疾病願望 | 10月の蝉

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この場を借りて、「ざんげ」したいことは? ブログネタ:この場を借りて、「ざんげ」したいことは? 参加中
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このブログネタの本来の意味は、仕事などにおける失敗に対する懺悔だと思うんですけど、私はお勤めしてませんのでそういうのはありません。
なので、文字通り「この場を借りて」別のことを懺悔させてくださいまし。



私にはどうやら「疾病願望」とでもいうべき願望が根強くあるようなのです。
大変不謹慎な願望だということは自覚しておりますし、実際に病気に罹っている方から見たら噴飯物の願望であろうということも重々承知しております。
それでもなお、私には、「公に、医者に治療の必要を認めてもらえて、かつ現実に治療している」状態を渇望しているところがあるのです。

毎日の生活の中にあるちょっとした不調、例えばしつこい頭痛ですとか、理由の分からない倦怠感、連続して眠れない状態、理由のわからない体の痛み、などなど、別に医者にかかるほどのことではないといってしまえばそれまでという不調は、まるで指に刺さった小さな刺のようにそこはかとない不快感を常に感じさせます。

気のせい。歳のせい。そういってしまえばそれだけのことです。
別に私だけに起きている特別な状態というわけではない。
もしかしたら私の精神の脆弱さからきているものなのかもしれない。

いつも当事者になれない、という気持ちがあります。
最近は「うつ病」もけっこうポピュラーな病気になりつつありますが、あれだってもし罹患してしまったら大変つらい思いをするんだろうなあと思うんですよ。
で、自分の状態をみてみると、うつであるともないとも言い切れない。
よく見かけるチェックシートなどでチェックしてみると、大抵の場合は「できれば医療機関にかかりましょう」とか「早めの受診をおすすめします」なんていう結果になってしまうんですけど、どう考えてみても医者へ行くほどには思えないんですよ。
今の世の中、希望をもって元気もりもりで生きてる人がどれだけいるんだろうと思うし、死にたいと思うことはさほど珍しいことだとも思えないのです。私には生きている価値がないのは自明のことですし、それでも生きているのは、自死するほうがかえって迷惑になるであろうと思うからです。

生活に支障が出るくらいなら受診を、とよく言いますけど、どこまでいけば「支障が出ている」と判断できるんでしょう。
私は毎日わりとしんどいなあと思いながら暮らしていますけど、生活に支障は出てないと思うんですよ。家事はがんばってこなしているし。食事の支度はかなり手抜きですけどね(笑)。

こういうときにね、思うんです。
はっきり病気だと診断してもらえた人はいいなあって。
病気だと判断されればきちんと治療に入ることだってできるし、治療すれば治ることだってありますでしょう。
でも、私みたいに病気ではないものは治療することもできない。ただつらいだけ。
ちゃんと病気になりたいなあと、そんな愚かなことを願ってしまったりするのです。

本当に申し訳ない。病気になりたいと願うなんてまったく不謹慎極まりないと思います。病気になってこの日常から逃げ出したいと願う自分を懺悔します。

ブログネタの本来の目的からもはずれてしまって、それも合わせて懺悔いたします。
ごめんなさい。


                  土下座






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