• 24 May
    • チャーチルのスーダン戦争(33)

      第1章 マハディーの反乱(33 この第二の力が果たした役割は、はっきりしない。人間の進歩の研究者にとり、少なくとも道徳的権利の兆しを彼らの行動に結びつけようとする、ほとんどの人間とすべての共同体が表明する願望ほどに勇気づけられる事実はない。彼らの美徳の観念がいかにゆがめられていようとも、彼ら自身の理想の水準にまで高めようとする彼らの努力がいかにひ弱であろうとも、それは彼らが正当性を請求できる歓迎すべき特質であり、有望な兆候である。いくつかの観点からみて動機が高貴で無私な理念によって自身を武装することなくして、偉大な企てに乗り出そうとする共同体は存在しない。それは不完全な人間から、美徳と真実の永遠の神殿への無欲の捧げもの、謙虚な貢ぎものである。人間あるいは階級の受難は耐え難いとしても、彼らが武器をとり生命の危険を冒す前に、何らかの無欲、無私の精神が彼らに行動を起こさせなければならない。

      NEW!

      テーマ:
  • 23 May
    • タバリーのシャーナーメ(232)

      バハラーム・ジュール(14)  その一人がザラワーンダーズで、ミフル・ナルスィーは宗教と宗教法を専門とさせた。彼はこの分野で高い地位に昇進し、バハラーム・ジュールは彼を最高聖職者に次ぐ地位の首席聖職者に任命した。二人目はマージュスナスと呼ばれ、バハラーム・ジュールの在任期間を通して租税庁の責任者を務め、ペルシャ語で彼の地位の名称はワストラーイウーシャーン・サーラール(耕作人の監督者)という。  三人目はカールドと呼ばれ、軍の最高司令官に就任、彼の地位の名称はペルシャ語でラサーシュターラーン・サーラール(戦士の長)といい、この地位はイスバフバズ(軍司令官)より高位で、アルジャバズ(要塞の司令官)に次ぐ地位である。  ミフル・ナルスィー自身の地位の名称はペルシャ語でブズルジファルマザール、アラビア語ではワズィールル・ウザラーウ(宰相)、あるいはライースッ・ルアサーウ(最高行政官)を意味する。彼はアルダシール・フッラ行政区にあるダシュトイ・バーリーンの辺境地帯の、アブルワーンと呼ばれる村の出身だったと言われている。

      テーマ:
  • 22 May
    • 『使徒たちと諸王の歴史』第二巻(382)

      そのように言った学者たち(7)  アブドッラー・イブン・アッバースからムジャーヒドに、ムジャーヒドからアブドッラー・イブヌル・ハーリス・イブン・ナウファルの元奴隷のミクサム・アブル・カースィムに、ミクサムからアルハカム・イブン・ウタイバに、アルハカムからアルハサン・イブン・ウマーラに、アルハサンからイブン・イスハークに、イブン・イスハークからサラマに、サラマからイブン・ホマイドに伝えられたところによれば、(アブドッラー・イブン・アッバースは)、コーランのスーラ・ヤー・スィーンの男の名前はハビーブで、彼の癩はかなり進んでいた、と語っていた。  アブー・マフラドからアースィムル・アフワルに、アースィムからスフヤーンに、スフヤーンからムアンマルに、ムアンマルからイブン・バシュシャールに伝えられたところによれば、コーランのスーラ・ヤー・スィーンの男の名前は、ハビーブ・イブン・マリーだった。

      テーマ:
  • 21 May
    • 『預言者の生涯』第四巻(78)

      ヒジュラ暦九年〔西暦六三〇年四月―六三一年四月〕、タブークの解放(3)  使徒は精力的に準備を整え、ムスリムたちに全力で準備を急ぐように命じた。彼は資産家の者たちに、神の事業のために資金と騎乗するための動物の調達を支援するように要請した。裕福な者たちは動物を提供して、神の報酬を蓄積した。ウスマーン・イブン・アッファーンは、それまでのいかなる人物よりも多額の資金を支出した。  アンサールとアムル・イブン・アウフ一族の者たちで、「嘆きの人」として知られる七人のムスリムは使徒を訪ね、自分たちには資産と出陣する手段がないので、騎乗する動物を提供してほしいと使徒に懇願した。彼らの名前は、サーリム・イブン・ウマイル、ハーリサ一族のウルバ・イブン・ザイド、マーズィン・イブヌン・ナッジャール氏族のアブー・ライラ・アブドッ・ラハマーン・イブン・カアブ、サリマ氏族のアムル・イブン・フマーム・イブヌル・ジャムーフ、アブドッラー・イブヌル・ムガーファルル・ムザニ、ワーキフ氏族のハラミーユ・イブン・アブドッラー、イルバード・イブン・サーリヤル・ファザーリである。使徒が、彼らに与える動物がないと答えると、彼らは出発の費用を賄う十分な資金がないことを嘆いて、涙にくれながら立ち去って行った。

      テーマ:
  • 20 May
    • サイイド・クトゥブ三部作(324):未来はこの宗教のためにある

      カレル博士の警告と処方(4)

       「機械発明の数を増やしても、何ら益することはない。恐らく物理学、天文学、化学の発見も意味を持たないであろう。

       実のところ純粋科学は、我われに何の害ももたらさない。しかし、無生物の領域での魅惑的な成功が我われの心を支配し、我われがそのとりこになるとき、科学は危険になる。人間は今こそ、自分自身と、道徳的、知性的な欠陥に注意を向けるべきである。

       我われの弱さのゆえに、最善の利益のために活用できないのであれば、享楽、ぜいたく、美貌、規模が豊かに広がり、文明の精密さが高まったとしても、何の役に立つのであろうか。混乱をもたらし、偉大な民族の最も気高い要素を失わせる生活の様式は、骨を折って実践する価値がない」(五〇、五一ページ)。

      テーマ:
  • 19 May
    • サイイド・クトゥブの少年時代:村の少年(133)

      (Ⅵ) アフリート(28)  そのような化身、神話、作り話が山ほど幼い心に植え込まれたので、彼がどうしてアフリートについての彼の迷信を変えられるというのだろうか。しかしそれは、若い校長が学校に赴任したときに起きた。若い校長は生徒の道徳的、精神的教育に強い熱意を抱き、無味乾燥な学問教科だけに偏らなかった。アフリートの迷信が生徒の認識、感情にいかに強固に固定しているかを知った校長は、生徒たちの精神を浄化しようと全力を尽くした。  彼は彼らにこう語った。「これらのアフリートについての話はすべて、無知に基づく迷信であり、そしてアフリートに突然遭遇するというおとぎ話は、隠された目的のために創作された作り話、そうでなければ単なる想像にしかすぎない。多数の人びとがアフリートと信じる猫、犬、そのほかの動物は、本当の動物だ。彼らが姿をはっきりと見ることができない暗闇でこれらに出会うため、恐怖と不安がそのような考えを人びとの中に植え付けるのだ」。彼は何度も教室でこの主題を中心にして説き、何人かの生徒は校長が言ったことをほとんど信じるようになった。

      テーマ:
  • 18 May
    • チャーチルのスーダン戦争(32)

      第1章 マハディーの反乱(32 一八七九年末にかけて、ゴードンはスーダンから離れた。何度かの短い不在期間を含み、彼は各地で多忙な五年間を過ごした。彼のエネルギーはスーダンをかき回した。彼は奴隷貿易の根源を攻撃、奴隷の制度そのものを破壊、そして奴隷制がその地の最大の機関だったので、社会体制の全体を壊した。義憤は彼の行動をすさまじい程にまで激しくさせた。ヨーロッパ人にとっては通常致命的な気候の下で、彼は将校五人分の任務を遂行した。方法については一切意に介さず自ら奴隷を購入、彼らに訓練を施し、こうして組織した兵士たちを率いて狩人の隊商に襲いかかった。俊足のラクダに騎乗して全土を走り回り――彼はわずか一年で三千八百四十マイルを踏破したと言われている――、驚愕している原住民の間に正義と自由をまき散らした。彼は病人を養い、弱者を助け、悪人を処刑した。彼は人びとを実際に救済、多数に自由を与え、すべての人々に希望と願望を与えた。部族たちが感謝しないはずがなかった。最も獰猛な野蛮人、食人種でさえこの不思議な白人の行動に敬意を表した。女たちは彼を祝福した。彼は武装せずしかも単身で、軍団ですら立ち入りをはばかるところを通行できた。しかし彼は、彼自身気付いていたことだったが、嵐の前ぶれだった。抑圧されていたが獰猛な人種は、権利を有していることを学んだ。スーダンの苦難は軽減したが、彼らの知識は増大した。全住民が覚醒し、変化の動輪がゆっくりと回転し始め、彼らが巨大な革命を成就させるまで止まることはなかった。

      テーマ:
  • 17 May
    • タバリーのシャーナーメ(231)

      バハラーム・ジュール(13)  彼の名前はしばしば省略されてただナルスィーとだけ呼ばれ、また人びとはミフル・ナルスィフとも呼んだ。彼はミフル・ナルスィー・イブン・ブラーザ・イブン・ファッルフザーズ・イブン・フーラフバーズ・イブン・スィースファーズ・イブン・スィーサナーブルーフ・イブン・カイ・アシャク・イブン・ダーラー・イブン・ダーラー・イブン・バーマン・イブン・イスファンディヤール・イブン・ビシュタースブである。  ミフル・ナルスィーは彼の高度の学識と優れた作法、判断の正確さ、彼に対する人民からの信頼、従順さのゆえに、ペルシャのすべての君主に大いに讃えられた。さらに彼は重要性では彼に匹敵し、彼と同等の地位の職務を君主のために全うした数人の息子を持っていた。そのうち三人は卓越した地位に就任した。  その一人がザラワーンダーズで、ミフル・ナルスィーは宗教と宗教法を専門とさせた。彼はこの分野で高い地位に昇進し、バハラーム・ジュールは彼を最高聖職者に次ぐ地位の首席聖職者に任命した。二人目はマージュスナスと呼ばれ、バハラーム・ジュールの在任期間を通して租税庁の責任者を務め、ペルシャ語で彼の地位の名称はワストラーイウーシャーン・サーラール(耕作人の監督者)という。

      テーマ:
  • 16 May
    • 『使徒たちと諸王の歴史』第二巻(381)

      そのように言った学者たち(6)  アブドッラー・イブン・マスウードから彼の教友の一人に、教友からイブン・イスハークに、イブン・イスハークからサラマに、サラマからイブン・ホマイドに伝えられたところによれば、彼らが彼を踏みつけたので、彼の内臓が背中から出てしまった。神は彼に言われた、「楽園に入れ」(三六章二六節)。彼は生きてそこに入り繁栄し、神は世俗の悩み、悲しみ、病気をとり除かれた。彼は神の御慈悲、楽園、恩寵を授けられて叫んだ、「ああ、我が民が、主が私をお赦しになり、栄誉ある人びとの仲間に入れられたことを知ってくれればよいが」(二七節)。  神は彼らがハビーブを重要な人物と考えなかったことに非常にお怒りになり、彼らを一人も生かしておかれなかった。主は彼らがハビーブを軽んじたことに素早く復讐を下された。神は言われた、「われらは彼の後、その民の上に天から一人の軍勢も下さず、また下すまでもなかった」(二八節)。主は天上から代行者を遣わすまでもなく、それは主にとってはいともたやすいことだったことを意味する。「ただ一声が届いた、すると見よ、彼らは静まり動かなかった」(二九節)。こうして神はその王とアンティオキアの民に永遠の破滅をもたらされた。彼らは地上から一掃され、子孫は一人も残らなかった。

      1
      テーマ:
  • 15 May
    • 『預言者の生涯』第四巻(77)

      ヒジュラ暦九年〔西暦六三〇年四月―六三一年四月〕、タブークの解放(2)  ある日、準備を整えていた使徒は、サリマ一族のジャッド・イブン・カイスに、「そなたはアスファルの者たち〔ビザンチン出身の白い肌の部族〕と戦いたくないのか、ジャッドよ」、と聞いた。彼は、「残留することをお許しください、そしてどうぞ私を誘惑から遠ざけてください。私が女たちの誘惑に弱い人間であることは皆が知っております。ルーム女を見て我を失ってしまうことを、私は恐れているからです」、と答えた。使徒は彼に残留する許可を与え、彼から離れた。次の啓示は、ジャッドに言及して下されたものである、「彼らの中に、『私を許して家に留め、試みに会わせないでください』、と言う者もある。聞け、彼らは既に試みの中にいるではないか。本当に地獄は、すべての方向から不信者たちを取り囲んでいる」(九章四九節)。つまり、ルーム女の誘惑だけが問題なのではない。彼が陥ったのはそれよりもっと大きな誘惑で、使徒に同行することを拒んで後方に留まり、使徒ではなく自分自身を喜ばしたことである。神は、「かかる者の後ろは地獄」(一四章一六節)、と啓示された。  不満を持つ者たちは、困難な戦いを嫌い、真実を疑い、使徒に対して疑問を抱いて、「熱暑の中に出て行くな」、と語り合った。そこで神は彼らについて、「タブークの解放に際し、後方に留まった者は、アッラーの使徒の出発後、残留していることを喜び、生命と財産を捧げて、アッラーの道のために奮闘努力することを嫌って言った。『この炎暑のさなかに出征するな』。言ってやるがいい。『地獄の火は、もっとも厳しい熱さなのだ』。彼らがもし悟るならば。それで彼らを少し笑わせ、多く泣かせてやりなさい。これは、彼らが行ったことに対する応報である」(九章八一、八二節)、と啓示された。

      テーマ:
  • 13 May
    • サイイド・クトゥブ三部作(323):未来はこの宗教のためにある

      カレル博士の警告と処方(3)

       「人間はすべての基準であらねばならない。ところが人間は、彼らが形成したこの世界で不審者になっている。人間は自分自身の特性に関する実際的な知識を持っていないために、この世界を自分で組織することができなかった。

       このため、無生物の科学がこれらの生物について達成した計り知れない進歩は、人類がこれまでに苦しんだなかで、最も破局的な災厄であった。我われの知性と発明から生まれた環境は、我われの身の丈にも容姿にも順応していない。

       我われは、不幸である。我われは、道徳的にも精神的にも頽廃している。産業文明が最も発達しているグループあるいは国家が、まさに弱体化している。そこでは、野蛮状態への逆行が最も速いのに、彼らはそれを認識していない。

       彼らは、科学が作り出した敵対的な環境から自分たちを防御する手段を持っていない。事実、我われの文明はこれまでの文明と同様に、その理由は明らかではないが、生活そのものを不可能にする何らかの生存の状況を作り出してしまった。

       現代都市の住人たちの不安、苦悩は、彼らの政治的、経済的、社会的制度を原因としているのである」(三八ページ)。

      テーマ:
  • 12 May
    • サイイド・クトゥブの少年時代:村の少年(132)

      (Ⅵ) アフリート(27)  しかし伯父は、神の最も偉大な名を知っていた人だった。彼は勇気を持ち、アフリートを恐れなかった。彼はこのやっかいな悪ふざけに忍耐し、アフリートに言った、「去れ、神が汝の道を安らかにしよう」。彼は次の蛇口、第三の蛇口、第四の蛇口と移動したが、同じ事が起きた。ついに彼が神の最も偉大な名を大きな声で唱えると、アフリートは敗北の声をあげて彼に言った、「私は小さな子供にすぎません、どうかお助けを」。シェイクは同情してほほ笑み、アフリートを神のために許した。  「交換」される子供も多かった。子供の交換は、便所のような恐ろしい場所に幼児がいるときに起き、アフリートが現れ、人間の子供を誘拐し、代わりに精霊の幼児を置いて行く。子供は、ナイル川に身を投じ、「自分の子供を取れ、そして我らの子を返せ」と叫ぶまでの、長い手順が終わってようやく返還される。  人びとがアフリートの脅威から解放され、日々の活動で彼らからいつも追いかけられる恐怖から逃れられる一カ月間があった。それは大人も子供も、それぞれの家庭を訪問し、何も恐れずに遅くまで起きて、道路や野原で遊ぶ期間だった。それは婦人が夜遅くまで起きて仕事をする、とりわけ夜明けに焼くパンの生地を準備する期間だった。それは小さなアフリートも、大きなアフリートも鎖につながれ、人間の視界から消えるラマダーン、断食の月間だった。それはソロモンの時代以来からそのようであった、ソロモンに平安あれ。

      テーマ:
  • 10 May
    • チャーチルのスーダン戦争(31)

      第1章 マハディーの反乱(31 奴隷狩同盟を直ちに破壊することは、赤道領新総督の権限外だった。それでも彼は奴隷貿易に重大な打撃を与え、そして一八七七年、イギリスに短期間帰国した後、無制限の権力を持つスーダン総督として復帰、エネルギーを倍増させて攻撃した。ズバイルはカイロにおびき寄せられ、政府が彼らの忠実な同盟者、賓客を至福の狩猟場に帰還させなかったため、幸運も彼の努力に幸いした。奴隷商人たちは偉大な指導者を奪われてしまったものの、依然として強い勢力を維持、ズバイルの息子、勇者スライマーンは相当数の支持者を得ていた。父親の監禁に怒り、また自分にも同じ運命が待ち受けていることを恐れたスライマーンは、反乱を企てた。そこで総督は正装の軍服に身を包み俊足のラクダに騎乗、単身で反乱軍キャンプに乗り込み、彼らが驚愕の衝撃から回復する前に首領らを屈服させた。奴隷同盟は激しく動揺、翌年スライマーンが再び反乱すると、ゲッシ・パシャ率いるエジプト軍が反乱を鎮圧、条件付きの降伏を誘いかけた。条件は遵守されず、スライマーンと十人の同士は銃殺刑に処された〔ルドルフ・カール・フォン・スラティン、『スーダンの銃と剣』、二八ページ〕。こうして奴隷商人同盟は崩壊した。

      1
      テーマ:
  • 09 May
    • タバリーのシャーナーメ(230)

      バハラーム・ジュール(12)  この後、バハラームはミフル・ナルスィー・イブン・ブラーザを四万人の戦士の軍勢の指揮官とし、ローマ領への遠征に派遣した。バハラームはミフル・ナルスィーに、彼らの最高権力者に向かって進み、ミフル・ナルスィーの能力を持つ者だけが遂行できる任務、すなわち貢税とそのほかの問題について、最高権力者と協議する任務を課した。  ミフル・ナルスィーはこの軍勢と物資と共に出発し、コンスタンティノープルに入った。彼はそこで卓越した役割を果たし、ローマの最高権力者は彼と休戦した(四二一年)。彼はバハラームが期待したすべての任務を完遂して邦に向かい、バハラームはミフル・ナルスィーにさらなる栄誉を授与して報いた。  彼の名前はしばしば省略されてただナルスィーとだけ呼ばれ、また人びとはミフル・ナルスィフとも呼んだ。彼はミフル・ナルスィー・イブン・ブラーザ・イブン・ファッルフザーズ・イブン・フーラフバーズ・イブン・スィースファーズ・イブン・スィーサナーブルーフ・イブン・カイ・アシャク・イブン・ダーラー・イブン・ダーラー・イブン・バーマン・イブン・イスファンディヤール・イブン・ビシュタースブである。

      テーマ:
  • 07 May
    • 『使徒たちと諸王の歴史』第二巻(380)

      そのように言った学者たち(5)  カターダからサイードに、サイードからヤズィードに、ヤズィードからビシュル・イブン・ムアーズに伝えられたところによれば、彼は――ハビーブは――使徒たちに会ったとき言った、「あなた方はこの代償を求めますか」。彼らは言った、「求めません」。すると彼は言った、「我が民よ、使徒たちに従いなさい。あなた方に何の報酬も求めない、正しく導かれた方に従いなさい」。  イブン・イスハークの伝承に戻る。そして彼は彼らに自分の信仰を明らかにし、彼らに偶像崇拝を止めて主を崇拝するように訴え、神だけが人を豊かにしたり、害したりする力を持っていると語った。彼はまた言った、「どうして私が私を創造され、あなた方がその御許に帰る主に奉仕しないというのだろうか。どうして私が主以外の物を並置するというのだろうか。見よ、私はあなた方の主を崇拝する、ゆえに私の言うことを聞きなさい」、つまり、私はあなた方が否定する主を崇拝する、私の言葉を聞きなさい、と言ったのである。彼が彼らにそのように語ると、彼らは一斉に彼を攻撃して彼を殺した。彼の弱さ、病気のゆえに彼を重要な人物と考える者はおらず、誰も彼を助けようとしなかった。

      1
      テーマ:
  • 06 May
    • 『預言者の生涯』第四巻(76)

      ヒジュラ暦九年〔西暦六三〇年四月―六三一年四月〕、タブークの解放(1)  使徒はズル・ヒッジャ〔十二〕月から、ラジャブ〔七〕月までマディーナに滞在し、それからルーム〔ローマ、ビザンチン〕に向けて出発する準備をするように命じた。以下の記述は、アッズフリ、ヤズィード・イブン・ルーマーン、アブドッラー・イブン・アブー・バクル、アースィム・イブン・ウマル・イブン・カターダ、そのほかの伝承家たちが私に語ったことに基づき、各人の伝承が他者の伝承の欠けている部分を補っている。  使徒は、教友たちの疲労が重なっているときに、ルームに出発する準備をするように命じた。暑さは耐えがたいほどで、干ばつが続いていた。果実が熟していたので、人々は日陰で果実と共に過ごすことを望み、そのような季節に出発することを嫌悪した。使徒は、いつも出発前には、実際に意図する目的地とは異なる場所をほのめかし、その場所に向かうかのように話していたが、今回の任務は唯一の例外だった。旅は長く、季節は厳しく、敵が極めて強大だったため、人々がそのような任務に見合った準備を整えられるよう、使徒はルームに向かうと明言した。

      テーマ:
  • 05 May
    • サイイド・クトゥブ三部作(322):未来はこの宗教のためにある

      カレル博士の警告と処方(2)

       以下は彼の警告的な診断と、彼が示唆した解決策の抜粋である。

       「本書の唯一の目的は、現代の人間に関する科学的なデータの一式をすべての人びとの判断に供することである。我われは、我われの文明の弱さを認識し始めている。

       多くの人びとが彼らに強制されたドグマを一掃することを要求し、とりわけ、精神的、政治的、社会的な変革だけでなく、産業文明の放棄と、人間の進歩の新たな概念の出現の必要性を理解するのに十分な勇気を有している人びとは、これらのドグマを破壊することを要求している」(一一ページ)。

       「産業生活の組織の中では、工場が労働者の肉体的、精神的な状態に及ぼす影響が完全に無視されてきた。現代の産業は、個人あるいは個人のグループが、最大限の利益を獲得するために、最低コストによる最大生産の原則に基づいている。

       現代の産業は、機械を動かす人間の真実の特性について何の考えもなく、また工場が強制した人為的な存在様式が人間と彼らの子孫に与える影響について一顧だにすることなく、発展を続けてきた」(三五ページ)。

      テーマ:
  • 04 May
    • サイイド・クトゥブの少年時代:村の少年(131)

      (Ⅵ) アフリート(26)  しかし最も悪魔的で衝撃的なアフリートの攻撃は、彼らがモスクに侵入したときに起きた。それでも、アフリートの攻撃性にもかかわらず、彼らは礼拝所には入ろうとはせず、便所にたてこもった。少年の伯父、シェイク・アリは事件に巻き込まれた一人だった。彼は正道に従い、あごから髭を突き出し、ターバンを後ろに長くしていた。  それはある朝、伯父が雄鶏の鳴き声で目覚めたときに起きた。彼は早朝の礼拝の時間と考えてモスクに向かったが、実は真夜中を少し過ぎていただけだった。到着すると伯父は沐浴をするために蛇口を開けた。すると水ではない、子供の形をした生肉のような何物かが手にかかった。  しかし伯父は、神の最も偉大な名を知っていた人だった。彼は勇気を持ち、アフリートを恐れなかった。彼はこのやっかいな悪ふざけに忍耐し、アフリートに言った、「去れ、神が汝の道を安らかにしよう」。彼は次の蛇口、第三の蛇口、第四の蛇口と移動したが、同じ事が起きた。ついに彼が神の最も偉大な名を大きな声で唱えると、アフリートは敗北の声をあげて彼に言った、「私は小さな子供にすぎません、どうかお助けを」。シェイクは同情してほほ笑み、アフリートを神のために許した。

      テーマ:
  • 03 May
    • チャーチルのスーダン戦争(30)

      第1章 マハディーの反乱(30 彼は一八六九年頃には、バハル・アルガザルの実質的な独立支配者となっていた。副王は自分の権力の行使を決断した。エジプトの小部隊が、人間性を侵害しただけでなく、貢税の支払いを拒否した反乱奴隷商人を鎮圧するために派遣された。副王遠征軍のほとんどの場合のように、ビラール・ベイが率いる部隊は不運に遭遇した。彼らは来て、見て、敗走した。ほかの者より俊敏でなかった者は、不名誉な戦場に倒れた。反乱が始まった。だが和平を求めたのは副王だった。ズバイルは副王軍を敗北させたことを謝罪、バハル・アルガザルの主権者であり続けた。それ以来彼は、そのころ独立の王国だったダーフールの征服を計画した。エジプト政府は喜んでその事業に参画した。彼らは自分たちが征服に失敗した男を利用した方が得策と判断したのだ。作戦は成功した。愚かさに劣らず、勇気でも傑出していたダーフール王は殺害された。こうして全土が征服された。その戦闘後、全住民が入手可能な奴隷となった。ズバイルは恐るべき権力者となった。副王政府は彼の忠誠をつなぎとめようとして彼をパシャの地位につけた――彼が決して汚すことのできない地位に――、そして反乱者の権威は支配者の意に反して承認された。これがゴードンが最初にスーダンに来たときの状況だった。

      テーマ:
  • 02 May
    • タバリーのシャーナーメ(229)

      バハラーム・ジュール(11)  インド人は弓術に長けた民ではなく、ほとんどは馬上ではなく歩兵として戦った。一方でバハラームが敵に矢を放つと、それは身体を貫通した。起きていることを目撃した敵は身をひるがえして敗走し、決してふり返らなかった。バハラームの保護者は敵の野営の中のすべてを戦利品として捕獲、バハラームを伴って歓喜しながら帰還した。  王はバハラームの功績の報酬として娘を彼に嫁がせ、アッダイブル、マクラーン、隣接したスィンドの一部を彼に贈与した。王は彼にこれらすべての譲渡証書を書き、公証人の前で彼への譲渡を確認し、これらの領土をペルシャ領に加え、租税をバハラームに支払うように命じた。バハラームは喜びながら帰還した。  この後、バハラームはミフル・ナルスィー・イブン・ブラーザを四万人の戦士の軍勢の指揮官とし、ローマ領への遠征に派遣した。バハラームはミフル・ナルスィーに、彼らの最高権力者に向かって進み、ミフル・ナルスィーの能力を持つ者だけが遂行できる任務、すなわち貢税とそのほかの問題について、最高権力者と協議する任務を課した。

      1
      テーマ:



>>>不妊でお悩みの方<<<
都内で唯一N.O.Eと鍼灸での不妊治療が受けられるお店

みしゅく夢鍼灸院


『イスラーム原理主義のイデオロギー サイイッド・クトゥブ三部作:アルカイダからイスラム国まで オバマ大統領が憎む思想』

  >>>kindle版

  >>>単行本





『預言者の生涯(第四巻)』、イブン・イスハーク著、座喜純・岡島稔・訳/解説。2012/9/20発売。


AD

旧ランキング

歴史・仏像
1659 位
書籍化ブログ
1305 位

ランキングトップへ

ブックマーク

AD

プロフィール

アラジン3世こと岡島稔

性別:
男性
誕生日:
1944年9月4日
お住まいの地域:
千葉県
自己紹介:
本名:岡島稔 1969年北九州市立大学米英学科卒業、日本経済新聞社入社。1974-75年エジプト・...

続きを見る >

読者になる

テーマ

一覧を見る

月別

一覧を見る

道しるべ
『イスラーム原理主義の「道しるべ」』[kindle版]

『タバリーによるシャーナーメ: 古代ペルシャ諸王の歴史ものがたり 』[Kindle版]

『タバリーによるシャーナーメ: 古代ペルシャ諸王の歴史ものがたり 』[Kindle版]

預言者の生涯(第二巻)

『預言者の生涯(第二巻)』、イブン・イスハーク著、座喜純・岡島稔・訳/解説。2011/2/25発売。

>>>目次へ


預言者の生涯(第三巻)

『預言者の生涯(第三巻)』、イブン・イスハーク著、座喜純・岡島稔・訳/解説。2011/12/21発売。

>>>目次へ


レイディー・ルーシー・ダフ・ゴードンの『エジプトからの手紙』

 エジプトに王朝を創設したムハンマド・アリの孫、イスマイールが近代化政策を推進していたころ、エジプトはコスモポリタン国家の様相を呈した※。エジプトの近代化に便乗して一旗挙げようと、世界中から玉石が混交した人材が集まった。

 近代化に必要な物資を法外な値段で売りつける西洋の商人は、おおむね外交官を兼ねていた。政府は多数の外人顧問・教員、職業軍人を雇った。エジプト古代史の魅力にとりつかれた考古学者、文化遺産を漁る博物・美術館員、古物商や古物収集家、宣教師、旅行者。一攫千金を夢見る冒険家、果ては国際都市・アレクサンドリアで、外人用のいかがわしい商売を営むならず者や前科者までが集まった。

 そのころ、カリフォルニアやカナダのクロンダイクはゴールドラッシュに沸き、世界中からならず者が集まっていた。エジプトは、カリフォルニアやクロンダイクのようになった。1836年、14,500人と推定されたエジプトでのヨーロッパ人の人口は、1871年までに80,000人に膨れ上がった。

 そのころ、ただ一人、ひときわ異彩を放つイギリスの貴婦人が、ナイル上流の古代都市、ルクソールで生活していた。彼女は母国で胸の病気を患い、陰気なイギリスの気候を避け、陽気なアフリカ最南端の喜望峰で転地療養をしていたが、そこからルクソールに引っ越していた。喜望峰から転居してきた1863年から、この世を去る69年まで生活し、彼女は住民の一人として社会にとけこんだ。  >>続きを読む

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。