小僧の神様・城の崎にて (新潮文庫)/志賀 直哉
¥500
朝は、昨日真夜中まで本を読んでいたためか起きれず九時に起床。
母の病院の留守番というわけで、愛玩犬ボラとともに、家で読書。<と言っても、最近はずっとこのパターンでどこにも行かずひたすら、読書>
志賀直哉の「小僧の神様」
以前、確か読んだ記憶はあるが、年をとってから読むと志賀直哉の偉大さがなおさらわかります。
昔ならば、どこにでもあった番頭制度、でっちどん制度。
でっちどんというか、小僧が先輩の番頭達の、大人の会話を聞いている。
あそこの鮨はうまいぞ、とか、そんな話である。行き帰りの交通費をもらい、用事を頼まれた小僧は、その鮨屋を横目で睨みながら用事をすませたあとに、その寿司屋よりは少しばかり安いだろう、一個4銭ほどだろうとあたりをつけた屋台の鮨屋にはいる。
帰りの交通費を歩いて帰れば、一個ぐらいは食えるだろうとの小僧の了見はしかし、屋台の寿司屋のおっさんの6銭という言葉に身動きがとれなくなる彼。
そこにたまたまいた、紳士がその話を友人にしながら、可哀想に思い腹一杯鮨を食べさせてあげたいと思う。
とまあ、その紳士がたまたまその小僧の働く店に女房のみやげを買おうとして小僧と再会し、小僧を外につれだして鮨を食べさせるという話なのだが、小説というのはただ物語を聞くだけでは、感銘はしない。
この小説、数ページにも満たない短編だが、これ以上削りようのない見事な日本語で書かれていて、小林秀雄さん他たくさんの方から小説の神様と呼ばれている所以を思い出した。<このあたりはまた書いてみたいと思いますね>
はっと気がつくと、昼だが、とにかく、北海道も暑い。風は窓から冷たい風が入るのだが、二階の私の部屋は窓の半分が本で埋まっているために、残念ながら、風の入りも悪い。
昼ごはん。スパゲッティをゆで、豆を煮て、赤ワインにていただく。濃い味よりも、スパをアンチョビだけで、いただく方が好き。タマネギとシシトウとハバネロのみじん切りに酢を混ぜたものを少し食べる。
風にあたり父母と話をして、テレビでパチンコ事件を見る。しかし、人をまきぞいにしなくてもいいのにと思う。このような事件の本質は人との付き合いだ、彼女のひとりでもいれば、こんなことは起こらない。彼の深い孤独を感じるが、だからといって、このようなひどいことが許される筈はない。
昼寝。10分とか30分とかの、昼寝が気持ちいい。汗だくになるのは、北海道の季節も温暖化しているのではないかと思う。これでは、東京の夏の昼と変わらない。