もう一度行きたい店 | ぼくはグラスのふちをまわる

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昭和40年代の思い出や、酒場についてゆる~く語ります。

20歳の頃は、いつも原宿辺りで遊んでいた。

あの頃よく飲みに行っていたのが、居酒屋のとんちゃんと、神宮前の交差点

近くにあったウィーン・ボンボンという小さな洋食屋さんだった。


とんちゃんは、友達がバイトしていたので、飲みに行くようになったのだけれど、

今思えば、初めてやきとんを食べたのが、とんちゃんだった。


木造のきれいとは言い難い飲み屋だったけれど、デザイナーとか美容師やマ

コミ系の当時の先端を行く人達がよく集まっていた。


僕はその店で、ハードコア・パンク・バンドのボーカルのMさんと仲良くなって、近

にあるMさんの自宅までおじゃましては、よくごちそうになっていた。


僕は、まったく知らなかったんだけれど、Mさんは伝説のパンクロッカーで、無茶

茶怖い人らしいんだけれど、僕らの前では普通に優しい人だった。


ただ、見てくれは、モヒカン刈りだし普通じゃないことだけは確かですけどね(笑)


まあ、パンクロッカーに、いい人とか優しいなんて言葉は、決してほめ言葉じゃな

思うので・・・。


そんなMさんが亡くなって、早17年。


元気でいたら、52歳ですか、Mさんの部屋の炬燵でごちそうになった、林檎旨か

たっす。あれっ、パンクロッカーが、炬燵で林檎はマズかったかな(笑)


とんちゃんの話になると、やっぱりMさんのことを思い出すな~。


そんなとんちゃんも、建て替えでお洒落なダイニングバーみたいになってからは、

だんだん足が遠のいてしまいました。


もう一軒のお店が、神宮前の交差点にあった、洋食屋のウィーン・ボンボン。

カウンター7席位の狭いお店なんだけれど、安くてボリュームがあって、美味しか

ったな~。


マスターは、もうおじいちゃんといってもいい位の年齢なんだけれど、しゃべり方が、丁寧で、微妙にオネエっぽかったような思い出があります。


そのマスターは、確かオーストリア大使館で長年料理を作っていたとか言っていま

したが、そのお店もいつの間にか無くなってしまいました。


どちらも、もう20年以上前の思い出です。


もう二度と行けないからこそ、もう一度行ってみたいお店なのです。