高齢出産の落とし穴 | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

最近いろんなことでイライラします。

尖閣諸島問題に対する政府の対応にイライラし、にもかかわらず政党内の内紛ばかりを報道するメディアにイライラし、教育・育児の方面で高みの見物で言いたい放題言う人にイライラし、日々手に負えなくなっていく子どもにイライラし、思うに任せぬおのれの心理状態にイライラする(笑)。

私には為す術がない(だって尖閣諸島の問題なんて私には解決できませんもん)ということがわかっているだけに、イライラは募り内向します。まったくやりきれません。


これが更年期、ってやつでしょうかねしょぼん

私の個人的資質の問題ということもあるでしょうけれども。

だって、笑ってこの時期を過ごせる人もいるらしいじゃないですか。


しかし、ひとつだけはっきりしていることがあります。


高齢出産。このことがもたらす様々な影響については、事前にそれなりに考えました。でも、産んだあと、数年経ってから起こる問題については、想像の範囲外でありました。(最近高齢で出産する人が増えているようですけど、みんなそのへんのところはどう考えているんでしょうか。)

私は43で息子を産みました。一応二度目の出産ではありましたが、前回とは15年の開きがありましたから、「ほぼ」初産、という感じ。

それでもなんとか無事に産むことができ、母子ともに健康でいられたのは大変幸運なことだったと思っています。

出産直後から3ヶ月くらいまでが、母体の肉体的疲労のピークであるということは経験済みでしたから、2時間おきの授乳も、細切れ睡眠も、「こんなものだ」という諦めをもってやり過ごすことができました。

経験のない人は軽視しがちですけど、自分の意志によらない細切れ睡眠ってものすごいストレスですよ。しかもそこに「親としての責任」という重圧がプラスされている。簡単にいえば、「起きないと子どもが死んじゃうかもしれないよ。死んだらあんたの責任だよ」と四六時中言われているようなものです。

そういう状態を「母親だから」の一言で、本人も乗り切ろうとするし、まわりも当然のことだと思って配慮しないわけです。


ちょっと話がそれますが、歌手のhitomiさんが育児ノイローゼを告白したというニュースをミクシーで見かけました。それに対して「それくらいは育児ノイローゼっていわないんじゃない?もっと大変な人はたくさんいるよ」というコメントがついていました。

こういうことを平気で言う人がいるから、虐待は減らないんだと思いますね。


閑話休題。

産後の危機をなんとか乗り切ったあとは、しばらくは平穏な日々が続きました。根本的な体力の衰えはあったものの、それでもまだ40代半ば、気力でカバーしようと思えばできるし、さらには経験値というものもあったために、比較的落ち着いて赤ん坊に対応できていたように思います。少なくとも上の子のときのように逆上することは少なかったと思う(笑)

息子が2~3歳くらいのときがちょうどいろんなことが釣り合っていた時期だったのでしょう。私の体力気力と子どもの成長具合など。

しかしやがて私の方は下降線をたどり始め、反対に息子は上昇曲線を描くようになりました。

私はわけもなくイライラすることが増え、自分の感情もうまくコントロールできないようになってきました。冷静になれば大丈夫なんですけど、瞬間カッと頭に血が上るようになってきたのです。このへんは一般的な事象なのか、私の個人的な現象なのかわからないんですけども。

環境の変化に耐えられるかどうか、適応できるかどうか、というのは若さの一つの指標なんじゃないかと思うんですけど、どうしても年をとると変化に適応するのが遅くなります。昨日の続きが今日、今日の続きが明日、何一つ変わるものはない、とどこかで思い込んでしまうのです。

それは子どもに対しても同じで、いつまでも赤ちゃんのときと同じような対応をしてしまう。「早く着替えなさいよ」と口うるさく言ったり、細々とした身の回りの世話をついしてしまったり。そういうことに対して子どもが返してくる反応が少しずつ変わっていることになかなか気付けないのです。そこで衝突が起こる。


反抗期、って結局はそういうことなのかなあ、とも思います。

子どもは日々変化している。だから、昨日言われて平気だったことが、今日はなぜか気に障る。そのことをそのまま親にぶつけてしまって、驚いた親が押さえつけにかかる。押さえつけられれば抵抗してしまう。

そういう仕組みなのかもしれません。


若い時は、そういうことをいちいち検討する暇も余裕もなく、結局親子してわーーっと走り抜けてしまうのでしょう。あとから振り返って「ああ、あのときはこういうことだったのね」とわかるようなもので、でも渦中にいるときは、親の方も気づかないうちに変化していったりしているものなのです。


ところが、年をとってからその時期を迎えると、これが実にしんどいんです。

まあ、しんどいと思っているのは私だけかもしれないので、あくまでも個人的見解ということで読んでいただきたいんですが。

自分がまず、不安定になってきます。これからまだ見ぬ「老い」の世界へ足を踏み入れていかねばなりません。老眼になったり、白髪が増えたり、体型が変わったり、体調が安定しなかったり、体力がなくなったり、気力が続かなくなったり、世の中のすべてのことがむなしくなってきたり、イライラしたり。そんな状態がしばらく続くわけです。こんなこと、どれだけ頭でわかっていたって、実際にそういう状態になったらまったくお手上げですよ。だから薬を飲んだり、運動に励んだりするわけですけどね。

そんな、自分自身すら持て余しているような状況の中、子どもはまったなしに成長していくわけです。

女の子なら楽かというと実はそうでもなくて、逆に同性であるということがネックになったりもしますね。特に娘が自分と違うタイプの性格だったりすると、「何考えてんのかわかんない」ということが倍のストレスになることもあります。

そして、男の子の場合は、もっと大変。若い頃に育てたとしても男の子の育て方は難しいです。押さえつければつぶれてしまうし、放任すれば野放図になってしまうし。男子の習性として「人の顔色を見る、気配を読む」ということが苦手なため、ついいろんなことをやりすぎてしまったり、何度も同じ失敗を繰り返したりしてしまうんですよね。

そういったことに適宜対応していかなくてはならないんですが、時々疲れはててしまうんです。私だけなのかもしれませんが。

まさか、43で産んだときに、こんなことで苦労するとは予想だにしませんでしたよ。

周囲の人も、「年とってる分、余裕をもって子育てできるんじゃないの」なんて言ってて、まあ確かにそういう一面があることは否定しませんけど、現実に、肉体的にこんなに大変だとはほんとに思いませんでした。


息子は今7歳。まったくの入り口です。これから彼は徐々にギャングエイジに突入し、中学、高校と思春期の嵐に踏み込んでいくわけです。

果たして私に対応できるのだろうか。大変不安であります。


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虐待問題の報道に触れるたびに「父親はどうした。なぜ父親のことに触れないのだ」と怒りを覚えるのですが、そういう自分も、おのれの子育てについて考えるときほぼ、夫(つまり父親)について考えが及ばないことに気づきました。それはやはり、私が本当のところで夫をアテにしていないからなのかもしれません。

「やるときはやるよ」と根本で信頼していられればよかったのでしょうが、うちの夫も世間の大多数の父親たちと同じで、浅瀬でしか育児に関与していません。いざというときにどのくらい関わってくれるのか見当もつかないために、無意識に排除して考えているのかもしれない。

だとしたら、男性主体のマスメディアが父親に対して甘くなるのも無理ないかもしれませんねえ。たとえ暴力を振るっていたのが父親だとしても、責められるのは母親という構図が厳然としてありますからね。

ほんとに日本って、母親に対してものすごく冷たいくせに要求だけは過大なんだから。社会構造そのものが、わがままなマザコン息子って感じですプンプン