


これまでも、中原淳一や高畠華宵 のイラストレーションについては記事にしてきしまたが、ウサギさんからメールをいただき、なんと美の壷にて特集があるとのこと。さっそく見て感激しました。

もともと、竹久夢二などの浪漫の絵画にはかなり惹かれる私でしたが、戦争中の様々な事情が少女雑誌の誕生の裏にはあったということなんですね。
瞳があんなに大きくて、唇が小さい彼女達の愛した絵が、戦争中男の子ばかりが大事にされてその反動として口は開かずとも目で相手に訴えることに皆が熱中したとの分析はなるほどとも思い、また、そんなに簡単に分析してもいいのかなあ、とも思いましたね。
川畑康成と中原淳一が共作した「エス」の世界もまた、ほおっという感じですね。
女性が女性に対して好意を寄せるというのは今でもあると思いますし、宝塚なんかもその伝統の中で花開いたものですから、稲垣足穂を出さずとも、少年愛の美学という男の子が男の子に惹かれていくという世界もあるわけで、これは何も女性だけの世界ではありませんね。
ただ、当時受け身だけの生活を余儀なくされた女子学生達が戦争の中で抑圧された性が違う形で広がっていったというのはうなづけますね。



分析や当時の事情は別にして、わたしなぞは絵として見た時にかなりのデフオルメされた誇張としての少女像が美しいと思います。
日本画や西洋画の教養のある画家達が精一杯描いたイラストですから、一枚の美術品としての価値も十分にあると思います。
この番組で一番感動したのが、当時の女子学生だった今70、80歳の後婦人がテレビでいかにそれらの美しい雑誌に心を支えられたかをインタヴューで語っておられたのが印象的でした。
若い頃に本当の美を生きた人というのは、どんなに現場の修羅を生き抜いたとしても顔全体にどことなくほんやかとした品の良さや凛とした緊張感が漂っていて、感銘しました。
「美というものは実はそうたいしたものではない」と語っていた小林秀雄氏が言われたように、そのたいしたものではないものに接して70年、あのような存在の形に達するのであればやはり美とは人間の必需品とますます信じたくなりましたね。
ウサギさん、ありがとうございました。感謝。

<このコンセプトで少女雑誌の付録や本を爆発的に売った辣腕編集長。オマケの素晴らしさは、このテレビを見た人でないとわかりません。今の雑誌のオマケなんかフケみたいなものですね。笑い>
あと、現代のメールではありませが、読者の質問に丁寧にコメントしてありました。すごいです>
最後に中原淳一の人生観をここに。
もしこの世の中に、風にゆれる「花」がなかったら、人の心はもっともっと、荒んでいたかもしれない。
もしこの世の中に「色」がなかったら、人々の人生観まで変わっていたかもしれない。
もしこの世の中に「信じる」ことがなかったら、一日として安心してはいられない。
もしこの世の中に「思いやり」がなかったら、淋しくて、とても生きてはいられない。
もしこの世の中に「小鳥」が歌わなかったら、人は微笑むことを知らなかったかもしれない。
もしこの世の中に「音楽」がなかったら、このけわしい現実から逃れられる時間がなかっただ ろう。
もしこの世の中に「詩」がなかったら、人は美しい言葉も知らないままで死んでいく。
もしこの世の中に「愛する心」がなかったら、人間はだれもが孤独です。
(「美しく生きる 中原淳一 その美学と仕事」より抜粋)