東京フィルメックス「渇き」パク・チャヌク監督トークイベント・レポ | ひょうたんからこまッ・Part2

東京フィルメックス「渇き」パク・チャヌク監督トークイベント・レポ

第10回東京フィルメックスクロージング作品「渇き」
上映後パク・チャヌク監督によるQ&A方式のトークイベント
11月29日(日)
会場:有楽町朝日ホール

イベントからすっかり時間が経過してしまいました。
いざレポを仕上げようと思ってメモを見れば字は汚い、
時間が経ちすぎて当日の記憶もかなり曖昧という状態ですが、
思い出せる部分だけでもメモから拾ってまとめてみることにします(^^:)

上映前に一旦舞台上に姿を見せてくれたパク・チャヌク監督。
挨拶と共にまずひと言、次のように語りました。

カラオケパク・チャヌク監督
東京フィルメックスは面白い映画祭と聞いていたので声がかかるのを待っていたが、
なかなか声がかからず、この場所に立つまで10年もかかってしまった。
(今までパク・チャヌク監督の作品が日本で公開される時期と
フィルメックス開催時期の
タイミングが合わなかったことが長らく招待を受けなかった理由)
やっと声をかけてもらったと思ったらクロージング作品だったので、
結局この映画祭に参加できたのは最終日。
今回の上映作品も観たい作品が多かったのだが、
(そういう訳でせっかくここに来ても)1本も観ることが出来ず残念だ。
次はうまく(作品公開の時期と映画祭の時期の)タイミングを合わせて、
オープニング上映で呼んでもらいたい。
そして、関係者の方にはぜひこのことを記憶に留めておいてもらいたい(笑
この作品はヴァンパイアものなので(当然)血と暴力のシーンがあるが、
同じ位ユーモラスなシーンも沢山あので緊張せず、笑えるところでは思いっきり笑って欲しい。
この作品は来年の2月に日本でも公開されるそうだが、
劇場公開に向けて(ここにいる人たちで)良い噂を広めて欲しいと思っている。

上映後は会場のファンとのQ&A形式でトークが進められました。
カラオケ質問者①女性
ソン・ガンホさんには10年前から注目していたが、
監督はこの作品のキャストをいつ、どの段階で決めたのか。

カラオケパク・チャヌク監督
この作品の構想は「JSA」の撮影中に浮かんだ。
その時真っ先に話を聞かせたのが撮影に参加していたソン・ガンホだった。
何となくその時点で主役は彼に決めていたような気がする。
彼に提案したわけでは無かったが、きっとそうなるだろうと思っていた。
だが最初に彼に話した時には、
「あまり面白そうじゃない」
と言われ周りからも、
「ヴァイパイアは美男子と決まっているのだから、ソン・ガンホは向かないよ。」
と止められたが、今考えてみたらなぜ彼を起用したのか自分でもよくわからない(笑。
彼とは酒飲み友達なので撮影で一緒にいれば、
誘わなくてもすぐに酒が飲めるから起用したのかな(笑。

カラオケ質問者②男性
この作品を楽しみにしていたが期待以上の出来だった。
監督自身は吸血鬼ものは好きか。お気に入りの映画があるのか。

カラオケパク・チャヌク監督
特に吸血鬼ものが好きなわけではない。
ホラーも好きではない。(意外!)
実は小心者なのでホラーはあまり観ない方だと思う。
もともとはヴァンパイア映画を作ろうと思ったわけでは無かった。
主人公の神父に、強い誘惑と堕落の機会が与えられたらどうなるだろう。
・・・・と言うところから発展して、
キリスト教の神父は聖餐式でイエスの血とされるぶどう酒を飲むが、
ぶどう酒ではなく本物の血を飲まなくてはならなくなったら、
彼はどのような苦悩を抱えるのか。
イエスの血は救済のために流されたが、
彼は生存のために血を飲まなくてはならない、
その苦痛を描いてみようと構想が膨らんだ。
神父がヴァンパイアになるという映画も今まであまり無かったし、
興味深いと思った。
実は子どもの頃体験したキリスト教の聖餐式で、
イエスの肉としてパン(聖餅)を頂き、
イエスの血としてぶどう酒を飲むことが不思議でならなかった。
それらの思いが積み重なりこの映画が出来た。
好きなヴァンパイア映画はジョージ・A・ロメロ(George Andrew Romero)監督の作品。
実は、アメリカのインタビューで話したことがある、
ロメロ作品のプロデューサーから最近貰った手紙に、
「渇き」が良かったと褒められていて感激している所だ。

カラオケ質問者③女性
2度目の鑑賞だが今回も圧倒された。
最後に死を決意した神父が彼を聖者として崇拝する集団のキャンプで、
「ある行為」に及ぶが(物語の重要なシーンなので詳しい描写は避けます)
神父が死を前にして最後に望んだ行為が、
「(人間の本能でもある)それ」だったと言う事なのか?

カラオケパク・チャヌク監督
(そのように受け取られたとするなら)演出を間違えたかな?
それは違う、そのような結論を描いたつもりは無い。
彼はあの時あの場所で、「あのような恥ずべき行為に及んだが
あれは全て彼の「演技」だった。
神父を聖者として崇めている人々に、
それは間違った信仰であることを教えるための彼なりの精一杯「演技」だったのだ。
聖職者としてそのような汚名を被ることは、彼にとって死よりも辛いことだったが、
「自分が堕落した惨めな姿」を彼らに見せることによって、
信者の目を覚まそうとした彼の行為は死を前にした殉教者としての崇高な行動だった。
(注:私も監督の意志は充分読み取れました。
最後に背後に信者たちからの罵声を受けながらその場を立ち去る
神父の表情に一瞬表れた悟りを開いたような悲しく穏やかな微笑が、
何よりも「彼の意思」を表していたように感じました。)
実はマスコミ向けの最初の試写の後、
あのシーンでのソン・ガンホさんの「行為」ばかりがセンセーショナルに
マスコミに取り上げられ話題になり驚き困惑した(笑。

カラオケ質問者④女性
お会いできて光栄に思う。
監督の作品は女優の着ている衣装がいつも素敵だが、
ラスト近くでテジュが着ているドレスの色の「青」は何かの象徴か。

カラオケパク・チャヌク監督
血の「赤」との対比と言う意味も有るし、
テジュがヴァンパイアの初心者だった頃、
昼の間彼女が閉じ込められていた部屋が壁も床も真っ白だったので、
その部屋に映える色が「青」だったことも理由のひとつ。
テジュを演じたキム・オクビンには、
イザベル・アジャーニ主演映画『ポゼッション』を見てもらった。
最近の韓国では押さえた演技を良しとする傾向があるが、
作品によっては感情を爆発させるような強い表現も必要と知ってもらう為だ。
また彼女の「メイクコンセプト」は、普段は蒼白だが、
血を吸うと血色がよくなり顔色も回復するようにした。
ラスト近くのシーンでテジュは吸血行為に及ぶ。
その結果血色が良くなり頬が少し赤らむのだが、
その時の表情を際立たせる効果も「ドレスの青い色」にはあったと思う。

カラオケ質問者⑤女性
映画はとても面白かった。
ソン・ガンホの演技に、人間としても神父としても、
他人の血を吸って生きなくてはならない苦悩を感じた。
最後の「靴」に象徴されたシーン(物語の重要なシーンなので詳しい描写は避けます)に、
自分は「愛」を感じたがそのあたりについての監督の考えを聞かせて欲しい。

カラオケパク・チャヌク監督
テジュはファム・ファタールの機能を持っており、
神父と彼女の関係はひとつのフィルム・ノワールと言える。
そして今までの傾向としては、
ファムファタールに「愛情」があったかどうか疑問を残したものに、
素晴らしい作品が多かったかと思う。
自分も最終的にはその部分を曖昧にするつもりだったが、
撮影を進めるうちに彼女の「愛」の部分も表現してみようと思い始めた。
テジュの神父への「愛」が存在したことを示すシーンが作品中にいくつかあある。
「靴」のシーンの他に、ラスト近くの海辺の「車のトランク」のシーンなどにも、
それは表現されていると思う。

カラオケ質問者⑥女性
「JSA」から監督の作品のファンなので、お会いできてドキドキしている。
キム・へスクさんが演じた姑役だが、
息子を溺愛しよくしゃべる韓国の母の象徴
のような彼女が、
途中から言葉を無くしていくのは意図的な設定なのか。

カラオケパク・チャヌク監督
彼女の果たす役割については、
フランスの小説「テレーズ・ラカン」(エミール・ゾラ著)の影響を受けている。
彼女のような人物を登場させた理由は『親切なクムジャさん』(2005年作品)
とも共通しているのだが、この作品でも、
「起きていることを客観的に観察する人」を1人登場させたいと思った。
『親切なクムジャさん』では、
主人公のクムジャさんは途中から復讐の実行を複数の人間に任せ、
本人は身を引きその復讐を見物する方に回るのだが、
その構図と似た位置づけの存在がこの姑だ。
この作品の構想は10年前に湧いたが、
その時に頭の中にあったのは、以下の2つのシークエンスのみだった。
①聖職者である神父がヴァンパイアへと変貌していく。
②女性と出会い、愛し、殺し、そして彼女もヴァンパイアに変えてしまう
神父は愛する女性を自ら殺した事実を知り驚き後悔し、
悲しくて泣きながらも血を吸いたいという誘惑に負けてしまう・・・。
実は当初は、
「血を吸っている自分の獣のような姿を鏡の中に見て、
神父は彼女を復活させようと思う」
と言うアイデアが浮かんだのだが、
その状況で「鏡を見る」と言う設定が陳腐で気に入らなかった。
そこで姑の「目」「鏡」の役割をさせようと思いついた。
その時には「道が開かれた」ように感じた。
この作品における「姑の目」の役割は、
神父を見守る、
①神の「目」の代わりであり、
②観客の「目」であり、
③「鏡」の役割であり、
④神父自身が客観的に自分を見る「目」であった。
姑は最後の最後まで「ふたり」の様子をじっと見ているが、
普通の人間にとっては祝福の意味がある太陽の日差しが、
或る人々にとっては殺人と同じ意味を持つ・・・、
そのことを冷徹に見据える彼女の「目」こそが、
審判であり処刑の意味を持つことになるのだ。

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公式サイトにも書かれていますが、
カトリックの家庭に育ち「いつかは神父を主役にした作品を作るのではと予感していた」
と言うパク・チャヌク監督の独自の宗教観で描かれた『渇き』
宗教的な部分も含めその受け取り方は様々だと思います。
「血」の描写もかなりなものなので、好みも分かれることと思いますが、
私はラストシーンに切ない「愛」の姿を見ました。
堕ちて行くふたりを見守る「女」の渇いた視線が
枯れた世界を上手く表現していたように思います。
『渇き』は2010年2月、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館で公開予定です。

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