「OBLIVION」とは忘却である | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

それにしても、映画の中のこととはいえ、いったい人類は何回滅亡すればいいんでしょうな。
最近の映画の予告、アメリカ映画の大作はなぜか「人類滅亡」「地球破壊」そんな話ばっかりですわ。そして「人類を救え!」と。若干食傷気味です(笑)

本日封切りの「オブリビオン」も、まあ人類滅亡からの救済という話ではあります。
早速、公開初日の今日、初回上映に行って来ましたよ。
平日の午前中ということで、観客は団塊の世代の方々がほとんどでしたね。

余談ですが、あの年代の方たちってどうして映画の終わり、エンドロールが流れ始めた途端に、そそくさと席を立つ人が多いんでしょう。今日も半分くらいの人が、まだ映像も流れてるというのにワラワラと席をたって劇場を出て行きました。そんなに忙しいんでしょうか。ケツカッチン?

ま、そんなことはいいんですけどね。ちょっと鬱陶しいんで、あんまりあの世代の人達とかちあいたくないんですよ。

映画ですが。
非常に面白かったですよ。よく練られたお話で、映像も小道具もセットも素晴らしかったです。
二転三転する展開に目が離せませんでしたよ。何を言ってもネタバレになってしまうので、内容については書けませんが、2時間ちょっと、たっぷり楽しめる展開でありました。

アメリカはお金のかけかたが違うなあ、とつくづく思いました。
こういうものにかける情熱、お金、そういうものが日本とは桁違いなんですね、いまだに。
娯楽に対する価値の置き方がまったく違うのでしょう。

映画の途中で、ハッと胸を突かれるシーンがありました。
主人公の隠れ家でのシーンなんですけどね、プロコルハルムの「青い影」が流れるんです。それもLPレコードの音で。そのシーンにもぴったりでしたし、なにより私はこの曲が大好きなので、ちょっと涙が出そうになりましたわ。

SFっていいなあと改めて思いました。
私のSF原体験はおそらく、筒井康隆さん原作の「時をかける少女」のNHKドラマ版だと思います。ケン・ソゴルが出てくるやつね。そのあたりで、眉村卓さんとか豊田有恒さんのジュブナイルSFと出会い、その後星新一さんのショート・ショートや筒井康隆さん、小松左京さんのSFへハマっていったのです。光瀬龍さんの「百億の昼と千億の夜」は衝撃的でしたし、広瀬正さんの作品にもハマりました。
そのあたりの、ちょっと懐かしい感じのSFが大好きだったのです。
最近のハードSFはもうついていけませんが、清水義範さんや宮部みゆきさんあたりがたまに書く懐かしSFは大好きです。
SFのなにが好きかっていうと、いちばん好きなのは「視点の転換」があること。
日常からふっと浮き上がってまったく違う視点から物事を観ることができる。そうすることで問題点がよりいっそうクリアに見えてくるわけです。

「オブリビオン」も、設定は今から65年後で、とんでもない事態に陥ってます。そういう状況を設定することで、「自分とはなにか」「自分の記憶とは何か」「愛とはなにか」ということを鮮明に描き出しているんですね。
映画のラストは「う~ん」と唸ってしまいましたよ。どう考えればいいのか、いったいどういうことなのか。劇場をあとにしながら、あれこれ考えてしまいました。

一人で観ることの唯一の欠点は、観た後にいろいろ語れないことですねえ。
同好の士と一緒に観ることができたなら、観終わったあとにあれこれ語ることができるかもしれないですからね。しかしなかなか「同好の士」には出会えないわけで。
意見が違うならまだしも、関心の有りどころがまったく違う人と観た日にゃあ、目も当てられないことになります。それが嫌でいつも一人で見ちゃうんですけど、今日ほど、「誰かと推理を語り合いたい」と思ったことはなかったです(笑)。
「あれってどういうことだと思う?」とか「あれはこういうことだと思ったんだけどどうだろうか」みたいなことをね、語り合いたかったですわ。
ネタバレが蛇蝎の如く嫌われる昨今、うかつに話すこともブログに書くこともできないので、若干欲求不満ですわ(笑)


地球滅亡、人類存亡の危機が映画のシチュエーションに多いのは、そういう極限状況を設定するほうが話が作りやすいからだということはわかっています。とりあえず派手になるし、悲しい場面も作れるし、物語が作りやすいんですよね。
シナリオを勉強しはじめてからようやくそのことに気が付きました。遅いかな?
以前はその手の映画の予告を見るたびに暗い気持ちになってたんですけど、ようやくそれはなくなりました。反対に「またかよ」とうんざりしてしまったりして。
隕石か、太陽の爆発か、エイリアンの侵略か、地殻変動か、病気の蔓延か、理由はどれになるかわかりませんが、いずれ人類も滅びる時が来るんだろうなと思っています。恐竜だって滅亡したんだし。ごきぶりのように変化しつつ生き延びる能力があるかどうかが、存続の分かれ目かもしれません。
できるなら、あまり見苦しくじたばたせずに、従容と死につきたいものだと願ってます。よく映画で描かれるようなあがき方だけはしたくないなあ。しんどそうだもの。
ま、そのときになったらどうなるかはわかりませんが(笑)



明日は「リアル」が公開になります。
原作は読みましたが、どうやらだいぶ内容は変わっているみたいですね。
佐藤健くんを見に行く、というのもひとつの見方かもしれませぬ。