「変容する女たち」 ニコール・キッドマン 「コールドマウンテン」「ピース・メーカー」 |   心のサプリ (絵のある生活) 

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画家KIYOTOの病的記録・備忘録ブログ
至高体験の刻を大切に
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 私が、高校生の頃。
 深夜放送で、よく聞きました。
 「氷点」、そして、三島由紀夫の師であられる川端康成の「伊豆の踊り子」にも出ていた内藤よう子の傑作歌。「白馬のルンナ」・・・・・・・・・・


 北海道には、足の太い、「どさんこ」という馬がいますし。


 この映画・・・「その人は昔」

 舟木一夫のデビュー三周年で出された音楽物語という企画レコードが異例のヒットで実写による映画にまでなったと言う作品。北海道の百人浜で出会った純朴な若い男女二人が希望を求め東京へ駆け落ちするも冷たい都会に翻弄される物語。





 ところで。


三島由紀夫が、とある雑誌の、「あなたにとって、この世で、一番美しいものは?」 というアンケートに答えて、こう書いています。

 第一位    馬
 第二位    猫
 第三位    女性


この馬というのは、なにやら、彼の場合は、男性という意味合いも含んでいるのでしょうか。

 そして。
 猫は、彼は大好きでしたから。・・・・・・


(岩見沢市は、犬好きが多いらしく、ほんとうに犬の散歩している人が多いです。たまに、猫の散歩をしている若い女性と散歩中に出会って、びっくりするくらいですから。また、どちらも、私は好きです。ここ数十年間で、何匹もの、犬猫を飼いました。・・・みんな、死んでしまいましたが。)


 彼にとっての、女性とは、たとえば、自分の作品に出てくれたある女優さんに恐ろしい程の美を、感じて、しかし、その撮影の打ち上げの時に、彼女を見ると、普通のただの女にもどっていたと書いていますから、やはり、「作品」の中での、演技としての、女の美しさなのでしょう。



 


ところで、私は、ゲイでもなく、普通の男性なので、異性の美しさについて、よく考えます。
 普通の女性であれば、男性の美について、考える方も多い事でしょう。

 「男性は目から恋に落ち、女性は耳から恋に落ちる」という言葉があります。


 たしかに、男性は、見た目で異性の美を観察していますね。女性の写真集は男性ならたくさん持っている人も多い筈。それに反して、女性は男性の写真集をたくさん持つている人はさほど多くはないでしょう。

 女性は、ただ、見るだけではなくて相手の言葉をしっかり聞いたり、、しっかり触れたり、することで、相手を身近に感じることができるように、神様からつくられているのかもしれません。



  女性の美。


 人には、フェチというものがありますから、女性はみんな「痩せたい痩せたい」と思っているでしょうが、北海道のとあるパブでは、体重が150キロ以上の女性だけを集めた、パブがあります。
 そこに、北海道中から、男性が彼女たちの踊りを見にやってきます。


 ふとった女性が好き。ふとった男性が好き。
 いや、細い女性が好き。細い男性が好き。


 いろいろな「嗜好」があっていいと思います。あとは、本人の直感でしょう。


 女性の美。



 私の好みは、基本、個性的な、顔立ちの人にひかれます。
 ビョークとか、ダイアン・レインとか・・・
 特に、ダイアン・レインは、演技は上手いとは思いませんが、あの顔のシワ・・・
 が好きです。 
 人間味があって、平凡なる強さみたいな生命力を感じるのかもしれません。




 でも、俳優・・女優さんの場合は、やはり、作品に対する演技者としての覚悟というか、
 演じるパワーというか、いわば「変容力」というものがある俳優さんには、頭が下がります。

 

 「変容力」の強い女優。


 気になる女優がいます。
 ニコール・キッドマンです。


 たまたま、予告編で、魅入ったので、借りてきて細切れ視聴しています。


 「ラビット・ホール」です。



資料
ニューヨーク郊外の閑静な住宅街に暮らす、妻ベッカと夫ハウイーのコーベット夫妻。彼らの幸せな生活が一変したのは8か月前。一人息子ダニーが道路に飛び出し交通事故に遭い、わずか4歳でこの世を去ってしまったのだ。それ以来、2人の心には埋めようのない喪失感が生まれていた。前に進もうとするハウイーとは対照的に、心乱れるベッカは周囲にも辛く当たり散らす。そんなある日、彼女は息子を轢いた高校生ジェイソンを偶然見かけ思わず尾行してしまう…


(私も、かつて、20年以上も昔のことですが、身内を失くした悲しき経験を思い出しながら見ていました。)


 それにしても、ニコール・キッドマンという女優は、すごいな。・・・


 そんな漠然とした感情があり、少し調べてみたのです。
 これまで、けっこう彼女の作品は見ていましたが、なにやら、トータルで、まとまったイメージが欲しくなったんです。 あまりにも、違う役柄をこなしているので、・・忘れている映画もたくさんありました。




ニコール・キッドマン。




名前からして、なにやら、男っぽくて、カッコいいですね。


 これまで、見た映画をまとめてみると、


 かなり、気に入った作品があります。やはり、「変容力」の才能があるのでしょうか。





 初めてゴールデン・グローブ賞を取ったのが、「ビリー・バスゲイト」という
 ギャグの人生をあつかった映画。ロバート・ベントン監督は、「クレイマー・クレイマー」や、私の大好きな「俺たちに明日はない」の監督なので、見たかったのですが、なにやら、レンタルビデオ屋で発見できません。・・・・・ (彼女を語るうえで、これは是非見たかったのですが、あきらめました。)


 記憶にかなり残っている個人的なフェバリットとして・・・。
 
 その、ひとつが、 ピース・メーカー。1997年製作のアメリカ映画。









ジョージ・クルーニー主演。ロシアにおいて解体されるはずの核兵器がテロリストにより奪われ、それを取り返す米軍人と原子力科学者の活躍を描いた作品。


 これは、すごい迫力でした。今のこのイスラム国がこのようなことをしないとは誰も言えません。
おそろしいほどの、時代を先取りした、先取りした映画です。ニューヨーク9.11テロより前の作品ですから。


  これは男らしい感じでしたが、あまり印象には残っていません。男っぽい格好良さもありましたし。
 だから、再度試聴して、感心したのです。

 

 淀川長治さんが、言うところの、「良き映画は何回でもみること」に耐えうる映画です。


 

 ニコール・キッドマン・・


 次の映画「コールド・マウンテン」・・


 彼女の顔って、不思議なのは、ものすごい美女でセクシーで彫りの深い彫塑みたいな時と、子どものように、素直で自然で可愛い時と、ふたつありますね。

「コールド・マウンテン」のなかでも、レニー・ゼルウィガーと一緒に暮らしている時の彼女は、まさに、レニー・ゼルウィガーが言うように、子どもっぽいお嬢様・・・という感じ。




 私の好きな、うさぎたちを鋭い観察力で、描き上げた、ビアトリクス・ポターの映画でヒロインを演じた
レニー・ゼルウィガーと、演技力のぶつかり、それはそれは素晴らしい映画でした。
個人的には、かなり好きな映画です。





 物語的には、単純で、アメリカ連合国の兵士としてノースカロライナ州からヴァージニア州に送られたインマンが、そこで激しい戦いの只中に置かれることになります。


 友人を失い、自分も負傷したインマンは、故郷であるコールドマウンテンと、出発前の僅かな時間しか共に過ごすことが出来なかった最愛の女性エイダに再び合うため脱走し、徒歩でコールドマウンテンに向かう旅に出る、というだけなんですが。


 私は北海道の厳しい冬を知っていますから、この雪嵐のなかで、一目惚れをした女性のもとに、ただただ、鳩のようにもどっていく男の姿には、うたれるものがあります。
 そして、もどってくる彼をひたすら信じて、待ち続けるニコール・キッドマン。
 

 このお嬢様そだちの彼女に、いろいろ農作物の取り入れやら、畑の世話などを、教える役柄としての、レニー・ゼルウィガー。


 ほんとうに演技と演技のぶつかりが、楽しき映画でした。

 結局は、レネー・ゼルウィガーがアカデミー助演女優賞やゴールデングローブ賞 助演女優賞、 英国アカデミー賞 助演女優賞などを受賞するのですが、個人的には、ニコール・キッドマンと良き勝負でした。


 しかも、この監督、 アンソニー・ミンゲラは、「イングリッシュ・ペイシェント」の監督なんですね。




・・・・・・・・・・


 ニコール・キッドマン。



 また、神秘的なほどまでに、美しいと感じた彼女の映画は。

 「アイズワイドシャット」でしょうか。






 これは不思議な映画ですね。原作も読みましたが、アルトゥル・シュニッツラーの『夢小説』(1926年)です。

 キューブリック監督は、この映画の後亡くなりましたが、その彼のつくりたかった作品として、A.I.(Artificial Intelligence: AI, 2001年)がありました。
これまた、私のベスト10に入る、フェボリットです。


  ラストシーンでの、母親と、人間の心をついに獲得したAndroid少年のつかのまの会話が、涙なくして見る事はできませんでした。・・・・・・
 

◎資料

(シュニッツラーの輪舞もすごいです。私は、ジェーン・フォンダ版を見ましたが。
 1900年、当時の性道徳や階級理念に露骨に反した内容のために上演も出版も諦め、200部の自費出版本のみを知人に配っていたといいますから、真の自由人です。)




 映画によって、どんどん、変容していく女性。「変容力」の女。
 ニコール・キッドマン。・・・・・・



 そしてまたまた、次の映画は、
 「めぐりあう時間たち」。





 知的な文学者を演じれば、まさに、詩人そのもの。さすがに、名女優。 

 



監督は、有名なるスティーブン・ダルドリー。
つくった作品はすべてアカデミー賞にノミネートされています。


  リトル・ダンサー Billy Elliot (2000年)
めぐりあう時間たち The Hours (2002年)
愛を読むひと The Reader (2008年)
ものすごくうるさくて、ありえないほど近い Extremely Loud and Incredibly Close (2011年)
トラッシュ! -この街が輝く日まで- Trash (2014年)





 (この、「愛を読むひと 」もまた、最高の傑作で、私のフェボリットに入ります。
 また、のちほど、記録を残したいと思っています。・・・・)




ニコール・キッドマンが、バージニアウルフを演じる。それだけで、背筋がぞっとします。
個人的には、「意識の流れ」という彼女の文体は、日本にも、源氏物語という先駆がありますし、親近感を感じますが、人間関係に弱かったのかもしれません。




 以前も記事にしたことがありますが、小説と絵画は、イマジネーションを膨らませることがこつさへ捕まえれば容易になるのに、そしてそのことは、困難を得るが自分で自分の時間をコントロールすることだから容易という言葉を使うのですが、映画や音楽の場合は、一度にその情報が襲ってくるので、膨らませる事を楽しむことをしている間に次ぎのセンテンスが来てしまうこともありますね。

 その意味では、DVDやその他のメディアがせっかくあるのだから、こんなImaginationを使うシネマはそれ相応のまさに「時間」をかけて見ることが良いのではないかなと思いますね。



 だから、わたしは、いつも、何回も同じシーンを見て、考えながら、見るようにしています。
 細切れ視聴というのは、竹内均さんか、糸川英夫氏から、教えてもらいました。





 豊饒なる時間、たった一日。
 ジョイスが「ユリシーズ」で、一日だけを書き上げようしたことを思い出す。 



 瞬間の中の永劫。
 ブレイク。
 
 まさに日々のなにげのない日常の中につつまれている神秘を書く。

 見ようとするものにはそれは風呂敷の紐を解く。
 丁寧にゆっくりとしめやかに儀式のようにして。



 そんな平凡なる一日を非凡に彼女が演技していました。ポケットに石ころをつめて、入水しました。敏感で繊細なる神経、俗悪なるこの現実にこすられて、ぼろぼろになってしまっていたのでしょうか。



 ところで。
 私が幼稚園の頃。


その間借りの家の前に、雑品屋があり、そこに古本の山がありました。
 日々、友達と、そこに忍び込んでは、古本の漫画の山に驚喜しながら隠れ読んだ
 記憶があります。

 もちろん、そこで働いている人から、叱られては、また忍び込み、また怒られては、
 忍び込む毎日でした。

 あの、ノラクロやら、不思議な漫画の線・・・今でもはっきり覚えています。今で言えば、お宝の山があったわけです。





 そこから数年。
 雨がかなり降って・・・・

 その間借りの部屋から、当時の、とある共同のぼろぼろの官舎に引っ越した時。
 雨で、岩見沢市の小さな川が反乱しそうになったことも覚えています。
 その雨のひどい日。
 小学校からの帰宅日。


 母親が興奮して、近所のおばさんたちと、なにやら、話をしていて、その声が・・・

 ケネディが暗殺されたんだって・・・・


 雨がますますひどくなりました。



 雷がなりはじめ、私は、部屋にもどって、ケネディはたしか、アメリカの大統領だったっけ・・・
 そんなことを頭で考え始めて・・・ぐるぐるといろいろなコトがめぐりはじめて・・・、


 



  ケネディ大統領はじつは、アイルランドからの移民でした。それを知ったのは、だいぶ、あとからでした。



 司馬遼太郎の、アイルランドの旅を書いた本。
 
街道をゆく 30 愛蘭土紀行I/朝日新聞出版

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街道をゆく 31 愛蘭土紀行II/朝日新聞出版

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この二冊の本を読んで、感銘いたしました。
 アイルランド、ケルト、これらの言葉がいつも頭に残るようになりました。






 それで、昨日、ふと、おやっと思いました。

 中国での、フィギア大会のことですが。ケルトのことを考えていました。




 jazzの演奏曲と蝶々夫人operaにあわせての、真央ちゃんの、演技、あっぱれでした。
 まさに、サムライ。

 覚悟を感じました。

 そして、二番の本郷理香。最近めきめき一位、二位にくいこんできます。
 落ち着きもあり、華やかさもあり、表情も素晴らしく、いずれは、真央ちゃんと世界のフィギア界をひっぱっていくことは間違いないでしょう。


 本郷理香本郷理香の資料では、


アクセルを除く5種類のトリプルジャンプを跳ぶことができる。コンビネーションでは、3回転トゥーループ-3回転トゥーループ、2回転半アクセル-3回転トゥーループを成功させたほか、2013-14シーズンより3回転フリップ-3回転トゥーループ、2回転半アクセル-1回転ループ-3回転サルコウを取り入れている。また、ジャンプを得意とする反面、スピンではしばしばレベルを取りこぼすことがある。

2015年世界選手権では、ショートプログラム、フリーともにすべてのスピンとステップでレベル4を獲得した。

ルッツの踏切でエラーを取られることが多かったが、2015-2016年シーズンには、3回転ルッツ-2回転トゥーループのコンビネーションを2015年フィンランディア杯で決めるなど、エッジの矯正に成功している[10]。




 とあります。

 インタヴューでも感じましたが、小説「化身」で、初めてのデートで、「サバの味噌煮を食べたい」と言った霧子ではありませんが、少し田舎っぽい感じが、なんとも可愛いかった・・


 ところで、彼女のフリー演技で、踊った、「リバーダンス」。

 ケルトではありませんか。







 以前にも、何回も記事にしましたが、リバーダンス(Riverdance)とは、アイリッシュ・ダンスやアイルランド音楽を中心とした舞台作品。アイルランドに伝わる神話や伝承、ジャガイモ飢饉等によりアメリカへの移住を余儀なくされたアイリッシュ・アメリカンの歴史、および多様な民族との交流をモチーフとしている。

 と、資料にありますが、アイルランドの歴史と深い関係がありますね。

16世紀にイギリスからゲール語を禁止され、踊る事も禁止されて、窓を通して外から見られた時に、上半身を動かさず下半身でリズムを刻むダンスが誕生したと、言われています。






 

 本郷理香が、このステップをフィギアで、非常に楽しくそして、イメージをつくりあげていました。最高でしたね!!!



 そんなわけで、このアイルランド・・・ケルト。
 

 いつも、不思議に思うのは、「音楽力」でも、書かれていましたが、ケルトと日本の歴史がよく似ているということですね。




音楽力/海竜社

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 アイルランド。

 いつか行ってみたい国のひとつ。



 なにがあるというわけではないけれど、過去に好きだった作家たちは、ほとんどアイルランドの作家たち。
 ケルトの妖精を描いた、「ケルト幻想物語」と「ケルト妖精物語」も、今は手元にないけれども、またいつか再読したい本。


 しかしながら。
 イギリスのアーサー・ラッカムや、ジョン・テニエルなどの絵が、私は小さな頃から大好きだったのだが、不思議とアイルランドではなく、がくっとしたのだが、やはり、イギリスなどの国も、キリスト教が入ってくる前の、太古の時代はケルトほどではなくとも、いろいろと、さまざまなる多神教の世界があったのではないかと想像される。  心のサプリ (本のある生活) 
  心のサプリ (本のある生活) 

 「アリス」もやっぱり、ジョン・テニエルの絵でないと読んだ気がしない。




 自然のなかから、何かを産もうとすること。
 それは日本でも同じことだと思うけれど。


でも日本でも、朝から晩まで仕事でビルの一角に飛び込められているサラリーマンたちには、このような感覚は生まれづらいかもしれない。
 やはり、少なくても、太陽の光と、川の流れる音と、木々の葉が風に吹かれるときのさざめきくらいは、聞こえる環境ならいいと思うけれど。

 

 あと。
 音楽と踊り。
 沖縄に昔行ったとき、かならず、宴のときには、みんなで踊る。
 必ず踊る。

 最初は観光のためのサービスなのかと思ったけれど、そうではなく、昔からのそのような音楽からエナジーをもらうための生きる知恵としての習慣なのだった。

 盆踊りもそうだと思う。

 今、日本の女性の間に、フラメンコブームやら、ベリーダンスやらがはやっているというのも、無意識の音楽からエナジーをもらおうという欲求なのだと思う。


 うまい下手ではなく、音楽にあわせて、からだを動かすことが、すごいことなのだ。



 以前、テレビで、見たのですが、確か「神田川」を歌った南こうせつ、彼が、ケルト音楽に惹かれてケルトの旅に出るという番組をやっていました。

 また、ユーミンが、やはり、ケルト音楽の魅惑というテレビ番組で、ケルトに実際に行って、ケルト音楽の魅力について話している番組がありました。


 アイルランドの傑作古典「指輪物語」の 映画音楽をつくったのも、やっぱりアイルランドの歌手、エンヤ。
 なにやら、この曲に、日本人であるならば、不思議な共感を感じるのではないでしょうか。


 



 これら、私もまた、心から魂から、大好きな国。一度は行ってみたい国は、
 アイルランドと、ビョークの住むアイスランド。


 そのアイルランドは、誰しも知っているように、かつて、飢饉がひどく、ジャガイモしか食べるものがなく、ひどく土が悪いということで、有名です。


 飢饉では、おそらく、数十万人という人達がなくなったのではないでしょうか。(あるいはもっとか)


 そんな貧しいカソリックの国を後にして、アメリカに移住する人も多かったようです。
 ですので、アメリカの推理小説を読むと、下層の警察官は、だいたいが、アイルランド系ですね。


 (よく映画でも、でてきます。私の知っている限り、イタリア映画では、ポーランド人が移民として、あるいは、フランス映画では、スペイン人がよく下層の移民として描かれているように。)


そんなアメリカに移民したたくさんのアイルランド人は、野心を持っていますから、いつか、
大家族を核として、アメリカで商売や、作家や、そして政治家としても成功する人がでてきます。

  さっきの記事。
  私の小さな頃の、雨の日、暗殺された、ケネディ大統領がそうでしたね。
  アイルランド移民です。


 そのケネディが、愛したマリリン・モンロー。
 
 

 ケネディの誕生日に、歌をプレゼントするモンローのクリップです。
 当然、ケネディの奥様は、おもしろくないので、欠席したパーティでした。・・


 その彼女が、モナコ王妃としてグレース・ケリーとともに、ピックアップされたことがありました。

 当然。



 モナコの王様は、アメリカンガールのシンボルとしてのモンローを蹴って、「グレース・ケリーの「品」をとったわけですが、

 そのグレース・ケリーの「品」をも、演技したのが、またまた、
 ニコール・キッドマンでした。


 グレース・ケリーの美は、別格ですから。

 また、別の記事にしたいと思っております。








 ニコール・キッドマンが、そのグレース・ケリーに変容。

 「グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札」ですね。

 


 


 (この映画はなにやら、英語の検定のテキストみたいな感じで、広告もされていましたね。
 DVDにも、英語字幕はついておりませんでした。残念。)




 最後に、このニコール・キッドマン。

 トム・クルーズと結婚していたことはよく知られていますが、
 10年程で、養子がふたりいましたが、離婚しました。


 トム・クルーズは、実は私の大好きな、俳優のひとりです。

 彼の、「all you need is a kill」についても、記事をかいたばかりです。

 日本でのプロモートとして、三回も日本に帰国したり、小泉首相に会ったり、そして、
 新渡戸稲造の「武士道」にぞっこん惚れて、「ラスト・サムライ」をつくったことも知られています。


 ニコール・キッドマンの旦那さんでした。




 

 ところで、彼の大好きな、その日本の映画で、最近再度試聴した、映画。
 ここに記録しておきます。

 

 「最後の忠臣蔵」素晴らしいかったです。




備忘録。
レヴューでも、一位になったというから、誰からも納得され、愛される作品だと思う。
三時まで見てしまう。感涙。素直に日本人に生まれて良かったと思う。


三島由紀夫もある雑誌のインタヴューにて、「男には幸福なんていう言葉ない」と語っていたのを思い出しました。(本気で男が男である時代に彼はもどりたかったし、もどっていきましたが。)


それにしても桜庭ななみ、は美しい日本女性。ニコール・キッドマンとはまた違う意味での、美です。



特に、浄瑠璃を見ていたときの、横顔。
キモノできちんと座ったときの女性の肩の線、胸から帯、膝、そして凛とのびた背中と、首筋。
結び上げた黒髪。







母親の女性もきっと美しかったのだろう。



 男と女・・・・


 最近、ロバート・ライトのこの「モラル・アニマル」を読んだが、
 なぜ、男は美しい女性にひかれていくのか、という点。




モラル・アニマル〈上〉/ロバート ライト

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 なぜ、女は地位があり人間的な力がある男性にひかれていくのかという点。

 これらを綿密に、ダーウィンの進化論から分析していってなかなかの傑作だった。


 きっと母親が美しければ、その子ども達も美しいはず、男性はそのことを意識する事なく、無意識に、自分の子孫が繁栄し、自然淘汰により強くなるように、美しい女性にひかれていくという。
 

 とまあ、科学はそこまで。


春の雪―豊饒の海・第一巻 (新潮文庫)/三島 由紀夫

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 私は呉服屋で女性の着物姿を朝から晩まで見てきたが、やはり、キモノ姿だけではなく、作法というものがセットになっていなければ、ダメですね。
 いくら一見キモノが似合っても、言葉使いでガッカリするということもしばしばでした。


 マゴザ。
 (瀬尾孫左衛門)役の役所もすばらしかったし、佐藤浩市もやはり素敵だなあ。
 彼らについては、また記録したいと思います。



 現代人の感覚であの彼を見てもなかなか死にいたるまでの心のプロセスは理解できないかもしれませんね。
  とにかく、義というものが、一番大事だった時代。
 

  現代では、子ども達に、「命が一番大切」と教えますが、昔は違います。
  特に、武士は、食わねど・・・で、やせ我慢が高く買われたわけですね。
 
  「命よりも大切なものがある」
  ここが理解できなければ、この映画のおもしろさは半減します。

 ただ、友だちとこの映画を見て、何で最後に安田成美と一緒にならなかったのかと、思う人も多かったのでは?




 まあ、映画は見方は自由ですから、私は私の見方で、楽しむことができました。



 「美に感動する心の贅沢をおもちなさい」  淀川長治 




  

(私の勝手な、備忘録)
 ●竹林。
 ●婚礼のときの、緑と金と白無垢の対比。
 ●小さな頃から嫁に行く時の練習。
 ●骨董。浄瑠璃。伏線。
 ●小林秀雄氏も書いているようになぜ日本人はこの敵討ち、仇討ちがこんなにも好きなのか?
  ●「家」と「個人」。枠があるなかの自由。俳句の自由。
 ●夏目雅子や宮沢りえみたいな新人はいないのかと監督が言うと、いるわけありませんと言われたエピソード。スタッフの持参したたくさんの写真から直感で選ぶ。
 ●時代考証は金がかけられない映画なので期待するのは無理かも。
 ●進化論・自然淘汰から見る、妻と愛人。
 ●一見束縛されていたおんなたちが作り上げた美意識の世界。やせ我慢に生きる男たちと、たくましく生きる女達。

 











◎資料
ウェールズは「歌の国」といわれ、特にハープ奏者や男声聖歌隊そしてトム・ジョーンズ、シャルロット・チャーチ、メリー・ホプキン、キャサリン・ジェンキンス、アレッド・ジョーンズ、ボニー・タイラー、ダフィー、ブリン・ターフェルなどのソロミュージシャンが有名である。
バンドではマニック・ストリート・プリーチャーズ、ステレオフォニックス、フィーダー、スーパー・ファーリー・アニマルズ、ロストプロフェッツ、フューネラル・フォー・ア・フレンド、ブレット・フォー・マイ・ヴァレンタイン、ロス・キャンペシーノス!、ゴーキーズ・サイゴティック・マンキ等が有名である。
ウェールズにはナショナル・アイステズボッドという音楽と詩の祭典がある。これは1年に1度、毎年異なる街が持ち回りで開催している。スランゴスレンで行われるスランゴスレン国際芸術祭はアイステズボッドに倣ったものであるが、世界中のミュージシャンが参加している。

◎資料

リバーダンス(Riverdance)とは、アイリッシュ・ダンスやアイルランド音楽を中心とした舞台作品のことである。アイリッシュ・ダンスの中でも特に体幹や腕を使わずに足の動きだけで踊るアイリッシュ・ステップダンスと呼ばれる舞踊を元にしている。アイルランドに伝わる神話や伝承、ジャガイモ飢饉等によりアメリカへの移住を余儀なくされたアイリッシュ・アメリカンの歴史、および多様な民族との交流をモチーフとしている。


◎資料
アイリッシュ・ダンスは、ソシアル・ダンス(社交ダンス)とステップダンス(足のみで踊る)に分類できる。 さらに分けるとステップダンスにはシャン・ノースからオールドスタイルステップダンスと進化し、今では競技用のステップダンス(コンペティションダンス)の3種類のタイプがある。 一般的に知られるようになったのは本来のアイリッシュダンスではなく、競技用のステップダンスをベースにつくられたパフォーマンス用のダンスで1994年ユーロヴィジョンコンテストで披露されたパフォーマンス『Riverdance』が注目を浴び、その後本格的なショーとして世界を席巻。今ではアイリッシュダンスの代名詞となったが本来のアイリッシュダンスではショーダンスのように横一列に並んでステップを踏みならすことはしない。
ソシアル・ダンスはさらにケーリー・ダンス(céilí)とセット・ダンス(set)に分類することができる。どちらもカップル(男女一組)のセットで踊られ、通常、人数は4人から16人である。アイリッシュ・ソシアル・ダンスは現在まで続く伝統で、場所によって、修正が加えられたり、新しい振り付けが施されたり、さまざまなバリエーションがある。
競技ダンス(Irish stepdance)は、ライトダンス、ヘヴィダンスの二種類があり、シューズがそれぞれ異なる。 ライトダンスでは薄い牛革に編上げの紐のついたパンプシューズ、ヘヴィダンスではファイバーチップがつま先部分につき、バンドとヒールがある牛革靴であるヘヴィシューズ(またはハードシューズ)に分かれる。 また、ソロで踊るものとグループで踊るものがある。基本は上半身を動かさず、足をのみでステップを踏むが、グループで踊るものはショーダンスとは逆に音を出さないライトダンスのみしかなく、大体二人一組となって4~16人で上半身も使って踊る。

◎資料
親日家としてもよく知られており、2014年6月時点で20回目、と他の俳優と比べても、特に来日回数が多い。
日本ではパラマウントジャパンによりミッション:インポッシブル3のDVD発売を記念して10月6日が「トムの日」と制定されていて[15]、空港等でのファンサービスも恒例となっている。さらに2014年6月、「オール・ユー・ニード・イズ・キル」のジャパンプレミア時には、大阪、福岡、東京の3都市を半日で駆け回り、原作が日本の小説であることを理由に、特に思い入れの強い作品であることを、東京でのプレミアで公言した[16]。


◎資料
トム・クルーズが、女優のブルック・シールズが抗うつ薬のパキシルを、2003年初めての娘を生んだ後の産後うつから立ち直るために服用したことを、公に批判したときに論争が沸き起こった。トム・クルーズは「脳内化学物質の不均衡などは存在しない」と主張し、「精神医学は似非科学の一種だ」と断言した。このことにより『トゥデイ』の2005年6月24日放送分でマット・ラウアと激しい議論をすることとなった[27]。医学の専門家たちは「トム・クルーズのコメントは精神障害患者に汚名を着せている」と発言し[28][29]、ブルック・シールズは「トム・クルーズのコメントの数々は母親たちにとって大変な迷惑である」と述べた[30]。しかし、メディアに追求されたアメリカ精神医学会のスティーブン・シャーフスタイン会長が、2005年7月11日の『People』誌で、「脳内化学物質の不均衡」の証明について、「明確な検査法は存在しません (We do not have a clean-cut lab test.)」と認める事態になった[31]。2006年8月末にトム・クルーズは自らブルック・シールズに謝罪し、彼女もこれを受け入れた[32]。トム・クルーズのスポークスマンは彼と彼女は関係を修復したものの、トム・クルーズの抗うつ薬に対する立場は変わっていないことを確かにした[32]。ブルック・シールズはトム・クルーズとケイティ・ホームズの結婚式のゲストとなった。
トム・クルーズは『エンターテインメント・ウィークリー』誌上でインタビューを受け、精神医学を「ナチズムの科学だ」と発言し、「メタドンの本来の名前はアドルフ・ヒトラーにちなんでアドルフィンと呼ばれていた」という有名な都市伝説を引用した[33]。『デア・シュピーゲル』誌上で彼は「サイエントロジーにはナルコノンと言う唯一成功している薬物リハビリプログラムがあり、それは世界中で統計学上ただ一つ成功しているものだ」と発言した。ナルコノンは、その成功率は70パーセントを超えると主張しているが[34][35]、その数字の正確性は広く議論されている[36]。
サイエントロジーは主流の精神医学に反対していることでよく知られている



◎資料

ヴァージニア・ウルフ(Virginia Woolf, 1882年1月25日 - 1941年3月28日)は、イギリスの女性小説家、評論家、書籍の出版元であり、20世紀モダニズム文学 の主要な作家の一人。両大戦間期、ウルフはロンドン文学界の重要な人物であり、ブルームズベリー・グループの一員であった。代表作に『ダロウェイ夫人』 Mrs Dalloway (1925年)、『灯台へ』To the Lighthouse (1927年) 、『オーランドー』 Orlando (1928年)、『波』The Waves(1931年)などの小説や「女性が小説を書こうとするなら、お金と自分だけの部屋を持たなければならない」という主張で知られる評論『自分だけの部屋』A Room of One's Ownなどがある。


死と手紙
死[編集]
『幕間』(没後出版された)の原稿を完成させた後、ウルフは以前にも経験したのと同様の躁うつ病状態に陥った。第二次大戦が勃発し、ロンドン大空襲によって家が破壊されたこと、亡くなった友人ロジャー・フライの伝記の評判が芳しくなかったことで症状は重くなり、仕事ができない状態になった[12] 。1941年3月28日、ウルフはコートをはおり、そのポケットに石をつめて自宅近くのウーズ川で入水自殺した。ウルフの死体は1941年4月18日まで見つからなかった[24]。夫のレナードはウルフを火葬し、ウルフの遺骨をサセックス州ロドメル村にある自邸モンクス・ハウスの庭の楡の木の下に埋葬した。
書斎に夫レナードと、姉ヴァネッサへの書き置きが残されていた。
最愛のあなた
また自分の頭がおかしくなっていくのが分かります。私たちはあのひどい時期をもう二度と乗り切ることはできないでしょう。それに今度は治りそうもありません。声が聞こえるようになって集中できないのです。だから最善と思うことをします。あなたは私をこれ以上ないほど幸せにしてくれました。あなたは誰にも代えがたい人でした。二人の人間が私達ほど幸せになれることはないでしょう。この恐ろしい病気が始まるまでは。もう戦うことができません。私はあなたの人生を犠牲にしています。私がいなければあなたは自分の仕事ができるのですから。あなたはできるはずです。もうこの文章さえきちんと書けません。読むこともできない。言っておきたいのは、私の人生の幸せはすべてあなたのおかげだったということです。あなたは私に対してとても忍耐強く、信じられないほどよくして下さいました。他の人たちも分かっています。もし誰かが私を救ったとしたら、それはあなたでした。私にはもう何も残っていませんが、あなたの優しさだけは今も確信しています。これ以上あなたの人生を無駄にするわけにはいかないのです。今までの私たち以上に幸せな二人は他にはありません。 V (レナードに宛てた書き置き)
[25]




◎資料
モナコ王妃
グレース・ケリーとレーニエ3世の実子であるアルベール2世、カロリーヌ公女、ステファニー公女の3人は、撮影終了後の2013年1月に本作に対して「必要以上に美化され、史実に対して不正確」と批判、数多くの変更を要求したにもかかわらず無視されており、本作は伝記映画ではなく、完全なフィクションであるとしている[5]。アルベール2世は、特に父親であるレーニエ3世が「指導者として一方的で、妻を束縛する男」として描写されている点に不満を感じ、第67回カンヌ国際映画祭のオープニング上映への出席を拒否した[6]。
モナコ公室の反応について、主演のニコール・キッドマンは「本作にファミリーを批判する意図はなく、完全な伝記映画とも違う」とコメントしている[7]。


◎資料
ケネディ兄弟との不倫[編集]
1961年にミラーと離婚したが、この離婚に先立つ1959年頃から、ケネディの妹の夫で俳優のピーター・ローフォードやフランク・シナトラの紹介で、前年に大統領となったジョン・F・ケネディと肉体関係にあったことが、ローフォードやモンローの家の家政婦のレナ・ペピートーンなどにより証言されている[13]。また、ジョンの弟で司法長官を務めていたロバート・ケネディとも関係があったとも囁かれたことがある[14]。
同年に封切られた映画『荒馬と女』の評判が悪く、また共演したクラーク・ゲイブルが撮影終了後に急死したことも重なり、不安定になり再び精神病院に入院。この時、よりを戻した元夫ディマジオが彼女を支えた。翌1962年に、映画『女房は生きていた』の主演になるが、たびたび撮影をすっぽかすため制作はほとんど進まなかった。『女房は生きていた』の主役は結局降ろされた(『女房は生きていた』は、翌1963年にドリス・デイ主演で公開された)。
なおジョン・F・ケネディとモンローとの関係は、ケネディがサム・ジアンカーナらマフィアと関係の深いシナトラを介してモンローと知り合った上に、ジアンカーナが2人の関係を知っており、このことをマフィアの取り締まりを強化しようとしていたケネディ政権に対する取引に使おうとしていたことを憂慮したFBIのジョン・エドガー・フーヴァー長官が、ロバートに忠告したことでこの年に終焉を迎えた[15]。
しかしながらモンローは、その関係が終焉を迎えた直後の1962年5月19日に、ニューヨーク市のマディソン・スクエア・ガーデンで行われたケネディの45歳の誕生日パーティ(司会はローフォード)に、体の線が露わになったドレス姿で赴き、『ハッピーバースデートゥーユー』を歌い、「いつ引退しても悔いはない」とケネディに言わしめた(ハッピーバースデー・ミスタープレジデントも参照)。
なお、この際にケネディとモンローの性的関係を快く思っていなかったジャクリーン夫人は、誕生日パーティーにモンローが来ると知ってあえて欠席した[16]。なお、ケネディは翌年凶弾に倒れている。