不思議と、子ども達は、恐竜が好きです。
恐いもの見たさなのか、恐竜の写真なんかを見ていると、ずいぶんに、楽しそう。
きっと、私たちの祖先の恐竜に対する恐怖や、警戒や、またまた逃げ切れた時の歓喜みたいなものも含めて、それらが私たちの遺伝子に組み込まれているからでしょうか。
(国立博物館の大恐竜博、私も恐竜が大好きなものですので、昔、行きました。ネットから画像おかりしました。ありがとうございます。)
これまで『トイ・ストーリー』や『モンスターズ・インク』、『ファインディング・ニモ』を手掛けてきたディズニー/ピクサー。どれも、素晴しい映画でしたが。
“もしも、隕石が地球に衝突せず、恐竜が絶滅をまぬがれていたら?”というアイデアから生まれた、かつてない壮大なスケールで描かれる驚きの世界を描いた作品でした。
絶滅をまぬがれ、文明と言葉をもつ恐竜たちが、言葉をもたない人間たちと共存する地球。そこで、体は大きいが臆病で甘えん坊の恐竜アーロと言葉を持たない一人ぼっちの少年スポットが出会う。
壮大な自然を舞台に、見た目も性格も正反対な2人の出会いから始まるアドベンチャーが、世界中をいまだかつてない感動と興奮で包み込むと、宣伝にありました。
◎新しいクリップ
更新しました。・・・こちらのほうが、良いと思いました。
実は、こんな発見が最近ありました。。。。。。。。。
数ヶ月前に、テレビで、たまたま、見たのですが、40億年進化の旅。NHKでしたが、
「考える恐竜」というテーマでした。ダスプレトザウルスのような形の「トロオドン」と言うそうですが。 鳥みたいな恐竜です。
彼らも、かなり大きな脳を持っていたらしいです。
考える・・・・・えっ、恐竜が考える?? と、何の事かと最初は思いましたが、アメリカオハイオ州の、デール・ラッセル博士によりますと、恐竜の大きさやら、脳の重さやら、さまざまなる
恐竜の研究により、6550年前に、鳥形の恐竜の、子孫なのか、私はよく知りませんが、ジュラ紀の生物、ほ乳類がでてきて、・・・ハドロコディウム・・彼らは、はっきりと、
◎敵の姿を人の目のように見ていた
◎ヒゲで、敵が大地を踏みつける大地の震えなどを認識、感覚的につかみ
◎耳で、敵の足音をはっきり聞き分けていた
らしいです。
ざっと、キタナイ字で、紙にメモしたものですから、間違いがあるかもしれませんが。
恐竜は、昼活動しますので、彼らがいなくなる夜に、 こそこそと、活動していたのでしょう。
彼らの脳は、資料には、このようにあります。
約2億年前、祖先が獲得した「新しい脳」によって覚醒されたものである。人間の脳は計算や読書、会話などそれぞれ脳の役割の場所が異なり、それは「大脳新皮質」と呼ばれている。これを発見したのはアメリカ・シカゴにあるシカゴ大学の羅哲西教授で、最も古い哺乳類の化石の1つから「大脳新皮質」が確認されたと明かされた。羅氏は、恐竜について2億年前に生息した初期の哺乳類「ハドロコディウム」と語った。わずか1cmの頭蓋骨から復元された姿は体長3cm、指にのるほど小さな哺乳類だったと紹介。CTスキャナーで分析した結果、頭蓋骨の内部に「大脳新皮質」が確認、これが新しい脳の始まりである。羅氏は、確認した時について大躍進だったと語っていた。
「大脳新皮質」は何をもたらしたのか?
というわけで。
この、「アーロと少年」は、あながち、ただの空想ではなくて、ちょっとした進化の掛け違いや、小惑星の衝突の位置やタイミングがずれていれば、・・・・・・・
このような世界になっていたのかもしれません。・・・
この「小惑星」の地球への衝突。
これをテーマにした映画は、これまで、アルマゲドンや、ディープ・インパクトをはじめとして、たくさんありますが、
私が一番好きなのは、「メランコリア」です。
圧倒的な映像。圧倒的な音楽。圧倒的な演技。
個人的なフェボリットのひとつ。
アルマゲドンや、ディープ・インパクトなどのような、娯楽の要素はかなり少なく。
最初から最後まで、監督の美意識が、深刻な緊張感のまま続行していきます。
救いがないといえば、救いのない映画ですが、
もっと今のこの人生をしっかりと大切にせねば、と感じさせてくれる、傑作だと思います。
監督は、「ダンサーインザダーク」のラース・フォン・トリアー。
デンマーク映画ここにあり、と、世界に発信したひとりです。
このビョークの映画は、独特の映像と、カメラワークで実に印象に強く残っています。
恐竜をも滅ぼしたとされる、小惑星の地球への衝突。
過去幾度となく、ぶつかったらしいですが、
先月でしたか、小さな惑星が、地球とすれちがって話題になりました。
・・・・・・・・・
映画はまとめて、見る時間がなかなか、とれませんので、細切れ視聴しております。
だいたい、一日に、長くても30分。短い時は、10分くらいで、きりあげます。
もちろん、クライマックスにはいると、一気に見てしまいますが、それまでは、
のんびりと、原作を書架からとりだして、少し眺めてみたり、資料を見たり、
見た時のさまざまなる空気を思い出すようにしております。
新作は別として、昔の作品を再視聴することが圧倒的に多いです。
個人的には、今の新作は、10作中、感動するのは、1作。
かつての名作は、(時間が摩擦をかけていますので、当たり前ではありますが)、10作中、10作が、そのまま感動の渦に巻き込んでくれます。これは時間がない私にとっては、ありがたいと思います。
本や音楽も同じですね。
新作は、どうもあたりはずれが、多すぎて、時間がもったいないと考えてしまいます。
個人的に好きな作家は、駄作であろうと、なんであろうと、自分の金で買って、大切に読むということはいつも同じですが。
さて「メランコリア」
商売だけのシネマではなく、台詞などや、俳優の振り付けや、演技などなど、監督の独特の、
采配が興味深いです。
特に、音楽の使い方。
ワーグナー。
私もブック・オフで、安くレコードを手に入れましたが、トリスタンとイゾルテでしたか、
聞く人の耳にこびりついて離れませんね。
三島由紀夫氏やら、宮崎駿氏もまたファンでしたが。猛烈にたまに聞きたくなります。
この映画のなかで、川の中を静かに、遺体のようにして流れていく花嫁。
まるで西洋の名画のようでした。
私は、漫画から普通、愛と希望をもらっているし、小説や俳句や詩からは日本語の言葉の味を楽しみ、西洋のそれとの比較をさらに楽しみ、音楽からは魂の充電をさせていただいています。
「メランコリア」
総合芸術とよく言われますが、漫画や小説やオリジナルシナリオから、たちあがって、音楽やら言葉やら舞踊やらカメラワークやら、たくさんの人達が集まっては、ひとつの美をつくりあげります。
映画から血を吸ってほしい、芸術の血、心の血を吸ってほしい。淀川長治さんの言葉が耳元によみがえります。
「メランコリア」
この題名が、また実に美しい。
題名に惹かれて、見てしまいましたが。
内容は、地球最後の日々。
というわけで、ストーリーがどうたらというよりも、監督やその仲間たちが、この究極の日々をどうカメラに収めるのかということが興味あり。
まったくの脳と心をリセットして、まっさらで、見ました。
ネットで情報を見たのは、見たあと。
賛美と失望の半々。
なんといっても、ワーグナーのトリスタンとイゾルデでしたか。
デンマーク映画なのに。
三島由紀夫氏やら、澁澤龍彦氏が生きていたら喜びそうなカット満載。
そして三島由紀夫氏の好きなワグナー。この曲は「憂国」で使用されていたような記憶ありましたが、はっきり覚えておりません。おそらく、そうだったでしょうか。
しかし、それにしても、存在感のある女優。
きれいなだけの最近の女達とはひと味もふた味も違う。
お姉さん役もまた良かったが。
この映画が、ふたりの女性の名前で、ふたつに分けられているのも私の好みです。
ジャスティン
クレア
そして、男の子のあどけなさが、心に残る。
映画「渚にて」のように、家族が死についていろいろ考えるシーン。
ここは、どのような死に方が良いかどうかという問題はさておき、ジャスティンのような鬱病の患者が、魔法のシェルターを子供のためにつくるというのもなかなか。
映画のアイディアは、鬱病に苦しんでいた頃のラース・フォン・トリアーが出席したセラピー・セッションから来ている。セラピストは、鬱病の人々は先に悪いことが起こると予想し、強いプレッシャーの下でもっと冷静に他のものよりも行動する傾向があることをトリアーに伝えていた。
と、資料にはあるけれども、ラース・フォン・トリアー監督。
さすがに、あのビョークを撮った監督。
あの映画もまた心に不思議に残像がいつまでも残る映画でしたが。
冷たく、不安で、まさにメランコリアな画像をとりあげた。
こんな映画があってもいいでしょう。
人に勇気も希望もあたえない代わりに、美的感銘を少しだけ差し出すという映画。
心の病にかかる人に、少し特権を与えるような不思議な映像。
この救いのまったくない映画を見て、元気が出たというレヴューを見て、人間てなんと多様性があり、複雑でまた、おもしろい生物だなあと再認識。
私の好み。
あの、「惑星ソラリス」をこの監督はきっと好きに違いない。
重厚なクラシックにのせての、ブリューゲルの絵。これまったく同じ絵。
あとは、ラファエロ前派も好きに違いない。
水の中をながれていく花嫁。これは「オフェーリア」からイメージをきっと、とったのだろうと思う。
同じイメージ。
「盲目の少女」の絵もふとこの映画に重なる。
黒い馬が実に、「メランコリア」という映画には合う。
さて、「アーロと少年」
ピクサーは、ディズニーの完全子会社。
ディズニーといえば、私の小さな頃を、反射神経的に、思い出してしまいます。
最近、小学生が、大麻を吸っていたという事件がありましたが。
わたしなどは、その頃は、幻の雑誌「C0M」を発見した頃で、手塚治虫の「火の鳥」やら、石森章太郎の「jun」や、長島慎二の「青春残酷物語」などに、夢中になっていた頃でしたので、大麻などと聞くと、驚愕しました。ジュン 4: 石ノ森章太郎のFANTASY JUN/ポット出版
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この麻薬の子ども。 なんという、老成。
もはや、子どもとは言えません。
渋沢竜彦氏に、「黄金時代」という書物がありますが、子ども時代というのは、できれば、自然の中で、自由に遊び、家族に愛された「黄金時代」であってもらいたいです。澁澤龍彦全集〈10〉 澁澤龍彦集成 7,妖人奇人館,暗黒のメルヘン,黄金時代,補遺/河出書房新社
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というわけで、小さな頃のことを、考えていましたが、私は、小学校の低学年の頃は、大きくなったら、「漫画家」か「科学者」になりたいと考えていました。
「科学者」と言っても、「鉄腕アトム」のお茶の水博士が大好きだっただけですから、要は、「漫画」に夢中の頃。
その頃。私は、おんぼろ官舎に住んでいて、当時は、まだテレビを持っている家庭がほとんどいない時でした。
「プロレス」や、「ナショナル・キッド」なんかが、始まる時間になると、テレビを持っているところに、その他のみんなが、官舎ですから、集まってきます。
テレビのある家庭の奥様が、数十人も集まって、もう部屋がいっぱいになったころに、お茶を出したり、かりんとうを子ども達に包んだりしたあと、おもむろに、テレビの上にかけられた布をしずかに、あげて、テレビのスイッチを入れると、二三分すると、真空管のテレビでしたから、しだいに、画面がでてきました。
拍手をしたり、笑ったり、大騒ぎで、テレビは見たものです。
プロレスなんかの時は、親が真剣にみていましたが、子ども他は、子ども達で、違う部屋で漫画を見せてもらったり、いろいろと遊びをしていました。
そんな頃でしたから。
やっと、我が家にも、テレビが入って、自分たちだけで、テレビを見る事ができるようになって。
たしか、平日の八時頃から、週にひとつだけ、親から許可してもらったテレビ番組のことを今でも、はっきりと覚えています。
もう、妹と、夢中で見ていました!!!!!
「デイズニーの映画」の時間でした。
今でも、感激のあまり、夜もねれないくらい興奮した映画があります。
「ファンタジア」です。
おそらくこの番組を、宮崎駿氏は、20歳頃に見たのだと思う。
手塚治虫さんは宮崎さんよりも、ひとまわり上なので、おそらく30歳の頃に、見たはず。
クラシック音楽なるものを生まれて初めてきいたのもこの映画がはじめて。
北海道の片田舎、岩見沢市。
クラシックの演奏する場所など札幌に行ってもなかった筈。
jazz喫茶や、クラシック喫茶ができてくるのは、この時から10年後だし。
レコード屋に行っても、たいしたものはなかった時代。しかも、おそろしくレコードは
当時高かった。
私の小遣いは、小学生の頃は、たしか、50円から100円くらいだったと思う。
少年サンデーやマガジンやキングを二冊買えば、もうそれで一ヶ月はおしまい。
だから、レコードの1000円というのは、とてもとても子供に買える値段ではない。
それに、宿舎にすんでいる貧乏なる数十人の仲間のなかに、レコードプレイヤーを持っている人など誰もいなかった。
テレビですら、まだ宿舎の中で持っているのは、半分くらいだったと記憶している。
私が、好きなレコードをコレクションしはじめたのは、就職して、自分の給料で少しずつ買えるようになっていった、23歳頃からだった。
そんなわけで、この映画には、自分なりの思い出がぎっしりつまっている。
大学生になって、バイトの金にて、ひとりで、横浜の大きなスクリーンでゆっくり見たことも また忘れられない思い出。
「ファンタジア」、ディズニーの最大の傑作だと思う。
この頃に、見た感動が、今の映画好き、漫画好きな私をつくりあげたんだなあ、と思います。
それに、当時、外国人なんかが、外を歩いているのを見た事がありませんし。
ウォルト・ディズニーが、最初でてきて、物語やその他いろいろなことを話しているのを見ていて、不思議で、ものすごく、ひきこまれたことを覚えています。
基本、クラシックが使われていて、今見ても、大人でも楽しめるアニメなのですが、
私は、特に、「神話」のシーンと、デュカの「魔法使いの弟子」のシーンが、強烈に、印象に残っています。
妖精。
禿げ山の一夜。恐ろしい巨大なる神々、悪魔、天使。
ギリシアの神々。雷を手でつかんでなげるなんて!!!
擬人化された自然の草木樹々キノコたち。
・・・・・・・
今のように、DVDもありませんし、岩見沢市には、恐らくこのファンタジアは来ませんでしたので、私の心に残ったこの名作のシーンの断片などは、いつも頭のすみにあって、いつか、また見たいなと、思っていたものです。
そして。
大学のある、横浜の猿渡という場所にアパートに住み始めた頃。18歳の頃。
ついに、横浜にこの「ファンタジア」が来る事になり、私は、菅田町の猿渡から、バスに乗る金も節約して、歩きで、横浜まで行きました。
たしか、はっきり覚えていませんが、片道2時間くらいはかかっていたと思います。
往復4時間もかけて、この「ファンタジア」をひとり、暗がりのなかで、見た、興奮と、幸福。
今でも、忘れられない、強烈な、青春の思い出。
この「魔法使いの弟子」のシーンが、再度、見る事ができたなんて!!!!
(氾濫をおこした、ほうき達が、ズンズンと、歩き始めるシーン、なんと恐ろしい)
ところで、ディズニーと、手塚治虫は、一度あったことがあったらしいですが、多忙なディズニーが、ちょっと、彼に会いに来た手塚に、挨拶をしただけで、行ってしまったらしいです。(手塚治虫は大のディズニーファン。彼の夢は、母親がノートの端に、ぱらぱら漫画を書いてくれていたことが影響だと思うのですが、漫画だけではなく、アニメシーョンでしたから・・)
「鉄腕アトム」の作者と、おそらく、知らなかったんではないでしょうかね。
それに、宮崎駿。
ディズニー亡き後の、ディズニープロ。
日本でも、大ヒットした、『アナと雪の女王』 ただいま、2も大ヒットですね。
ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ。トップのジョン・ラセターは、ピクサー時代からヒット作を連発する "生きる伝説" のような人物です。
ジョン・ラセターは、ピクサー、ディズニー、ディズニートゥーンの3つのアニメーションスタジオのチーフ・クリエイティブ・オフィサー。
ディズニーアニメーションのトップは、大の日本好き。
特にスタジオジブリは、『トイ・ストーリー』シリーズや『ファインディング・ニモ』を生みだしたピクサーと、会社ぐるみの付き合いをしているほど。
(宮崎駿氏のスタジオジブリで、働いていた女性と、知り合いだったので、よく聞いたのは、座業のせいで、いつも腰が痛いと言っていました。漫画家、そして、アニメのスタッフたちの、仕事環境は劣悪です。なんとかならないでしょうか。 国も、アニメなどを日本の文化として、世界に発信していこうと、本気で思うのならば、まずは、職場環境を変えて行かないと・・・・漫画家やアニメの関係している人は皆短命です。まずは、漫画・comicが、フランスのように、artなんだという世間の意識が、必須です。)
その、ラセターの人生を変えた映画は宮崎駿監督作品『ルパン三世 カリオストロの城』
『ルパン三世』(ルパンさんせい)は、漫画家モンキー・パンチ原作のアニメ『ルパン三世』のTV第4シリーズ。日本では2015年10月2日から放送中していますね。
この「ルパン三世」の不二子ちゃん。
私の敬愛するマンディアルグの「オートバイ」のマリアンヌを参考にしています。
けっこう、昔の映画ですし、
もう、レンタル屋にもありません。
「あの胸にもういちど」
マンディアルグが原作ですから、かなり芸術至上主義的な作品ですから、映画も、独特の香りと、
雰囲気があって、私にはたまらない魅力を感じさせた映画のひとつです。
(マンデイアルグの傑作の「満潮」もまた、仏蘭西映画になっていて、私はいつも探していましたが、やっと最近見つけました。)
そして、この峰不二子のイメージの原型ともいえる、マリアンヌ・フェスフル。
なつかしき女優。
私も、この小説の現代「オートバイ」も、今でも愛読していますし、映画の「あの胸にもういちど」も何回も見ました。
フランス映画は、少し不条理だから、嫌いという人も多いですが、フランス映画はそこがいいのです。
合理的で、わかりやすいハリウッド映画だけではなく、是非、フランス映画の魅惑も、あじわってもらいたいものです。
マンディアルグ 「オートバイ」
「あたしの恋人の中には虎と神がいっしょに住まっている」 レベッカ
よく友人と会話する時に、最近の映画について、「同じ2000円だすのなら、何回も、いつでも、繰り返し楽しめる本の勝ちだな」と、映画よりも本の方がいいと言う意見が多い。
私もそう思う。
しかしながら。
映画の楽しみというのは、私は、物語や描写は当然として、出演者の「存在感」だと思っています。
だから、人間に味がまだ個性というものがあった60.70年代の女優・男優の出ているシネマについては、まだまだ語るところがあう・・・・
マリアンヌ・フェイスフル。
もと、ミック・ジャガーの恋人。
フランス映画が、大好きだった当時の私は、シルヴィ・バルタンや、ヴィリジット・バルドーや、ジェーン・フォンダなどにも、10代だった私は当然ひかれていくが、このマリアンヌ・フェイスフルの「あの胸にもう一度」は強烈に私にインスピレーションをもたらしてくれました。
こつこつ、澁澤龍彦や三島由紀夫や吉行淳之介を辞書を片手に、調べていく読書にあけくれていた私は、この奔放で気ままで、猫のようになげやりな本能のままに生きる彼女を見て、驚愕し、女性にはかなわないと思った。
映画は、二時間の夢だ、と思う。
映画館から出れば、日差しが強くて目が痛くなるように、退屈で何も起こらない現実がその当時は待っていたが、その二時間だけは、快楽に身をゆだねることができる。
スターはスターであってもらいたい。
このことはしかしすごいむずかしいことだとは思う。
日本ではあれば、吉永小百合や山口百恵を思いだすが、「なりきる」ことに昔の俳優は自分をかけた。
そこが彼らが色あせない理由だろう。
ちなみに、ルパン三世の峰不二子の、オートバイにまたがる「いい女」のイメージはマリアンヌを参考にしたらしいですね。
そしてまた、この映画とはまったく別の世界と私は考えています。
原作本のマンディアルグの「オートパイ」は敬愛するあまり三冊も同じ本を持っていいます。白水社版が二冊と、Uブックスが一冊。
緻密でこだわりのある文体のそれはまるでワタリガニのスパゲッティのように独特の香りが病み付きになる魅力を持っている本です。
「けっこう、珈琲もミルクもいらないわ。食べ物もいいわ。桜桃酒をちょうだい」 レベッカ
<マリアンヌの I'd Like To Dial Your Number 彼女は歌が上手いとは思わないが、ジリオラ・チンクェッティのような震える節回しが特徴で ファニーな彼女の魅力がよくでています>
ところで、恐竜。・・・・・・
美女は、いつでも、恐竜とか、キングコングとか、ぴったり似合います。
「恐竜100万年」の美女。ラクウェル・ウェルチ
「キングコング」の美女。ナオミ・ワッツ
モスラの、ピーナッツ姉妹。
あと。
ディズニー。「美女と野獣」
フランスドイツ映画「美女と野獣」というのも、ありました。
最後に、資料として、日本では子ども達に、大人気の「ジュラシック・パーク」シリーズの四作をアップしていますが、
個人的には、恐竜と美女の描き方。
そして、恐竜と恐竜の戦い。
不思議な昆虫のイメージなどなど、スピルバーグに対抗意識を持っているせいか、
個人的には、圧倒的に、こちらの映画が好きです。
「キングコング」
ナオミワッツは、父親のピーター・ワッツはピンク・フロイドのサウンド・エンジニアです。
私が一番すきな戦いのシーン。美女と野獣
「ジュラシック・パーク」などの四作と比較しても、負けず劣らず、いや、
もっと緊迫感覚のある、すさまじい映像になつています。
ご覧になった方も多いと思いますが、ジュラシックパークなどと比較しても興味深いと思われます。
監督の、ビーター・ジャクソンも、「ロードオブザリング」の監督ですから、さすがだと思います。第九地区というSF映画も好きでした。不思議と残っています。監督も知らずに見ていましたが。
良い監督を選んで良い映画をみてください。と、淀川さんの言葉をいつも思い出すのですが、レンタル屋に行くと、もう、わくわくして、そのことを忘れてしまいます。
いつも、女優さんの写真で選んでしまいます。
ナオミ・ワッツの美しさ、この「キングコング」でも光っていました。
バードマンでも、でていたらしいですね。まだ見ていませんが。
Birdman'
「the impassible」でも、また。
それでは、最後に、この美しき美女、ナオミ・ワッツとキング・コングのシネマの
懐かしきシーンを再試聴して、・・・・・・・・・・・・・
私は、キング・コングの洞穴で、ひとり、ナオミ・ワッツが、静かに風景を見ているシーン。実際にはそんなことはないのでしょうが、実に美しいシーンだな、と今でもはっきり覚えています。
2017年には、「キングコング」のあらたな新作が予定されています。楽しみです。
『コング:スカル・アイランド(原題)』(2017)[編集]
アメリカ映画。シリーズのスピンオフにあたる作品。ドクロ島を舞台に、コングの起源を描く予定。制作はレジェンダリー・ピクチャーズ。なお、配給は当初ユニバーサルが行う予定だったが、ワーナーブラザーズに変更された[2]。また、同社の作成した『GODZILLA ゴジラ』と世界観を統合し、将来的にはゴジラとキングコングの対決も視野に入れているという。監督はジョー・コーニッシュを候補としていたが[3]、ジョーダン・ヴォクト=ロバーツが起用された[4]。脚本はマックス・ボレスタインが担当。主演は、トム・ヒドルストンを予定している。
「 いい映画を何回も見る事が大切です。」 淀川長治。
FIN