心が欲するものを | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

そのとき体に必要な食べ物は、自然と食べたくなるようにできているそうです。
足りない栄養素を摂取しようとするのかな。

私にとっては、「本」も食べ物と同じ。
そのとき、心が欲している本を読みたくなります。

好きな作家さんの新刊は、とりあえず飲み込みます。
それでも、ときどき、「なんだか読みにくいなあ」とか読んでもピンと来ないときもあって、そういうときはたぶん、心が求めているものとはちょっと違っているんだろうと思っています。

で、とりあえず一度読んだ本は本棚に置いて、熟成させます。

本を選ぶのはどういう基準なのか、自分でもよくわかっていません。
でも、なにか、こんな感じのものを、とか、こんなジャンルで、という方向性はあるようです。
学園ものが読みたいときや、本格的なミステリーが読みたいとき、お仕事小説、ごくまれに恋愛がらみの小説、など。
新書を読みなおすときもあれば、コミックを読むときもあります。
不思議なのは、どんなに好きな作家の作品でも、欲してないときに読むとまったく面白く感じられないということ。
あるいは、もう何十回と読み返している本なのに、変わらずに新鮮に読めることもあるということ。

少し前まで、ひたすら宮部みゆきさんの本を読み返していました。現代ものも、時代物もとりまぜて。読むことで、なにかしら回復していくような気持ちになっていました。

あの小説の、あのシーンをもう一度読みたい、あの展開をもう一度読みたい、と思って読み返すこともあります。


こういう読み方をするので、本は所有してないと困るのです。
いつでも本棚を見渡して、目当ての本を見つけ出せるようにしていないと困るのです。
図書館で借りたり、電子書籍を使わないのはそういうわけなのです。


でも、ときどき、ぴったりくる本が見つからないときもあります。
どの本を開いても、そのときの心の欠落にぴったりはまるものがないとき。
そういうときはとても苦しいです。
おなかが空いて倒れてしまうような感じ。
そういうときは、目についた本を手当たり次第に引き出して、適当なページを読みます。
すると、何冊目かで、「ん?」と思う本に出会えることがあります。
そうしたら、腰を据えてそれを読む。こんなふうに読む本もまた楽しいものです。


先日、宮部みゆきさんの新刊が出ました。
杉村三郎シリーズの第4弾。私立探偵になってからのお話です。
このシリーズ、最初はなんとなく不安な気持ちになっていました。
主人公の杉村三郎さんの人生がどうにも不安定なものに見えてしかたなかったから。
財閥の外腹の娘と結婚して、財閥の中に取り込まれてしまった杉村さん。
どれほど結婚生活が幸せだと語ろうとも、それが本物には思えませんでした。
いつか壊れるんじゃないか、とずっと思っていて、3作目の「ペテロの葬列」でその予感が的中しました。(っていうか、まあ、もともとそういうつもりで作者は書いていたのかもしれませんけど)
4作目の杉村さんはとても安定した感じがします。
そういえば、文庫版の「ソロモンの偽証」には、番外編として、杉村さんと藤野涼子ちゃんが出てくる短編が収録されています。あれはワクワクしたなあ。
その番外編のためだけに、文庫を買いましたもん。

新刊のタイトルは「希望荘」
○○荘というのはアパートによくある名前です。
そこからの連想で、乾ルカさんの「てふてふ荘へようこそ」を読み返しました。
三浦しをんさんの「木暮荘物語」にはまだ呼ばれてないみたいです。
ああ、木暮で思い出しちゃった。宮部さんの「木暮写真館」を読み返そうかな。


ところで、本物の食べ物の話ですが。
私の個人的感想としては、食べて一番太る、というか体重が増えるのは麺類です。スパゲティ、ラーメン、そば、うどん、そうめん、焼きそば。麺類はどれを食べても一発で体重が増えます。
次に増えるのがご飯。ご飯は重量があるので、どうしても体重が増えます。
あんまり増えないのはパンですね。カロリーは高いと言われますが、体重はあまり増えません。パンの重量はそんなにないですからね。
カロリーだとか、Gi値だとかいいますが、私に関しては、それよりも、そのもの自体の重さがもっとも影響を及ぼしていると思います。
今夜は息子のリクエストでラーメンを食べにいってしまったので、体重が増えてしまいました(泣) おいしかったから、よしとするかなあ。