ヒジュラ暦五年シャッワール(十月)、ハンダク(塹壕)の戦い(7)

 サアド・イブン・ムアーズは、「かつて我らと彼らは、主に奉仕せず、主を知りもしない多神教徒であり偶像崇拝者でした。当時、彼らは、客人をもてなす際に提供するか、あるいは自らが購入する以外に、ひと粒たりともマディーナのナツメヤシを口にすることなど、考えもよらなかったでしょう。今や主は、我らをイスラームに導かれ、我らにイスラームと、神の使徒であるあなたという名誉を授けられました。それなのに、我らは彼らに財産を与えるのですか。我らは断固としてそのようなことは致しません。主が、我らの間に決着をつけられるまで、我らが彼らに与えるものは、剣以外にはあり得ません」、と答えた。使徒は、「ではそのようにしよう」、と言った。そこでサアド・イブン・ムアーズは、文書に書かれていた内容を消し、「最後まで奮闘しましょう」、と言った。

 実際の戦闘がないまま包囲が続いたが、アーミル・イブン・ルアイイ一族のアムル・イブン・アブド・ウッド・イブン・アブー・カイス、マフズーム一族のイクリマ・イブン・アブー・ジャハルとフバイラ・イブン・アブー・ワフブ、詩人のディラール・イブヌル・ハッターブ、ムハーリブ・イブン・フィフル氏族のイブン・ミルダースらを含むクライシュの騎兵が、甲冑を着て現われ、キナーナ族の基地に進出し、「戦闘の準備をせよ、今日、誰が真の騎士であるか判明しよう」、と呼びかけた。彼らは疾駆して来て塹壕で停止した。彼らは、この塹壕を目の当たりにすると、「これはアラブには知られていない仕掛けである」、と叫んだ。

 ※伝承によれば、塹壕の掘削はペルシャ人のサルマーンが助言した。

 それから彼らは塹壕の幅の狭い場所に向かい、馬に鞭をいれて突進してそれを越え、塹壕とサルウ山の間に位置する湿地帯に進出した。アリーと何人かのムスリムが、残りの騎兵が彼らに続くのを阻止するために、騎兵が横断を強行した隙間を防衛するために進撃すると、湿地帯に進出していた騎兵が迎撃のために疾走してきた。アムル・イブン・アブド・ウッドはバドルで戦い、重傷を負ったため、ウフドの戦いには参戦しなかった。彼は塹壕の戦いでは、自らの高貴な家系を示す見事な徽章を身に着けて現われ、彼は一隊と共に停止すると一騎打ちを挑んだ。

 アリーが挑戦を受け、「アムルよ、クライシュの男は、二つのうち一つを選択するよう求められたときには、必ずどちらか一つを選ぶと、神にかけて誓ったであろう」、と聞いた。アムルは、「その通りだ」、と答えた。するとアリーは、「それでは私は、お前を神の信仰に、神の使徒のもとに、イスラームの教えに招請しよう」、と呼びかけた。アムルは、それは自分には必要がないと答えた。アリーは、「それでは私はお前に下馬するよう求める」、と続けた。彼は、「おお、我が兄弟の息子よ、私はお前を倒したくない」、と答えた。アリーは、「だが神にかけて、私はお前を倒したい」、と言った。この言葉に怒り狂ったアムルは馬から降り、後戻りしない決意を示すために、自分の馬の腱を切りつけ、その顔を打ちつけて殺した。それから彼はアリーに立ち向かい、二人は互いに弧を描きながら闘った。アリーが彼を倒すと騎兵たちは、塹壕を越えて一目散に逃走して行った。