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この人の本は、おもしろいです。
客観の極地の科学分析から人間の弱点にもなってきている「必死さ」の欠如。
そして、逆にだからこその「愛」と同義の人の存在価値。
進化と人間行動/長谷川 寿一
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オスとメス=性の不思議 (講談社現代新書)/長谷川 真理子
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科学の目、科学のこころ (岩波新書)/長谷川 真理子
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生き物をめぐる4つの「なぜ」 (集英社新書)/長谷川 眞理子
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五木寛之ではありませんが、人生に目的などないでしょう。
それぞれ、仕事の目的や、家庭の夢や、個人のやりたいことなど、たくさんの、
目的はあるでしょうが、人生そのものには、目的などはありません。
もちろん。
昨日ブログでも描きましたが、自分の大好きで大好きでやっていることが、多少、他人様の喜びにつながり、
そして、少しは、お金をいただくことができる、これは素晴らしいことですね。
でも、人生そのものには、目的なんかはありません。
人生は、生き抜くことだけです。
フロイトでしたか、記憶にはっきりしていませんが、
「本能の拒否こそが文化だ」と描きました。
それは当然そうでしょうし、ご飯を食べる時に、「本能まるだし」で、
手は洗わない、音をたてて、みそ汁はすする、がつがつ、動物のように食する・・・
それでは、誰からも、相手にはされません。
ただ、今の現代人は、その「本能の拒否」がいきすぎて、
なんでもかんでも、ただ文化的であれば、いいのだという・・・
それは違いますね。
システム的に、一日に、三回、定時刻に、いつものように食をとる。
こんなことをしていたら、体と魂は、弱っていく事はまちがいありません。
腹に聞け!!!!!!
おなかが減ったら、食は、ほんとうに美味い!!!!
(食べたくないときには、おなかの声を聞いて、無理して食べない。・・・・・)
今日、皿洗いをしていると、台所に、アリが数匹。
シロアリではありません。
私は、無意識に、アリをクエン酸の入っている流しのたらいのなかに、アリを落としてしまう。
アリは、数秒で、即死です。
アリも必死に、生きているのですね。
カール・セーガンの本に、確か、ありました。アリではなく、蠅ですが・・・
ちいさな蠅よ/おまえの夏の戯れを/私の心ない手がふり払った/私もまたおまえと同じ蠅であり/おまえもまた私と同じ人間ではないのか/なんとなればある盲目の手が/わたしの翼をふり払うまで/私も踊り、飲み、歌うのだから
ウィリアム・ブレイク
つまり。
人間だって、アリや、蠅のように、気がつくと、死んでいるのですね。
「人の死」というのも、私のキッチンにいた、アリが私の手にふりはらわれたように、
「神」にふりはらわれて、ある日突然に死ぬのでしょうから。
だから、盲目の本能というか、本能を大事にしたいと私は勝手に考えています。
時計がなくても、時間がわかるように。(朝の光だけで、時刻がわかるように。)
匂いだけで、食べ物の新鮮度がわかるように。
匂いで、自分の愛する人がわかるように。
満月などの日、あぶないなと何か感じる時は、あまり出歩かないようにする。
その他、「なんか変だな」という感覚を磨いていく。
動物の世界をたまに知るためにも、本も当然ですが、
近くの、動物園に行きたいものですね。
彼らは、ただひたすら、どうやったら、環境に適応するのか、それだけを無意識に考えていることでしょう。(むろん、彼らも、家畜への道という「適応」も選択することはできますが)
動物園でさへそうですから、 近くの森の鴉や、うさぎや、蛇や、道内でもずっと東の、熊やら、鹿などはまったくそうでしょう。
自然の動物たちにとって、「適応」こそがすべてです。
このことは、私たち人間にとっても、大きなヒントをくれる筈です。