繁華街の中にある神社から見えた超高層ビル群 | 日本はモノづくりだけでいいのか!

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製造業が日本の中心だとか騒いでるのは一部のマスコミだけ

想像の世界、文章の世界、絵の世界で表現される世界-ある意味でのユートピアを現実のものとしてつくってしまっている。子どもたちのおもちや遊びの世界と紙一重であり、紙一重超えたところで高度な文化として成立した精神の遊園地。日本の庭は、その遊びのために人工的に映像化されたもう一つの自然なのだ。これは現代のバーチャルーリアリティーに通じるものではなかろうか。私たちがコンピューターグラフィックスによるシミュレーション映像を、ともすれば子どもじみたものとしか感じられなかったり、またリアルに没入することができたりするのも、紙一重のところがある。A教授の言葉から、私自身も景観の一部なのだと気づかされ、その思いで再び庭に視線をやると、現に目の前に庭を見ていながら、庭を見ている私を含んだ庭の全景がぼんやりと脳裏にイメージされる。まるで中空から、下のほうの庭と私を斜めに見下ろしているような感じなのだ。


確かに、幼児のとき、これと同じような感覚を味わっていたような気がする。海辺の砂で山や池をつくりながら、同時にその世界に自分が入り込んで遊んでいるリアルな映像感覚。目の前に現実の砂山を見ている体験と、ほんものの山に遊んでいる体験とが、まったく矛盾しないものとして同時に存在していたのである。確かに、具体像の中での現実体験と信じられるほど、それは強烈なもう一つの現実体験だった。異質なものに最初に触れたときの驚き、またその新鮮な感覚は、時が経つにつれてしだいに薄れ、記憶の彼方へと遠ざかっていく。当然のこととはいえ、それがややもすれば、後に得た知識の肥大化によるものではないかと感じられ、さかしらに知恵を積み重ねつつ生きる人間の性をうらめしく思うIそんな体験が誰にもあるだろう。


私の日本体験もそろそろ、そうした時期にさしかかっているように思える。だからなのか、私はこのところ、日本に不案内な外国人の「予備知識なしの日本体験」に耳を傾けたいという気持ちがずいぶん強くなっている。そういうわけで、知り合いのアメリカ人男性Kさんから、いまだ見ぬ新宿の街を案内してほしいと頼まれたときには、一も二もなく引き受けていた。Kさんは二年前に来日して以来、ある地方大学の教壇に立っている。カリフォルニア出身で、歳のころは三十前後、大学の学部で社会学を専攻し、大学院の修士課程で美術を専攻し、自らアーティストと称しながら、さらに医学と心理学で二つの博士号をとっているという変わり種。旅行が大好きで、時間を工面しながら世界各地を飛び回っているが、日本国内はほとんど行ったことがないという。東京も海外への行き帰りに通過するだけでまるで知らない、いつか機会があったら案内してほしいといわれていた。


あまり時間がとれないということで、私か長らく住んでいる新宿の街をブラつきましょう、となったのである。午後、西新宿の京王プラザホテルのコーヒーショップで待ち合わせ、まずは副都心の超高層ビル街へと足を向けた。私はKさんが見たまま、感じたままに発する言葉を聞きたかったので、こちらから説明などをすることなく、無言の引率者に徹していた。やがて彼が発した最初の言葉は、「アートとして実によくできた街だ」であった。歩きながら自然に視線を移動させていくと、姿・形の異なる複数のビルが、複雑に重なり合ったり離れたりして、刻々と景観が変化していく。そんなとき私はいつも、知らず知らずのうちに遠近感の麻輝した錯覚が生み出す不思議な映像世界に入っている。そしてふと目をそらすと、現実に引き戻されている。それが楽しくて、私はよくここを歩く。Kさんもそんな体験をしているのだろうか。


「ビルとビルのあいだの空間がよく構成されていて、それぞれのビルの個性がとてもよく生きています。とくに都庁ビルは幻想の世界への広がりをもたらしてくれます」何か心に響くものがあったのか、Kさんはしきりにうなずきながら、その後はほとんど無言で歩いていた。日が暮れはじめたころ、西口の地下道を通って歌舞伎町へ向かった。地上へ出ると、すでに色とりどりのネオンの花が乱舞している。「ワオー」とほとんど声をあげんばかりに表情を緩めたKさんの横顔はまるで子どものよう。超近代を目の当たりに見せる高層ビル街からわずか五分で、いきなりこの光景にぶつかったのだから、驚くのも無理はないだろう。コマ劇場前まで来たところで、「この辺が中心です」と私かいうと、Kさんは「これが話に聞いていた新宿歌舞伎町なんですね、興味深い町だなあ」と、なんだかしきりに感心している。