「君」や「僕」という言葉は、いったいいつ頃から使われたのだろう・・・


山口県で有名な思想家、吉田松陰(松下村塾を開塾した人)が最初とも言われている。


明治のはじめに「l貴殿」や「拙者」の言葉を使わずに「君」と「僕」という言葉を使った吉田松陰は

職業の上下もなくみんな同じ人間という考え方を持っていた人で多くの塾生達にもこの考えは

受け継がれていった。


司馬遼太郎さんの「役人道について」という論文(文芸春秋所蔵)のなかで、

桂小五郎(木戸孝允-1833~1877)は士分でありましたが、元来足軽身分とも言いがたかっ
た時期の伊藤俊輔(伊藤博文―1841~1909)に対して「君と僕とは対等である」として
上下の礼をとる必要がないといっていると書かれている。


つまり、君と僕という表現は、お互いが対等であり同志であることを意味していたわけである。
吉田松陰がつかった君と僕ということばにもそのような思想がふくまれていたにちがいない。


数年前に山口県の松下村塾に訪れたことがあったが、そんな松蔭の思想が生まれた場所は

海も近くとても良い場所でした。


萩など古い文化遺産の残る山口にまた訪れてみたいですね。


■吉田松陰の名言

位の在る所、志の存する所、

唯だ位に素して行ひて其の外を顧みず、

すなわち志喪わざるべきなりと。

自分の与えられている、役割と志をどう思うか。

今あるところで自分の出来ることをしよう。余計なことに気を向けずに。

それが自分の志を失わないでいることである・・・


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自分がいる場所で、自分の出来ることをする。出来るのにしてないことが

多いことに気がつく。やれることは、やらないといけない。


生きるということは、それが一番大切なのかもしれない。

(この場所でここで、何が出来るのか?考えてみよう。)