よく「ネタばれ」という私の嫌いな言葉があります。
ネタがばれると、おもしろくないと言うわけですね。
でも、小説と映画はまったく畑が違うものですし、物語が全部頭にあったうえで、「それを監督がどう描くか」が映画の楽しみともいえるのですね。
小説なんかでも、ホラー小説やミステリー小説ならばいたしかたないとは思いますが、純文学にいたっては、ストーリーそのものよりも、その文章を味わい、微妙なる心理の行きもどりを楽しむことが多いですから、ネタがわかっていても、何回でも読めるのですね。
現に、私なんか、今読んでいる作品はほとんど一度若い頃に読んだものですが、何回でも鑑賞に堪える力を持った作品であれば、読めば読む程に、烏賊スルメではありませんが、味わい深く楽しめるものと確信しております。
とうわけで。
今夜も、物語、すべて描き込みます。
あくまでも自分の認識の深化に寄与するものと考えてやっておりますので、ネタばれが嫌な方は、笑い、飛んでくださいませ。
「童謡」
高熱を発して病院に入院した少年に友人がうらやましそうに言う。
「君は布団の国にいくわけだな、あそこはいいぞ」と。
友人は饒舌に、「高い熱はそのうちに下がってくる。君は高い熱の尖った頭をうまい具合になでて、まるい小さな頭にすることができる」と言った。
ところが、少年にとっては、事態はそんなものではない。
高熱はいつまでも続いた。胴体や腕や足の骨は燃料としてたちまち燃え尽きた。
さらに、頭蓋骨の継ぎ目が指先でさわれるほどまでに、高熱は肉を燃やし続けた。
膝の骨が松の枝の病瘤のように大きく飛出し、肛門が長い管のように突出してしまう。
少年の肉はもえ尽くしたが、命は燃え残った。
高い熱はみるみる下がりはじめた。
「布団の国の王様」どころか、白い乾いた地面の上に投げ捨てられた死体のようなものだと少年は思う。
そんな時、あの友人が少年を見舞に来た。
「布団の国はたのしくないぞ」
「うん、ずいぶん、やせたな。みちがえたよ」
友人は病弱であったのに、少年から見ると青白い顔の皮膚がそれでもナメシ皮のように強靭に見える。
「これが生きている人間なのだ」と少年は思い、自分が生きている人間の世界からずり落ちかけている自分と感じる。
医師からも「さあ、立ち上がる」とリハビリの訓練を受け始めたが、「以前はどういう具合にして立ち上がっていたのか」と考えるしまつ。
医師から無理やりたたされるがこれは自分で立っているのではなくて、医師に「立たされている」「置かれている」鉛筆のようだと感じる。
一歩思い切り踏み出したが、いきおいよくベッドの上に倒れ込んだ。
少年は童謡のふしを少し歌った。
やがておばあさんは目をさまし
ぶるぶるからだをふるわせて
さもふしぎそうにこう言った。
まあ、まあ、この身はわたしじゃあない。
この友人が歌う童謡のフシのついた文句を聞きながら少年はこの友人は自分を憎んでいたのだろうかなと思う。
そして以前、その友人の上に馬乗りになり、ねじ伏せた顔を地面にこすりつけたことを思いだした。
少年はやがてよくやくひとりで歩けるようになった。
しかし緑のガウンを細いからだに羽織ると、ピエロのようにも見える。
歩く事が冒険なのだ。
少年はある日一目のつかないコンクリートの裏に出てひとりボケットの中身をまさぐっている。
キャラメルを一目のあるところで食べることが面映い。
酒でも飲んでみせるふりをする歳なのにキャラメルを食べたくなる自分が嘘のようだ。
ふらつきながら、ボケットに手をいれても、身体の平衡がうまくとれない、やっとの思いで飴を取り出してピエロのように網の上をわたる自分を連想してみる。
その時、人影が見えた。
好きだった、いやこれまで自分のことを好きだったと思われる少女がそこで少年を見ている。
「あっ」
少年はおもわず声をだした。
全部見られたなと思った。
「お見舞いにきたの」と少女はぎこちなく言う。
少年の友人にお見舞いにいくように言われたという。
「でも、そんなにお悪いとはおもわなかったの」
「でもあいつの来たときには歩けなかったのですよ」
「あいつ、そう言わなかったの」
少年は友人の悪意をそこで感じた。
少女は「またきますわ」と言って灰色の建物の陰に消えた。
少年は布団にもぐりこみ「ああ、この身はわたしじゃあない」と呟いてみる。
医師はなかなか太らない少年にいらだち、帰宅するようにすすめる。
家に帰ってもしかし、少年は太ることはなかった。自在に歩き回れるようにはなって、それがかえって周囲の人々に無気味なものを見る目でみさせる。
転地が必要だということに、こんどはなった。
親戚の家の土蔵の中に彼は入った。
すると、少年は医師も少女も友人も豆粒のように遠くになったことに安堵した。
土蔵の横の山椒の葉を少年は口に含むと、甘い苦みがひろがった。そしてその日から少年は太りはじめた。
土蔵の中には鉄製の台秤があり、彼はそこに日々あがることを楽しみとした。
鉄の量感とつめたさが足裏にこたえた。
毎日そこにあがる。
鉄や真鍮を秤の台座にのせると、こうかんが動く。こうかんの針が水平にくると体重とおもりが釣り合ったことになる。
日々こうかんが勢い良くはねあがることが少年の楽しみとなる。
カビ臭い土蔵の中で少年は台座の上にうづくまることが無上の楽しみとなったのであった。
緑色の公園に散歩に出かけることができるようになったのが、もとの体重にもどった日のこと、土蔵の中に入ってから十日目である。
緑色の芝生が大きく広がっている。彼は自在にあるくことができた。
公園の端に置いてある体重計に乗ってみる。
硬貨を隙間から居れると針が揺れだして、少年の体重をしめす数値のところで静止する。
「これが、自分の目方だ」
少年は、自分のもとどおりになった目方をそおっと腕でだきしめたい気持ちになる。
「これで生きている人間達の世界にもどることができた」
少女がその秤の上に乗ることも夢想してみる。
静止した少女のめかたをそおっと少年は胸に抱きしめてみることを夢みた。
「その目方も自分のものだ」
その次の日も体重は増えていた。
腕や銅や脚が毎日増え続けているのが目でわかる。
太り始めてから十日目つまり、土蔵に入ってから二十日目で、体重は二倍になったのである。
そこで体重はとまった。
親戚の人達からは笑われた。「まるで手品を見ているようだね。種もしかけもありません。骨と皮の人間を土蔵にいれて二十日経つとあら不思議、体重が二倍に増えて飛出してくる。別の人間ではありません」
少年は先日の自分の目方を抱きしめたいという気持ちは消え失せた。
「それにこれは回復といえるのだろうか」
少年はただひとつの異常の状態から別の異常の状態に移行しただけのようにも感じる。
それからまた二十日経って少年は家にもどってきた。
身体は発熱の以前の身体にもどっていた。肉が次第におちて元のからだになったのである。
あの友人はじいっと少年を見て、
「すっかり良くなったね。今だから言えるけど見舞にいったときは、ほんとうにびっくりしたよ」
校庭の砂場のところでは少年達が飛ぶ競争をしていた。
少年ははじめ、ためらいがちに歩いていたが、やがて不意に勢い良く走り出す。
砂場で強く脚で地面を踏みつけると跳躍の姿勢になった。
しかし、水平に架け渡された横木は少年の腰のあたりに当たって、落ちた。
「前は高く飛べたのに」
友人がいつのまに横に来ていてこうささやく。
「すぐに高く飛べるようになるよ。長く寝ていたのだからしょうがない」
少年はしかし心の底で考えている。
「しかし」
「もう高く飛ぶ事はできないだろう」
内部から失ったもの、そして新たに付け加えられたまだはっきり形のわからぬもの、そんなものを少年は感じていた。
●まず、吉行淳之介は「右脳で感じた事」を「安易で手あかにまみれた左脳の言葉」では、まず、表現しませんね。
右脳の感じ方が異常にとびはねていて、左脳のコントロールが微妙なそのニュアンスをとりこもうとしていて、その言葉との格闘が緊張感をもって私に迫ってきます。
散文なのだが、韻文に、詩に近い文体。三島由紀夫氏とよく似ていますよ。
小説はこれでなくっちゃね。笑い。