは作品を通して・・・」
「最初からぼくには才能なんてないんです!あなたとは違う!」といって、自分の作品を床にぶちまける太郎。
「太郎、あなたには才能がある。それは私があげたんだから。」悲しそうに力強く諭すかの子に言い放つ太郎。
「あなたからは何ももらっていない!もらったのは、孤独だけだ!」
こんなことを息子から言われたのに、ひるむことなく太郎を見つめながら力強く答えるかの子が素敵過ぎる。
「それを持っていない人間の方がよっぽど悲劇だわ。」
すごい・・・一生忘れなさそうなセリフだ。やっぱりこのドラマ凄い・・・。
孤独を感じることが出来る素晴らしさを知りぬいているかの子ならではの迫力だった。
床に散らばった太郎の絵(悪いけど本当に才能がなさそうな退屈な絵だ)を集めながらのかの子のセリフも素敵。
「太郎、お前の絵を最初に認めるのは・・・お前しかないんだよ。人の評価に自分をゆだねてはダメ!太郎、不遇を恐れてはいけないわ。孤独を恐れては、本当に欲しいものに手が届かない。」
「・・・・お前の苦しみがわかるほど、私だって苦しい。だけどあなたはやっぱり、絵描きになりなさい。他の自分に絶望して絵に専念なさい。」
このセリフの間、BGMは無いのだが小さく鳥がさえずっていたりする。
このドラマはいたるところで、いろんな音がひっそり折り重なっているのだ。
このすざまじい、芸術家である母がいたからこそ、岡本太郎が出来あがったのだと思えてしまう。
「迷うことを恐れず、ひたすら手を動かしながら考えることよ。」
こんなことを言える母親を持てた幸せを太郎はちゃんとわかっていたのだろうと思える。
書きたい絵など見つからない太郎。そして自分の書きたい絵のヒントを見つける太郎。
芸術家の苦悩と言うものは、非芸術家である私にわかろうはずはないが、アート好き、特に絵画好きな私はそれを垣間見たような気がして、ドラマ視聴者の喜びを感じた。
見たことのあるような作品のモチーフも出てきて嬉しい。
いよいよ両親が帰国のためパリを離れるシーンで蒸気機関車の特等車両まで見送りに来ている太郎。
父、岡本一平から太郎に掛けられた言葉でいかに太郎が恵まれた環境であったかがわかる。
「金の事なら心配するな。必要だと思ったことは何でもやれ」
(関係ないけど、田辺誠一ってこんなにカッコよかったっけ?とよこしまな思いが・・・笑)
「お母さん!芸術がぼくたちを待っています!お母さんはぼくの芸術です!ぼくの誇りです!」走り出した汽車に叫ぶ太郎。もう、そこにいたのは今までの迷っているだけの太郎ではなかった。
しかし、こんなセリフを母親に言えるなんてすごい。でも、そんな太郎にしたのは紛れも無くかの子だ。
時代が変わって、建築家丹下健三氏(小日向文世)からの電話。
「太郎さん、どう?調子は?」「うん、いいよ」
このさりげない会話がもう一度使われるのだが、最後にはあの「太陽の塔」がいかにして誕生できたかを伝えつつも感動的な絆を感じる構成になっていた。上手い・・・。
この丹下氏の事務所の若い人3人が太郎のアトリエを訪問したシーンも驚きの連続だが、太郎ってこんな人だったんだろうな~と思えて凄く楽しかった。
その中でも、若い建築家相手の太郎の質問とその答えに対する反応が普通じゃなくて凄く魅力的。
「これは芸術だからという解り方が、一番卑しいんだ。芸術に頭を下げるなんて滑稽なことだよ。真の芸術は、芸術であってはならない。」
そんな真っ当だけれども、不思議なことを言う太郎に対して、戸惑う建築家が質問をする。
「それでは、真の芸術家は芸術家であってはならないんですか?」
「あたりまえだ!」と恫喝(笑)かと思うような答え方をする太郎。一瞬しか間がなかったが私も画面の建築家もきょとん。(笑)
「真の人間でなければ、ならない。」と言ってにんまりする太郎。
このセリフも素敵。
1936年のパリ。ファシズムに対抗する集会に足を運ぶ太郎。
思想家のジョルジュ・バタイユと出会った太郎。出てくる人物が豪華だ。
太郎のシュールレアリズム系の作品「傷ましき腕」(赤い大きなリボンと包帯?の巻かれた片腕の絵)を見せて
「血の洗礼か。まるでゴッホのようだ」と評され答えた太郎。
「彼の孤独が夜なら、僕はまだ昼だ」
う~ん、素敵だぁ!ゴッホの絵が初めて私の心に染みいったのは、約3カ月の一人でのイギリス滞在と旅を終えて、パリに渡りオルセー美術館で彼の絵を見た時だった。イギリスではとても素敵な方々と出会いとてもよくしていただき、日本にいるよりも余程自分らしく自由に過ごせて、それを面白がり歓迎してもらっていた。でも、やはり自分がずっと暮らす土地ではないとだんだんと思い始めていたのかもしれない。
その時のことを別記事で少し書いているのだが 、ゴッホの孤独を強烈に感じたのだ。
↓ゴッホのことを書いた部分
「圧倒的な星の輝きや空と海の碧さに目を奪われるのだが、右下方にカップルが描かれている。それに気付いたときにゴッホの孤独を感じてしまったのだ。まったく見当外れの感想だろうが、その時なぜかそう思ってしまいその絵の美しさと迫力と絵から醸し出されている孤独なオーラのようなものを感じて、しばらくの間目が離せなかったのを今でもリアルに思いだせるほどだ。」
だから、このドラマでの「孤独」というものについての視点がすごく染みいるのだ。
「太郎、お前は孤独に、自分の芸術に没頭しているんだね。芸術家の血を流しているんだね」そう太郎への手紙を綴るかの子。そしてその直後に、徐々に大きくなるカラスの鳴き声と共に、激しい頭痛に倒れる。ここののけぞり方がまるで歌舞伎。なんか血筋を感じた。(笑)
かの子の死を知り、かの子からもらった数々のセリフを反芻しながらパリの夜を彷徨い、そして川に飛び込む太郎。ここから浮上した太郎は、かの子からの支配を抜け出して生まれ変わったのだろう。
第3回も、とても楽しみだ。