数式のナカノ文学。 | ひょうたんからこまッ・Part2

数式のナカノ文学。

久々にめぐり逢ったしみじみと良い作品。
ここ半年に観た映画の中での
マイベストになるかもしれない。

「博士の愛した数式。」
(ネタバレ含む)

とにかく、映画の好みのツボを押さえられてしまった。
映像、演技、そしてストーリーの全てのツボを。
学生時代一番の苦手科目であった数学が、
こんなにも愛しく思えるなんて。


ただ堅いだけの学問・・・・・。
すっぱりと割り切れて情緒の余地もなく、
文学とは対極にある学問・・・・・。
学生時代、苦手だったが故に数学と言う学問を
そのようにマイナス評価した。
嫌う理由を勝手にこじつけて、学ぶ事を永遠に放棄した数学
それが、文学と対極に位置するどころか
最も文学的で、詩的でさえあったとは!
数学的にはとことんオンチな私には、
劇中に出てくる数式の全てが芸術に見えてしまった。
「友愛数」なんて、素敵な響きだろう
この数字の魅力にもっと早く気が付いていれば・・・、
数式の魔力のとりこになっていたかもしれないのに。
興味深い学問への入り口すらも探そうとしなかった
過去の自分の浅はかさが悔やまれる。
(そして、できればこんな先生にめぐり逢いたかったなあ。)

博士の「80分しか保たれない記憶」を掌る脳から産み出される
数式と言葉の積み木は、他人にはまるで
毎日同じ石を積んでは壊されていく賽の河原での行為のように
空しい繰り返しに見えるかもしれない。
何人も入れ替わり立ち替わりやって来ては去っていったと言う
それまでの博士の家政婦たちにとっては、多分そうだったに違いない。
しかし、新たにやってきた家政婦親子には、
博士の言葉の魔術にかけられバレリーナのように活き活きと
踊り出す数字が、数式が見えた。
それらが小説や詩よりも文学的な魅力を持って
輝きだすのが見えたのだった。
博士の数学への愛は見える人によって見つけられ、
高められるのである。

博士との日々は、同じ言葉の繰り返しから始まる一日であっても、
その日その日で新たな発見発展がある。
それは同じ数字の羅列の中に新たな数式を見つけるのと同じ。
博士との恋に、かつては身を焦がし、
と言う負の過去から逃れ出せずにいた老婦人も
この親子との関わりによって
ゼロ)からの再出発を果たす事が出来た。

博士によって(ルート)と言うニックネームを付けられた少年は、
博士も予期しないままに素晴らしい融和剤の役目を果たし、
大人たちの生活をからへと変えていったのだった。
そしてと同じ性質そのままに成長し
周りのもの全てを許容し包容する優しい青年に育った。
こうして、博士の蒔いた優しいは確実に実を結び、
数学と言う学問の楽しさを、教え子達と共有できる青年教師が育った。
きっとこの教師の蒔いたからも
連綿と実りのは生まれ続けるだろう。
良い指導者に恵まれる事の幸運をつくづく思う。

博士役の寺尾聰、家政婦役の深津絵里子役の斎藤隆盛
先生役の吉岡秀隆、義姉役の浅丘ルリ子
全ての俳優が好演している。
特に吉岡の子ども役を演じて、容貌が激似の斎藤には驚いた。
「北の国から」のジュンを思い出すほど。
また、こういう透明な色の役を演じる時の吉岡は秀逸である。
そして特別出演(協力?)の野球関係者の方々にも敬意を表したい。

毎日同じように繰り返される優しい時間の中で語られる美しい数式と、
静かに流れる愛の物語に素直に感動した2時間だった。
記憶障害がモチーフになっていることから
「私の頭の中の消しゴム」 と同列の作品を予想していたのだが、
良い意味で裏切られる内容だったのもうれしい。
ぜひ原作も読んでみたい。(とか言いながら読まなくてはならない本が山積み。)

 





 

 

博士の愛した数式
新潮社

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